犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

柄澤昌樹 編著 『クレジット・サラ金の任意整理実務』

2009-10-11 01:34:51 | 読書感想文
弁護士の本音(p.149~)

依頼者に対し、有利不利を問わず全てを打ち明けてほしい旨説得してもなお、代理人に虚偽の事実を告げ、あるいは、必要な事実を告げない場合がある。債務整理事件の依頼者は、往々にして合理的行動がとれない人や、自己に不都合な事実を秘匿する癖のある人なのであり、些少の虚偽申告が受任後判明したからといって、代理人が短気を起こし辞任してはならない。根気強く説得し、不利益な事実も代理人に告げる事が自己の利益につながることを理解させるべきである。具体的事例としては、借入先を過小に申告する場合が、多く見られる。

債務者は法的知識につき素人であるため、法的に借り入れであるのに、その認識を持っていないこともある。保証人、親族、恩人を意図的に除外する例もある。とりわけ多重債務の依頼者は、代理人に対して借財の全容について秘匿したがるものであることを肝に銘じ、相談の当初より虚偽の申告を看破するよう心がけるべきである。依頼者の中には、自己の素人判断や、不合理な根拠によって一部債権者へ減額することなく、優先的に弁済を行いたいとして、債務整理の範囲から除外することを希望する者もいる。このような考えに対して代理人は、不合理あるいは不平等な取扱いの不当性を指摘し説得に努めるべきである。


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依頼者の本音

弁護士から見れば、ただの借金かも知れません。額が多いか少ないか、利息が高いか安いか、仕事をする上での関心はそれだけでしょう。しかし、債務者の数だけ借金があり、1つとして同じ借金はありません。会社の都合でリストラされた人、自分の精神がもたなくなって会社を辞めた人。長年続けていた自営業が時代の流れで落ち込んだ人、一念発起した起業に失敗した人。ボーナスがカットされて住宅ローンが支払えなくなった人、給与すら遅配になってアパートの家賃も払えなくなった人。人間ドラマなどという感傷に浸っている余裕はありません。生きるか死ぬか、現実そのものです。「債務整理事件の依頼者は、往々にして合理的行動がとれない人や、自己に不都合な事実を秘匿する癖のある人である」という風に見えるのは、人間を見ず、数字しか見ていないからでしょう。このような考え方しか持てない弁護士には、信頼して借金の相談などできません。

虚偽の事実を告げる、必要な事実を告げないという捉え方は、あくまでも安全地帯にいる第三者の視点です。現に債務者としての人生を生きている当事者には、そのような呑気な視点に安住することはできません。借金を申し込む時には、その時それぞれのどうしようもない窮状があります。そして、そのような過去の瞬間をすべて含んで、債務者は現に債務者の人生を生きています。お金がないという惨めさ、お金がないというだけで頭を下げ続けなけばならない情けなさは、それによって人間としての最低限のプライドの存在を証明してしまいます。取り立てによる借金地獄も、最初に借金をしたのは自分自身であり、自分が招いた事態だという一事によって、責められるのはどこまでも自分自身です。この攻撃の行き着く先は、自らの死です。ゆえに、生きたい、死にたくないという本能は、これと向き合わなければなりません。

お金を借りたこと、お金が返せなくなったことは、消したい過去、忘れたい過去です。これは、お金を返すことを過去のものとするための債務整理の場において、より強く認識されるものです。お金を借りなければならなくなった瞬間、あるいはお金が返せなくなった瞬間。この心理的に袋小路に追い詰められる心情が悪夢のように蘇ってくるとき、わずかに残った人間の誇りはなぜか叫び声を上げます。それは、自分が「人生の敗者」である現実を突きつけられ、過去は永遠に消せない事実に直面したとき、それでも死ではなく生を選ぶ人間の唯一の選択肢です。業者への借金は返せなくても、親族や恩人への借金は返したい。保証人だけには迷惑をかけたくない。このように思うことは、人間が人間であることの証明であり、見栄や保身はなく、ましてや「不合理」「不平等」という単語で説明し尽くせるものではないでしょう。この微妙な人間心理を共有できず、「何で隠し事をするのか」と怒るような弁護士は、やはり人柄が信頼できません。

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