犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

兵庫県の号泣県議

2014-07-29 22:30:24 | 実存・心理・宗教

平成26年7月24日 週刊朝日dot.より

 衝撃の号泣会見で渦中の人となった野々村竜太郎前兵庫県議(47)。一連の騒動を新聞やテレビが取り上げ、インターネットが“増幅装置”となって、いまやお祭り騒ぎの様相になっている。賛否はネット上だけでなく、話題性にあやかろうとする便乗商法にまで広がる。

 政治家をモチーフにしたユニークなお菓子の製造販売で知られる「大藤」(東京都荒川区)は「号泣饅頭」の構想を練りながら断念。同社の大久保俊男社長が言う。「パッケージは野々村氏の似顔絵で、饅頭に押す『59』(号泣)の焼き印を頼む段階までいったのですが、『兵庫県民の中には恥じ入る声もあり、それで商売をするのはどうか』と社内で反対の声があがり、発売に至りませんでした」。

 一方、時事ネタTシャツを専門に取り扱うアパレルメーカー「ジジ」(同武蔵野市)は会見直後の今月4日に「ヒステリック野々村Tシャツ」(税込み3132円)を発売。デザイナーの菊竹進氏によると、ぜひ商品化をとのリクエストが寄せられたという。「2週間で約250枚売れ、今年の売り上げナンバー1の小保方Tシャツに迫る勢い。ただ、西宮市民の方から励ましの電話がある一方、『品のないひどい商品だ』と苦情も届いています」。


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 野々村元県議は日本中を笑いの渦に巻き込んだ芸人のように言われ、一躍時の人に祭り上げられましたが、私は全く笑えませんでした。そうかと言って、彼の犯した不正に単純に怒ることもできず、具体的に判明した事実に心から呆れることもできません。本人の言動よりも、これを受け止める世の中の笑いの空気や、悪ふざけが過ぎる匿名の反応に対して、何となく薄ら寒いものを感じただけです。

 誰の心の中にも、狂気というものはあると思います。私の中でも、ある時には心の奥深くで息を潜め、ある時には爆発寸前で留まり、いつも狂気は存在しています。今回の号泣釈明会見について、心理学者が「意図的な演技である」と評論していましたが、科学の分析はこの程度なのかと思います。見栄も恥もなく、外面も取り繕わず、計算高くもない演技が存在し得るというのか、科学の分析は腑に落ちません。

 この情報化社会では、腹黒い人物や巨悪の狡猾さについて、国民レベルとして人々の目が肥えていると思います。そして、野々村元県議の政治家としての資質の点についても、世論の共通了解のようなものは成立していたと思います。私も仕事柄、本当に悪辣な人物を山のように見てきましたが、野々村県議は単なる世渡り下手であり、不器用さをこじらせた結果、狂気が顔を出した程度の話だと思います。

 実際に野々村元県議の会見の聞いてみても、「少子高齢化問題を解決すべき」等の内容は至って普通だと思います。選挙の投票日前日の候補者の絶叫演説と大差ないとも感じます。結局のところ、複雑なシステム下において大きな志は荒唐無稽に至りやすく、実務的な些事を軽視すると痛い目に遭うものの、些事が膨大に過ぎて人一人の人生が終わってしまう苛立ちがあり、私はそこに狂気の引き金を見ました。

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