犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

フジテレビドラマ 『地下鉄サリン事件から15年』 (1) 事件について考えていたこと

2010-03-21 23:57:18 | その他
 15歳の中学生に「地下鉄サリン事件なんて知らない」と言われてしまえば、私には返す言葉もありません。風化とは時間の別名のようにも感じられます。そして、人間の外側の時間が過去から未来に流れているように感じられる限り、風化させまいとする意志は、自然の流れに逆らう苦しい戦いになるのだと思います。
 死刑判決確定後も再審請求や死刑執行停止で闘っている元被告人や弁護団にとっては、地下鉄サリン事件は風化どころではないでしょう。しかし、この程度の戦いであるならば、死刑が執行されてしまえば終わりです。また、未だに逃亡している3人の指名手配犯にとっても、事件は風化どころではないでしょう。しかし、やはりこの程度の戦いならば、素直に自首すれば簡単に終わります。

 人が風化との戦いによって、人間が人間であり続けるための証しを示しているのであれば、それは「あの日から時間が止まっている」という感覚と表裏一体なのだと思います。世間的な価値観からすれば、恐らく苦しい記憶は忘れてしまった方が楽ですし、損得勘定からすれば、過去を捨てて新しい人生を歩みだしたほうが得なのでしょう。しかし、現に人間存在のあり方は、はるかに複雑かつ深遠な様相を呈しているように思います。
 私は、地下鉄サリン事件を昨日のことのように思い出しますが、それはテレビや新聞を見て驚いている記憶であり、事件のフラッシュバックで苦しむ記憶ではありません。また、事件当日で時間が止まった記憶でもありません。従って、私には風化を阻止する資格はないのですが、それでも、風化を絶対に阻止しなければならないという直感のようなものがあります。

 私は法学部を出てすぐに裁判所に就職したこともあり、地下鉄サリン事件についても、 法律的な捉え方から自由になれませんでした。法律の専門家は、「無知な一般庶民の感情」を無意識のうちに一段低いものとして見積もっていました。
 林郁夫被告の裁判の第1審で無期懲役が求刑され、そのまま無期懲役判決が出て確定したのは平成10年のことでした。井上嘉浩被告に第1審で無期懲役判決が出たのが平成12年、第2審で死刑判決となったのは平成16年でした。そして、法律の専門家による判例評論は、例によって非常に盛り上がりました。論点の中心は、永山基準(犯罪の性質・動機・殺害方法・被害者数・遺族の被害感情)の正しい解釈のあり方、今後の判例の展開などです。また、オウムの裁判は、ある意味で死刑廃止論の試金石にもなっていました。

 専門家同士の議論は、いつも賛否両論という形で、自分の意見を他人に認めさせるための論証という形態を採っていました。すなわち、一見論理的でありながら、すべては自分の感情を正当化するための理屈の組み立てに過ぎないということです。ゆえに、最後は神学論争に陥って勝負がつくことがありませんでした。これは、自分の感情を俯瞰した上で、それを客体的に説明するという意味での論理ではないということです。
 そして、専門家によって提示されるのは、単に思考の技術であり、事後的な解釈であり、生きることと考えることが別々になった上での解説でした。それは理論武装であり、論破の勝負であり、客観的であり、ゆえに他人事でした。このパラダイムに拠る限り、主観的な全人生を語る以外には語れない被害者や遺族は、「感情的で冷静さを欠き正しい裁判の障害となる存在」として捉えられざるを得なくなります。その結果、「厳罰感情」「被害感情」をいかに扱うかという問題だけが残されました。

 刑事政策は社会政策であり、「なぜ人は犯罪を犯すのか」「犯罪を犯さないためにはどうすればよいのか」という問いの入口が固定しています。そのため、自由意思と決定論の原理的な対立があり、それが折衷説で妥協されるなどして、ますます理論と実務の乖離を招いてきました。改めて「実務と理論の融合」が図られなければならないということは、生きることと考えることが別物になっているということです。
 こうなると、自由意思も何も議論の余地のない受動態の被害者の側から問いを立てられると、答えに詰まることになります。生きることと考えることが完全に一致せざるを得なくなっている場合には、それを何かの説明や解釈にすり替えて誤魔化すことができません。加害者の側は、「私が犯罪に追い込まれざるを得なかったのは社会の責任である」という最強の答えがありますが、被害者側には答えがないからです。

 その当時のいかなる法律専門家も、「二度と地下鉄サリン事件のような悲劇を起こしてはならない」「この事件を風化させてはならない」という大義名分を有しつつ、この犯罪と裁判を論じていたように記憶しています。ところが、15年経った今、次々と起きる新たな問題に追い立てられて、その議論も風化して見る影もありません。
 事件を風化させまいとする意志は、世間一般の時間の観念に逆らう苦しい戦いにならざるを得ないと思います。それは、「失われた10年」「昭和30年代ブーム」「100年に一度の不況」「20年後の日本」「幕末ブーム」などの時間の流れの前には、多勢に無勢でしょう。しかしながら、この事件を被害者として語る資格のない私には、せめてリアルタイムで事件の報道に居合わせ、何の縁か某幹部の裁判に立ち合っていた記憶を言語化しておかなければならないという強い直感のようなものがあります。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
語る資格 (Y.F)
2010-03-26 00:05:14
私は地下鉄サリン事件の時、間一髪で被害にあわずにすみましたがしばらく地下鉄に乗る事ができませんでした。今も被害者の方達の話しを聞くと熱いものがこみあげてきますが、地下鉄に対する恐怖は薄らいでしまいました。

けれども私は「あの日から時間が止まっているという感覚」を理解することが出来ます。私の中でも時間が止まっているからです。ただ、私の時間が止まったのはサリン事件よりはるか昔なのですが。

「世間的な価値観からすれば、恐らく苦しい記憶は忘れてしまった方が楽ですし、損得勘定からすれば、過去を捨てて新しい人生を歩みだしたほうが得なのでしょう。しかし、現に人間存在のあり方は、はるかに複雑かつ深遠な様相を呈しているように思います。」本当にその通りだと思います。ただ、その深遠さを表現するのは私を含む多くの人たちにとってはとても難しいです。

あなたは、事件を風化させない資格、被害者の気持ちを語る資格がご自分に無いと書かれています。

被害者が沢山いる中、なんとか勇気を振り絞って声をあげた被害者も、他の被害者の気持ちを代弁する資格が自分にあるかどうか自問自答しています。

被害者が一人だけという場合でも、その心には様々な感情が渦巻いていて、言葉にしたとたんにウソのように思えて口を閉ざしたくなります。

そして事件の最大の被害者は死んでしまってその苦しみや無念さを語る事が出来ません。

私はあなたには十分語る資格があると思います。
返信する
Y.F様 (某Y.ike)
2010-03-28 21:01:37
私の独りよがりな文章をご丁寧にお読みいただき、過分なるコメントまで下さり、ありがとうございました。自分の文章を読み返してみると、どうしても「私は当事者ではない」という優越感が滲み出てしまっていて、冷や汗が出ます。

お返事のコメントを書いているうちに、長くなってしまったので、「言葉にしたとたんにウソになる」という記事にしました。よろしくお願いします。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。