犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

映画 『RAILWAYS』

2010-06-06 00:44:45 | その他
 この映画の公式な解説は、次のようなものです。「仕事に追われ、家族を省みることのなかった50歳目前の男が、ふと人生を振り返り、幼いころの夢を追い求め始める感動ストーリー。一畑電車の走る島根の風土を描きながら、家族や仕事といった人生の普遍的なテーマを扱った深遠なストーリーが感動を呼ぶ」。この解説はまさにその通りであり、この映画の全てが言い表されているように思います。そして、何も言い表されていないように思います。

 世の中の多くの場面では、「誰がやっても同じ結果となること」が求められるため、自分の人生が自分の人生でなくても構わないのが実際のところだと感じます。そして、他人が自分の人生を生きているような感覚を持ちつつも、その感覚を麻痺させなければ生きられないのも実際のところだと感じます。このような複雑なシステム内における芸術(映画・美術・文学など)とは、システムの本流においては切り捨てられており、あえて表現したところで初めて顕在化するような、不確実な何物かを探す過程であるように思います。

 人が自分の人生を振り返って感じたことは、他人とは共有し難いものであり、絶対に交換不可能な要素であるはずです。それにもかかわらず、人が自分の人生を振り返るという形式において通底するところがあれば、それは芸術にしかなし得ない効果であり、芸術の存在意義そのものであると思います。作品は作者の手を離れて一人歩きし、しかも作品の側が見る人を選ぶのであれば、その空間以外に架空の人物が存在する場所もないでしょう。安易に「感動した」「癒された」などと言いたくありません。

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