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大学の陸上部といえば、基本的にはアマチュアスポーツである。選手は走ることで賞金を獲得しているわけではないし、報酬が目当てでもない。しかし、ここ数年間の箱根駅伝を取り巻く状況をみていると、アマチュアであるにもかかわらず、監督に対しては他のスポーツのプロ並みの要求レベルになっているのではないか、と感じることがある。このところ、成績不振の学校の駅伝監督が、交代するケースが目立っているのだ。
監督の交代劇がリクルーティングに影響を及ぼすこともある。監督を交代させるのは、学校側だったりOB会だったりするが、それにはリスクを伴うことも忘れてはいけない。監督の交代によって、構築してきた人脈が切れてしまう場合があるからだ。「あの監督に預けた」という信頼感が損なわれてしまうと、その後、その高校からの進学者は期待できなくなってしまう。監督の交代が度重なるようだと、「あの大学に預けてもすぐに監督が代わってしまうから」と送り出す高校側もかなり慎重になってしまう。そうなれば肝心の選手獲得が困難になるという悪循環が待っている。
監督は、マスコミに登場することも大切な要素で、露出が多ければそれだけ高校生にアピールする機会も増える。「どんな人なんだろう?」と高校生に思ってもらえれば勝ちである。いろいろな場でのコミュニケーション力が監督には必要になっている。このように、学生スポーツとはいっても、駅伝にたずさわる監督、学生は多種多様な仕事に対応する必要があり、監督に求められているのは指導力だけではなくて、組織を効率的に動かす「マネジメント」の側面が強くなってきたということである。
これは陸上に限らず、たとえばサッカーの女子日本代表「なでしこジャパン」のように、世間からの注目度が高まれば自然と必要になっていく。その意味では、組織を束ねる力がかつてないほど監督に求められるようになっていて、このことからも箱根駅伝は、これまでとは違うステージに突入していることがわかる。
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人生はよくマラソンに例えられますが、最近のマラソンに要求されるレベルの人生は、なかなか面倒だと思います。近年の人気スポーツは、旧来のイメージを背負ったまま、複雑化した現代社会の要請まで背負わされているように感じます。
成績不振の監督を代えれば、そのことによって「風が吹けば桶屋が儲かる」式に無数の人間の人生が変わります。しかし、外側から見て喜んだり怒ったりしている限り、その無数の人生の変化は見えません。スポーツを見て単純に感動してはいけないとも思いますが、単純に感動できないのも悲しいです。