犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

群ようこ著 『財布のつぶやき』より

2012-03-15 23:57:40 | 読書感想文


p.176~ 「地震対策」より

 みんなの頭の片隅にはあるが、明日起こるとは考えていないものの筆頭は、地震ではないだろうか。だいたい、家にいたら非常持ち出し用リュックを持ち出せるが、外出していたら全く役に立たなくなる。そんなことを考えたら面倒くさくなってきて、いつもの悩みの解決法である、「そうなったら、そのときはそのとき」で考えないことにした。

 非常持ち出し品が家にあっても、確実に助かる保証はないが安心材料は増える。もしかしたら家にいるよりも、外出先にいたほうが場所によっては助かる可能性が増える場合もある。そんなことを考えると、すべてのケースに対応できないので、どこかで線引きするしかないのだ。

 その後、2回、大きな地震があったとき、私は家にいた。多少の不備はあるが、とりあえず非常持ち出し品が入ったリュックもある。しかし私はそれを持ち出せない状態にあった。その2回とも、私は尻を出していたからであった。1回目はトイレに入っていた。2回目は朝風呂に入っていて、実は私はシャンプーをしていたので、地震には気づいていなかった。

 大地震が来るのは、残念ながら防ぎようがないけれど、私が願っているのは、とにかく尻を出していないときに揺れてほしい、ただそれだけなのである。


***************************************************

 震災で亡くなった人の命を無駄にしないために、次に来る震災への対策を行うことが何よりも大切なのだという考えは、非常に真面目であると思います。そして、話がどんどん実利的になり、技術的に細かくなり、亡くなった人の命の話から離れていくのが通常の流れです。赤の他人が何万人死んでも自分と家族だけは生き延びたいという話ですから、この流れは当然だと思います。

 震災対策の真面目な話が長く続かないのは、多くの人は「5年後の自分」「10年後の自分」を想定して人生設計を行い、それに基づいて自己実現を図ることが快感であり、震災などに邪魔をされるのは不愉快なことだからだと思います。これは、地震でなくても死は明日にあるかも知れないことを忘れたがる人間の心情と同種のものです。来るべき地震については、「そうなったら、そのときはそのとき」以上の正解はないと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。