p.17~
なんにも書いてなかったら、短歌の主語は“私”なんですね。だから、短歌という詩の形は、宿命的に日記的になりがちな面を持っている。身の上話を聞いてもらうために歌を作っているわけではありませんし、表現としての自覚を、特に持っていないと非常に危険です。
p.43~
前川佐美雄さんのやり方は、自分の力だけでは歌はできない、歌の神様が自分についてくれないとできない、歌の神様はどうやったら自分についてきてくれるか、そのために勉強もするし、神様に気に入れらるように神様がつきやすい状態をつくる。それには、ふだん自分の自己主張みないなものに凝り固まっているわけだけど、それをできるだけ排除していって、自分は巫女さんみたいに、神様の言うことを書くぞという状態にいくまで待っているというやり方を、前川さんはなさっている。自分が書いただけだと、せいぜい自分と等身大の作品、自分より小さい作品ができてしまう。
p.190~
すごい写実は、写実に徹していながらもちろん飛躍というのを含んでいる。それによって世界が大きくなったり、深くなったりする。
***************************************************
自分が表現したいものを表現するのではなく、巫女が神の言うことを聞いて書くという姿勢は、すべての芸術に共通するものだと思います。しかも、ここで言う神が信仰の対象としての神ではないとすれば、その神とは自分自身であり、さらにそれを表現するのが自分自身ではないとすれば、その先は狂気だと感じられます。
自己主張、自己実現のために芸術という手段を借りるのであれば、それは生きることと表現することが別々の何かであり、たとえ表現を止めても死ぬことはないでしょう。これに対し、手段を借りているのではない極限の芸術は、表現せずにはいられないという苦しみであり、生きることと表現することが一致している逃げ場のない状態だと思います。
なんにも書いてなかったら、短歌の主語は“私”なんですね。だから、短歌という詩の形は、宿命的に日記的になりがちな面を持っている。身の上話を聞いてもらうために歌を作っているわけではありませんし、表現としての自覚を、特に持っていないと非常に危険です。
p.43~
前川佐美雄さんのやり方は、自分の力だけでは歌はできない、歌の神様が自分についてくれないとできない、歌の神様はどうやったら自分についてきてくれるか、そのために勉強もするし、神様に気に入れらるように神様がつきやすい状態をつくる。それには、ふだん自分の自己主張みないなものに凝り固まっているわけだけど、それをできるだけ排除していって、自分は巫女さんみたいに、神様の言うことを書くぞという状態にいくまで待っているというやり方を、前川さんはなさっている。自分が書いただけだと、せいぜい自分と等身大の作品、自分より小さい作品ができてしまう。
p.190~
すごい写実は、写実に徹していながらもちろん飛躍というのを含んでいる。それによって世界が大きくなったり、深くなったりする。
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自分が表現したいものを表現するのではなく、巫女が神の言うことを聞いて書くという姿勢は、すべての芸術に共通するものだと思います。しかも、ここで言う神が信仰の対象としての神ではないとすれば、その神とは自分自身であり、さらにそれを表現するのが自分自身ではないとすれば、その先は狂気だと感じられます。
自己主張、自己実現のために芸術という手段を借りるのであれば、それは生きることと表現することが別々の何かであり、たとえ表現を止めても死ぬことはないでしょう。これに対し、手段を借りているのではない極限の芸術は、表現せずにはいられないという苦しみであり、生きることと表現することが一致している逃げ場のない状態だと思います。
有神論であっても無神論であっても、その共通する「神」という概念を突き詰めれば、「全て」か「無」かのいずれかであり、「○○の神」という限定はあり得ないですよね。私もこのような便宜的な発明品には、どこか傲慢さを感じます。
生きることと表現することが一致している作品は、「全く理解できない」という酷評を受けても、無理に理解などしてもらいたくないでしょうから、見る者に媚びる必要はないですね。どんな優れた作品を創作したとしても、誰もがどうせ死んでしまうのですから(笑)、そんなところで十分だと思います。
この文章に共感しました。
「○○の神が私に乗り移って作品ができた(スポーツなどで結果が出せた)」
という言葉をよく耳にします。
これは謙虚なようで、私はどこか傲慢さを感じてしまいます。(論点が違っていたらすみません)
生きることと表現することが別の作品は、いくら技術的に優れていても観る側にとっては心に届かない美しい絵はがきのようなもので終わるでしょう。