犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

山田風太郎著 『戦中派不戦日記』 その3

2008-08-15 22:24:59 | 読書感想文
人間が歴史の中で生きている限り、歴史認識を巡る議論は絶えない。しかしながら、党派党略による政治的な議論は、単にそれぞれのイデオロギーからの遠近法によって歴史を認識しているだけの話である。従って、収まりがつくことがない。そして、「未来志向」の一言でまとめようとすれば、「過去の清算なくして未来もあり得ない」との反論が起こり、振り出しに逆戻りとなる。

このような党派的な歴史認識を厳しく拒絶するのが、戦争当時の日記や手記の類である。それも、新聞でも書けるような情報を述べたものではなく、克明に自らの心理描写を行ったものである。23歳の山田誠也青年は、(その当時の)現代社会への洞察力を以て、50年後の日本の姿を想像し、さらには後世の歴史家の解釈をも想像して、その過程を余すところなく書き付けた。時代は、いつもこのような人物による1人称現在形においてその姿を現わす。戦争の記憶の風化を防止するのは、このような日記や手記である。


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★ 昭和20年9月1日(土) の日記

 新聞がそろそろ軍閥を叩きはじめた。「公然たる闇の巨魁」といい、「権力を以て専制を行い、軍刀を以て言論を窒息せしめた」といい、「陛下を盾として神がかり信念を強要した」という。そして。――「われわれ言論人はこの威圧に盲従していたことを恥じる。過去の10年は、日本言論史上未曾有の恥辱時代であった」などと、ぬけぬけと言う。
 さて、この新聞論調は、やがてみな日本人の戦争観、世界観を一変してしまうであろう。今まで神がかり的信念を抱いていたものほど、心情的に素質があるわけだから、この新しい波にまた溺れて夢中になるであろう。―― 敵を悪魔と思い、血みどろにこれを殺すことに狂奔していた同じ人間が、1年もたたぬうちに、自分を世界の罪人と思い、平和とか文化とかを盲信しはじめるであろう!
 人間の思想などというものは、何という根拠薄弱な、馬鹿々々しいものであろう。


★ 昭和20年10月17日(水) の日記

 一度は開闢以来のクーデターを思いつつ、ひとたび下った御聖断に、そこまでいっては末代までの不忠の臣となると思いとどまった阿南陸相。聖断に従わんとする上官を斬ってなお戦わんとした将校、マリアナに最後の殴り込みをかけようと飛び立っていった特攻隊 ―― これらの分子を含みつつ、綸言には絶対服従すべきであるとして崩壊していった大陸軍 ―― われわれは、この苦悶の激動の中に、「後世の史家がすべてを証明してくれるだろう」と屠腹の血を以て書き残していった一軍人の叫びに全幅的に共鳴する。


★ 昭和20年11月15日(木) の日記

 突如何を思い出したか平和論一席あり。先日若きアメリカ将校と論ずる機会あり。愛は無限なれど憎は殺戮にて極まる。愛の哲学のすぐるることこの一事にて明らかなりといいしところ、アメリカ将校大いに共鳴せりと。だれだってかかる平凡の論には同意すべし。いったいに教授連の異口同音の平和礼賛ことごとく敗戦の事実とかけ離る。日本に訪れし平和は、剣にて刺されたる屍の静寂にあらずや。

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