犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ひろさちや著 『昔話にはウラがある』

2011-02-28 00:08:18 | 読書感想文
p.143~ 「兎と亀」より

 イランの「兎と亀」は、まったく日本版と違っているのだ。「……この亀は頭のいい亀だ。それで、競走を始める前に、自分にそっくりな弟がいるので、その弟を呼んで来て、ゴールに立たせておいてから競走をした」。それじゃあ、兎がどんなに速く走っても亀に負けるはずだ。
 「そんなの、亀はズルイではないか?!」 わたしは抗議した。しかし、イラン人は、「いいや、亀は頭がいいのだ」と頑固に主張する。じつはイランではこの「兎と亀」の話を子どもたちに聞かせて、「おまえたちは競争はしてはいけないよ!」とと教えているそうだ。

 インドの「兎と亀」の話は、日本と同じであった。つまり、兎は昼寝をして亀に敗れたわけだ。「兎はノー・プロブレムだ。悪いのは亀だ!」 年寄りのインド人がそう答えた。なぜ亀が悪いのか、わたしにはわからない。それで問い尋ねると、インド人は軽蔑したような目つきでこう語った。
 「そんなの、亀が悪いことはわかるはずだ。亀は兎を追い越したんだろう。どうしてそのとき“もしもし兎さん、目を醒ましたらどうですか……”と、一声かけてやらなかったのだ?! その一声をかけてやるのが友情だろう。その亀に友情がないじゃないか」。なるほど、そうだ。わたしは感心した。

 アフリカのカメルーンに住むバフト人のあいだにも、「兎と亀」の話があるそうだ。朝日新聞「天声人語」が紹介しているので、孫引きさせてもらう。
 当日、早朝から亀は親類の亀たちを集めた。走る道筋に一定の間隔で隠れていてくれと頼む。そして出走。兎はのんびり走り始めた。しばらくして「亀くん、まだついて来るかい」と叫ぶ。驚いたことに「ええ、すぐ後ろにいますよ」と亀の声が聞こえる。あわてて速度を上げた兎は、途中で確かめるたびに「すぐ後ろですよ」と落ち着いた声で言われ、走りに走る。ついにゴールで倒れて死んだ。亀の勝ち。


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 昔話を知らない子どもが増えているとのニュースを聞きます。地域の民話の伝承も廃れがちだそうです。情報化社会となり、人間の処理能力を超える情報が溢れ、大人も子どもも昔話に付き合っている暇がなくなったのだと思いますが、昔話の虚構を虚構として受け止める思考の枠組みそのものが消滅つつあるような気もします。

 昔話はもともと良く解らない内容を含んでおり、毒にも薬にもならない点に面白さを感じるものだと思います。そして、解釈が分かれる余地を含んでいることが、自分でものを考えざるを得ない契機となっており、人間の思考の基礎を育成しているのだと感じます。昔話が「面白くも何ともないもの」として切り捨てられる情報の1つに分類されるならば、その損失は計り知れないものと思います。

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