犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある裁判官の苦悩

2009-07-27 00:10:29 | 実存・心理・宗教
その被告人は公判の間、一度も顔を上げることはなかった。傍聴席からの鋭い視線、すすり泣きの声を前にして、全身を震わせていた。これが演技ではないことは、彼の目にもすぐにわかった。検察官から被告人に対して問われた問題のすべては、恐らく被告人がすでに何度も自分自身に問うていて、それにも関わらず上手く答えが出ないものであると思われた。「なぜ人を轢いたとわかったのに、その場で車を降りて救急車を呼ばなかったのか」。この問いは、恐らく被告人自身によって何回も問われ、そのたびに「怖くなって逃げてしまった」との稚拙な回答しか絞り出せず、それを聞く者を苛立たせ、さらに被告人を絶望に追い込んでいるものと想像された。真剣に自分の犯した罪に向き合う者は、最後には同じ壁に当たって言葉を失う。すなわち、時間は戻らず、過去は変えられず、死者は帰らない。特例判事補になってまだ間がない彼にとって、担当してきた裁判は数えるほどしかなかったが、ここまでの自責の念によって絶句し、反省の弁も出ない被告人は初めてであった。

検察官は被告人に対し、懲役3年6月を求刑した。瀕死の被害者を置き去りにして逃走する悪質かつ卑劣な犯行であり、しかも公判廷において具体的な反省・謝罪の言葉が聞かれなかったというのがその理由である。死亡事故において検察官が懲役刑を求刑するか、禁固刑を求刑するかは、示談の有無や反省の程度などに応じて、大体の相場が決まっている。そして、懲役刑は刑務所の中で労働の義務を負うのに対して、禁固刑には労働の義務はない。現実問題としては、禁固刑の受刑者の9割は、鉄格子に向かって正座し続けることに耐えられず、懲役刑の受刑者とともに刑務作業をしているそうである。彼は、検察官の懲役刑の求刑を聞き、前例踏襲に縛られた官僚的な求刑だと思った。刑務作業をしていては、自分が奪った命の正面から向き合う機会が奪われてしまう。この被告人は、おそらく禁固刑受刑者の1割として、一日中鉄格子に向かって正座し、自分の人生に向き合うことを望むだろう。いや、望まなければならない。これは、裁判官という職業を離れた彼の人間的直観であり、人の命を奪った者に対しての最低限の期待であった。

判決の日が来た。彼が裁判官席に着席すると、傍聴席の真正面の遺影が目に入った。亡くなった人に判決を聞かせたい。実証主義を至上命題とする社会科学にとっては、これほど非合理的な人間の行動はないはずである。判決文に「死亡させた」と書いてあるならば、その者が判決を聞けるわけがない。逆に、判決文に「死亡させた」と書いてなければ、写真ではなく本人が法廷に来ればいい。彼は、この現実から目を逸らし、慰めの対象として被害者を捉える欺瞞的な視線が耐えられなかった。そして、自分は法律家としてこの視線に染まることなく、遺影の視線に正面から向き合うことを決意した。彼は、被告人に向かうと同時に、その真後ろにある遺影に向かう覚悟で、判決を読み上げた。「被告人を禁固2年に処する」。彼は判決の最後に、被告人に対する説諭を行った。「あなたは、遺族の方が『すぐに救急車を呼んでくれれば命はあったと思います』と述べた時、最も激しく顔を歪めました。さらに、弁護人が『被害者は即死です』と異議を述べようとしたのを、後ろを向いて制しました。その気持ちを一生忘れることなく、自分自身の人生に向き合って下さい。そして、亡くなった方の人生に向き合い続けて下さい……」

彼が裁判官室に戻って数時間後、書記官が真っ青な顔をして飛び込んできた。「大変です。判決に過誤がありました。禁固刑は選択できません」。書記官の話を聞くうちに、彼の全身からは脂汗が出てきた。道路交通法72条1項前段により、交通事故があったときは、運転者は直ちに車両の運転を停止して、負傷者を救護しなければならない。そして、道路交通法117条1項により、救護義務違反を犯した者は5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられ、さらに117条2項により、人の死傷が当該運転者の運転に起因するときには、10年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられる。他方で、刑法211条2項前段により、自動車の運転上必要な注意を怠って人を死傷させた者は、7年以下の懲役もしくは禁錮又は100万円以下の罰金に処せられる。そして、刑法45条・47条本文により、併合罪のうちの2個以上の罪について有期の懲役又は禁固に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその2分の1を加えたものを長期としなければならない。すなわち、この事件については、条文には禁固刑が定められていても、実際には禁固刑を言い渡すことができなかった。人の命を奪う罪よりも、人の命を奪わない罪のほうが刑が重いということである。

その数分後より、彼のデスクの電話は鳴りっぱなしになり、廊下もドタバタと騒がしくなってきた。すでに判決の訂正はできないため、検察側によって高等裁判所への控訴が行われた。また、弁護人が連絡したのか、マスコミまで駆けつけ、地方裁判所所長は「司法に対する国民の信頼を揺るがす問題だ。あってはならないことで、再発防止に努めたい」とのコメントを出した。部総括裁判官は、彼を激しく叱責した。「法律のプロである裁判官が条文も使いこなせないなんて、言語道断だろう。恥ずかしくないのか。俺の顔を潰す気か。いい加減にしてくれ」。初歩的なミス。出世レースでの致命的な汚点。気の緩み。エリートコースより早くも脱落。彼の周りで飛び交う単語の真ん中で、まるで台風の目の中に逃げ込むように、彼の心は全く別の場所に飛んでいた。高等裁判所の裁判官は、あの被告人に対して、裁判所のミスを深く謝罪するだろう。不安定な身分である未決勾留が続き、被告人の人身の自由を侵害したことについて、平身低頭の限りを尽くすだろう。果たして被告人は、その後でも、あの判決の時のような気持ちで亡くなった方の人生に向き合い続けられるだろうか……。しかしながら、被告人に対する人権侵害を第一次的に謝罪しなければならない立場の彼にとっては、そのような悩みを持つこと自体、分不相応かつ不謹慎であった。


(フィクションです。)

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2 コメント

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Unknown (robita)
2009-07-31 15:37:56
こんにちわ。
興味深いお話ですね。
今日の記事で取り上げさせていただきました。
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こんばんは。 (某Y.ike)
2009-08-02 00:39:39
ありがとうございます。
拙文を基に別の方向に論理を展開して下さることを嬉しく思います。
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