犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

長尾龍一著 『法哲学入門』

2007-05-29 20:04:12 | 読書感想文
法哲学の第一人者である碧海純一東大名誉教授の言葉に、次のようなものがある。「法哲学とは何か。この問いに対する答えは、厳密にいえば、法哲学者の数だけある」。長尾龍一教授は、本文中でこのように述べている。「法解釈の客観性に限度があることを指摘して、実定法学者の独善に水をかけることも、法哲学の大きな役割である。法哲学の任務は、何よりも実定法学の批判であり、哲学と法学は逆接的関係に立たなければならない」。

現在の法哲学の議論は、アカデミックなテーマに集約されてきている。法の概念論や正義論、法思想史、自然法と実定法との関係などである。こうしたテーマの細分化は、現実の世の中との乖離を招くという弊害が指摘されている。スコラ的な議論に陥って、「木を見て森を見ず」になってしまう。そこでは、生きることと学ぶことが別になってしまう。これは、論理的にはあり得ない事態である。生きることは学ぶことであり、学ぶことは生きることと別物ではあり得ない。

19世紀の科学主義、実証主義の流れは、法律学と哲学の双方をスコラ的な議論に陥らせた。「知の知」である法律学と、「無知の知」である哲学とは、いずれもそれぞれの道においてマニアックな空理空論に走ることになる。法律学は現実の世の中の動きを差し置いて、100年に1回起きるか起きないかわからないような事件をめぐる問題に議論が集中することになる。これは現在でもあまり変わらない。法律学における犯罪被害者の存在の見落としも、このような大きな流れの中にある。法哲学は、この法律学と哲学の双方のデメリットを引き継ぐことになった。

法律家に必要な制度的思考様式のことを、リーガルマインドという。法律の実際の適用に必要とされる柔軟・的確な判断力である。犯罪被害者の立場から見てみるならば、このリーガルマインドというものも、犯罪被害者の存在の見落とす1つの原因である。法律家は一般人とは異なる能力を持っているという特権意識は、被害者の声を1人の人間として聞くことができず、変形した上で受け取ってしまう危険性につながる。リーガルマインドを有する法律家からは、法が生き物に見えなければならない。この法の擬人化は、その反面として実際の人間を殺すことにつながる。犯罪被害者の視線に立ってみれば、リーガルマインドの負の面もよく見えてくる。

法哲学とは、法哲学者の数だけある。法哲学の大きな役割は、法解釈の客観性に限度があることを指摘して、実定法学者の独善に水をかけることである。犯罪被害者保護法制について、刑事法の枠組を超えて、法哲学的な視点を持つことは有用なことである。

(このブログのタイトルは、碧海教授のお言葉に甘えさせて頂いたものです。また、このブログの内容は、長尾教授のお言葉に甘えさせて頂いたものです)

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