犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある無罪判決の後の検察庁の光景 その2

2010-03-19 00:03:09 | 実存・心理・宗教
(その1から続きます)

 被害者や遺族に控訴断念の納得を求めるとき、彼(検察事務官)の個人的な良心と職業倫理とは、いつも激しくぶつかり合っていた。そして、国家公務員・組織人という肩書きによって、個人の快・不快の感情が方向付けられているのもこの部分であった。
 妻を殺された夫、母を殺された娘を目の前にして、「控訴できないものはできないんだから黙って従ってください」と言い渡すことは、一人の人間としては間違った行いのように思う。しかし、検事ではない事務官が、「控訴しましょう。高裁では有罪判決を取ることをお約束します」と言ってしまっては、明らかな嘘である。
 人の世には数え切れないほどの間違いがあり、その無数の間違いを秩序立てて囲い込まなければ、社会のルールは破壊される。そして、その秩序やルールの裏側には、無罪判決の陰で沈黙を強いられてきた無数の被害者や遺族が存在する。

 恐らく、今回の強盗殺人事件の無罪判決は間違いである。常識的には、どう見ても、あの被告人は真犯人である。しかしながら、被告人本人ではない彼には、本当のところはわからない。決定的な証拠がない以上、本当に被告人が犯人だとわかるのかという問いを突きつけられれば、答えは「No」に決まっている。被告人が自白から否認に転じた原因もわからない。仮に、真犯人と名乗る者が自首して来たとしても、その者が真犯人かどうかもまたわからない。
 そもそも、決定的な物証と自白が揃っている事件ですら、逮捕・起訴された者が真犯人であると言い切ることはできない。被告人が真犯人と合意の上で身代わりとなり、すべての遺留品について精密な工作がなされていたならば、これを見破ることはまず不可能だからである。身代わり犯人がそのまま服役を終え、本当のことを語らなければ、この世で2人以外に真実を知る者はいない。
 そして、法治国家は、無実の者に有罪判決が下されることを「誤判」と呼び、真犯人に無罪判決が下されることは「誤判」とは呼ばない。後者は、人間の行うことに100パーセントはあり得ないとの命題により、「誤り」の範疇から除外されているからである。

 彼が沈黙を保っていると、被害者の娘がゆっくりと口を開いた。「何をやっても母は帰ってきません。そんなことは言われなくてもわかっています。頭ではわかっています。しかし、正直な気持ちを言えば、私は今でも母が家にいないことを、現実として受け入れていません。ですから、私は生きていられるんです」。
 夫が補足するように語った。「被告人が有罪であろうと無罪であろうと、妻が帰ってこないのは同じことなんです。ですので、控訴して有罪になったとしても、妻が家に帰ってこない限り、本当のところは、何の解決にもなりません。死刑判決が出て、『遺族は心から喜んで気が晴れた』などと思われるのは反吐が出ます……」。
 さらに娘は訴えた。「ネットで、『死刑にすればそれで済むのか』という書き込みを見てしまいました。済むと言っても嘘ですし、済まないと言っても嘘です。何だか、考えていることのレベルが違いすぎて、疲れてしまって、まともに相手にする気力もなくなりました」。
 続いて夫も述べた。「逆に、親身に裁判の応援してくれる方もいたのですが、その善意はプレッシャーでもありました。厳罰という目的が達成されたのに、私達がいつまでも浮かない顔をしていたら、恩を仇で返したと思われるのが怖かったからです。まあ、無罪判決ならば、元気に立ち直って生きる演技はしなくてよくなりましたけどね……」。

 彼は、ただただ2人の言葉に交互に聞き入り、頷くだけであった。その視線は、尊敬や憐れみでもなく、単に焦点を失っていた。自分の母親や妻を殺されたわけではない以上、彼は2人の遺族の気持ちも正確にはわからないと思った。さらには、自分の母親や妻を殺されたとしても、やはり2人の遺族の気持ちも正確にはわからないと思った。
 彼は、「お気持ちはわかります」と言ってしまえば偽善となり、「お気持ちがわかりません」と言ってしまえば悪となる現実の前に、何も語る言葉がなかった。少なくとも、余計な合いの手を入れて、2人の言わずにはいられない思いを妨害することだけは避けたいと思った。
 被害者の夫は、厳しい表情を崩さないまま、「私達はもうこれ以上傷つきたくないので、控訴しないでください」と述べた。娘も、全てを悟ったような表情のまま、「今回の結果を母にどう報告するか、あとは自分達で考えます」と静かに述べて、2人は帰り支度を始めた。
 目的は無事に達せられた。彼は、検事に、「被害者遺族は地検の意向に納得して帰りました」と報告することになる。しかし、これでは何も伝わっていない。そうかと言って、彼には、今回のやり取りを言葉にして他人に伝えるだけの力量はない。しかも、検察事務官の職務としては、2人の言葉にならない行間の沈黙を伝えることなどは求められていない。
 2人の姿が地検の玄関から消える頃には、国家公務員・組織人という肩書きの力によって、彼は再び日常の仕事の世界に戻っていた。

(その3に続きます)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

フィクションです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。