犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

松本清張著 『砂の器』 その1

2009-10-17 23:58:50 | 読書感想文
上巻 p.281~
「成瀬さん、お電話ですよ」。管理人のおばさんだった。おばさんの後ろについて廊下を歩いた。電話機は階下の管理人の部屋にある。送受器ははずしたままで置いてある。「もしもし。成瀬でございます」。リエ子は送受器に耳を当てて小さな声を出した。そこに管理人がいるので、縮んだような遠慮した声だった。「困ります」。成瀬リエ子はしきりと当惑していた。彼女は、そこに他人がいるので、はっきり言えないらしい。自然と言葉は少なくなった。


上巻 p.354~
今西の頭に何かがひらめいた。彼は、はっとした。彼は表情が変わっていた。それまでのんびりしていた顔つきが緊張した。「今日、おれが買ってきた週刊誌は、どこにやった?」 台所の方で、妻の声が答えた。「あら、わたし、いま読んでいるわよ」。今西は、煮物をしながら、できるのを待っている妻の手から、週刊誌を奪い取った。今西は、時計を見た。7時を過ぎている。が、まだ雑誌社にはだれか居るはずだ。彼は家を飛び出して、近所の赤電話に取りついた。


下巻 p.440~
各新聞の綴込みは別な紐でくくられて、うず高く積み上げられてある。今西は探したが、3、4冊下のところに目的の新聞がはさまっていた。今西は、それを明るい窓の下に持ち出して、およその見当で日付を探した。探すときは、なかなか見つからないものだった。かなり手間をかけたあと、ようやく見覚えのある記事にゆき当たった。相当長い。今西は手帳を出してそれを筆記しはじめた。細かい活字を写すのは苦労である。しかし、今西の心は躍っていた。彼はかなり手間をかけてそれを写し、新聞綴りを閉じた。


***************************************************

今年は松本清張生誕100年にあたり、新聞でも書評をよく見かけます。上に引用した部分に象徴的にみられるように、携帯電話もなく、インターネットによる検索も存在せず、それどころかコピー機も行き渡っていない時代の小説を読んでみると、改めて色々なことが感じられます。

ネット上では、昭和30代の日本の風景が懐かしいという肯定的な評価、あるいは現代から見れば時代錯誤であるという否定的な評価、はたまた当時の時代背景に溶け込むのに難儀したという感想など、色々な意見が飛んでいるようです。私はただ、便利な機械の発明によるスピードに、人間がものを考えるスピードが付いて行けているのかとの疑問を感じるのみです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。