先日、仲間に樺太塔路町(とうろちょう)生まれの人がいた。何と 戸籍の出生地にもそう書いてあるという。ご両親が小学校の先生で赴任先が樺太であったようだ。戦後に引き上げたといっていた。8年間はすんでいたようだ。webに1941年の数字がのっていて、1949年6月に消滅したとのっているので、成り立つ。妹さんも樺太で出生したといっていた。生まれた時はきちんと役所が処理している。きちんとしていたのですね。
ずっと以前も仲間に戸籍に長安と書いている人がいた。のを思い出した。このかたは、引き揚げる道の途中だったようで、届は日本についてからだったのでしょう。日にちが違っているようだから。
塔路町出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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座標: 北緯49度09分46秒 東経142度07分10秒 / 北緯49.162849度 東経142.119484度 / 49.162849; 142.119484
塔路町のデータ
総人口 30,270人
(1941年12月1日)
塔路町(とうろちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町である。
法的には1949年6月1日、国家行政組織法の施行をもって消滅した。当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照のこと。現在はロシア連邦がサハリン州シャフチョルスクとして実効支配している。
概要 [編集]恵須取町の一部であったが、炭鉱の町として急速に発展し、1941年に分離独立する。町となった当時の人口は30270人で、樺太の市町村としては恵須取町、豊原市に次ぐ規模であった
ずっと以前も仲間に戸籍に長安と書いている人がいた。のを思い出した。このかたは、引き揚げる道の途中だったようで、届は日本についてからだったのでしょう。日にちが違っているようだから。
塔路町出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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座標: 北緯49度09分46秒 東経142度07分10秒 / 北緯49.162849度 東経142.119484度 / 49.162849; 142.119484
塔路町のデータ
総人口 30,270人
(1941年12月1日)
塔路町(とうろちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町である。
法的には1949年6月1日、国家行政組織法の施行をもって消滅した。当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照のこと。現在はロシア連邦がサハリン州シャフチョルスクとして実効支配している。
概要 [編集]恵須取町の一部であったが、炭鉱の町として急速に発展し、1941年に分離独立する。町となった当時の人口は30270人で、樺太の市町村としては恵須取町、豊原市に次ぐ規模であった