犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

勝間和代著 『お金は銀行に預けるな』

2008-06-03 17:25:03 | 読書感想文
私の後輩で、勝間和代氏に心酔している人がいる。先日も、勝間氏と神田昌典氏(カリスマ経営コンサルタント)のトークライブを聞きに行って、「人生の勝者」となるための貴重な理論を仕入れてきたらしい。彼は『お金は銀行に預けるな』はもちろんのこと、『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』などを何十回も読み込んでいる。あちこちに付箋紙を貼り、赤線を引いたりメモをしたりで忙しそうである。ちなみに、現在はまだインプットの時期だそうで、年収は1.1倍にもなっていないが、実践はこれからとのことである。日本中の人が『年収10倍アップ』を実現させてしまえば経済は滅茶苦茶になるので、10倍は冗談だと思っていた方が身のためである。彼は常々「人生の成功」という言葉を口にするが、まだまだ道は遠いようだ。私の目から見ると、いつも何かに追われているようで、仕事も手が付いていないようだが、本人がいいと言っているのだからいいのだろう。どうも「成功」「勝者」という言葉は、人を拝金主義の信者にさせるようだ。

「金融リテラシー」とは、金融に関する基本的な知識を持ち、それを基に適切な意思決定をする能力のことである。そして、これは人間に先天的に備わっているものではない以上、教育によって身につける必要があり、小学校から株式の仕組みを教えるべきであるとの理論につながる。金融リテラシーの重要性は、すでにアメリカでは常識となっているが、日本ではこれまで一般的ではなかった。しかしながら、経済がグローバル化した現在では、そのような旧態依然たる姿勢は許されない。金融商品およびその販売方法が多様化・複雑化し、金融資産の管理・運用における自己責任と自助努力の重要性が高まっている現代社会においては、金融に興味がないなどと言うことは許されない。お金は銀行に預けていれば済む時代はすでに終わったからである。従って、お金のことが苦手だという人は、その生き方を見つめ直す必要がある。・・・これが本書の主な内容である。

もちろん、エコノミストの理論としては、上記は全くの正論である。ゼロ金利政策が続き、年金制度の不安も増大するするばかりで、ガソリンの値上がりも止まらず、政府も頼りないのであれば、資産運用によって自分の財産を守るしかない。「貯蓄の時代から投資の時代へ」。全くその通りである。しかし、勝間氏のようなエコノミストによる高みの見物ではなく、庶民が強迫観念に駆られて自己の資産を預貯金以外の金融商品に振り向けるならば、これは必ず空洞化する。第1に、経済的な正論によって、政治的な正論が誤魔化されてしまう。すなわち、庶民における資産運用の技術に中心論点が移ることにより、民主主義における政府の金融政策は副次的な問題に後退する。第2に、何よりも人間がお金のことだけに頭を占領されてしまう。資産を銀行に預けて安心していた時代には、人間はお金のことをすっかり忘れて、それ以外の活動に時間を充てるだけの余裕があった。お金に換算できない豊かさである。しかし、四六時中お金のことを忘れられないとなれば、心の休まる時期がなく、お金のための人生で終わってしまう。

すべての人々に金融リテラシーが備わった社会においては、自分の仕事に誇りを持って真面目に働くという考え方は過去の遺物である。街頭における小銭の募金活動をしている暇があれば、金融商品の勉強をして儲けたほうが効率がよい。犯罪被害者が長々と民事裁判を戦って勝訴判決を得たところで、加害者が無一文で泣き寝入りをするのであれば、資産運用をして稼いで生活を立て直したほうが賢い。「加害者からお金を払ってもらうことに意味があるのだ、このお金は普通のお金とは違うのだ」と言ったところで、100万円はどれも同じ100万円だからである。・・・拝金主義が一種の宗教となれば、このような理論が支配的となる。そこでは、金儲けに興味のない者は存在が許されず、誰もが強制的にマネーゲームに参加させられる。人間が人間よりも金を拝むようになれば、当然人間関係はぎくしゃくする。何だか人間は株価や為替の上下に一喜一憂してますます忙しくなり、無理なコンプライアンスを要求しては裏切られて殺伐とし、格差がますます広がって自殺者が増える社会になりそうだが、エコノミストの理論としては正論なのだろう。

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