犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

小松真一著 『虜人日記』より

2011-03-22 23:46:07 | 読書感想文
p.379~ 山本七平氏の解説より

 時間は記憶を風化さす。しかし同時にそれは記憶された対象を客体化させ、従ってその伝達は逆に容易になる。記憶自体はあくまでもその人だけのもので、他人はそれを共有することはできない。しかし、記憶を基にして構成した絵、物語り、あるいは文章は、それに接する人びとに、客体化され、それによって捨象・改変された記憶の一端を提示することはできる。だが、時間という捨象を経由して提示された記憶は、すでにその人の体験した事実ではない。

 比島の末期におけるジャングル戦を体験した者にとっては、あの飢え・銃弾・寄生虫・マラリア・雨・疲労・無灯火・泥濘の中で、紙も鉛筆もない状態の人が、何かを書き得たであろうとは思えない。否、書くどころか、「読む」体力と気力さえ喪失していたのが実情であった。従って、その時点、その場所で記されたルポは、存在しないのが当然である。

 そして、もし存在するなら、その人は、何か特別な理由で異常に安穏な状態にあり、従って、戦場を体験したといえないはずの人である。いわゆる勝ち戦さのときの従軍記者の記録がほぼこれに相当し、その内容は、戦闘が終って安全になった段階での、戦闘に関する伝聞の集録を記事に構成したもの、一言でいえば安全地帯での取材を基にした作品にすぎない。そしてこういう記述の特徴は、自己の「見」と、他から伝えられた「聞」と、自分の身体に直接受けた体験とが、記述の中で明確に分れておらず、筆者の立つ位置が不明な点にある。


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 震災の死者と行方不明者が2万2000人を超えている現実につき、人間の言語で端的に描写しようとすれば、茫然、無力感、悪夢、無常、地獄、絶望、虚脱感、胸が張り裂ける、胸が潰れるといった表現しかあり得ないと思います。もちろん、これでも表現としては極めて不正確であり、それ以前の生易しい表現は入る余地がないと感じられます。

 2万2000人の死者と行方不明者を目の前にして、勇気、希望、あきらめない、前を向いて、頑張って、乗り越えて、元気、笑顔といった表現が前面に出ていることは、山本七平氏の言葉を借りれば、その瞬間において風化が促進されているのだと思います。阪神淡路大震災の16年後の風化ぶりを目の当たりにすれば、現在から16年後の東日本大震災の風化ぶりも想像がつきます。

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