犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

人権思想の行き詰まり

2007-03-01 19:05:51 | 実存・心理・宗教
被害者保護の世論の高まりは、人権問題に長年携わってきた人権活動家にとっては苦々しいはずである。市民が連帯して国家刑罰権を監視するというイデオロギーが市民の間から崩される動きだからである。この動きを人権思想の行き詰まりという観点から整理するならば、やはりニーチェの思想を避けては通れない。ニーチェは「神は死んだ」と述べてキリスト教の終焉を予告したが、現代風に言えば、「人権は死んだ」というところだろう。天賦人権論は、キリスト教から自然法思想を経た思想だからである。

ニーチェが近代最大の思想家と言われるのも、唯一絶対的な真理という宗教的なものに懐疑の目を向け続けるという姿勢に基づいている。それは直接にはキリスト教であったが、懐疑の目は近代啓蒙思想、近代哲学、さらには無神論にも向けられている。そこには深いニヒリズムの感覚とともに、人間の生を肯定的に捉えるニーチェ独特の思想がある。

人権という唯一絶対的な真理を信じて生きることは、実存的不安に直面しつつ生き抜く姿勢の対極にある。人間が人権というものを基準にして生活を送ることは、人間の自然な行動として端的に不自然である。被害者の間からは、率直な感情として「加害者の権利ばかりが保障されて被害者が軽視されている」という本能的な声が上がっている。この本能は、人間的な、あまりに人間的な声である。

人権思想は、被害者を置き去りにするという弊害をもたらした。市民が連帯して国家刑罰権を監視するというイデオロギーは、市民を絶対的な善の地位に置き、国家権力を絶対的な悪の地位に置いた。市民の国家権力に対する正義の戦いは、時には被害者を悪の側に位置づけ、時には被害者を全く眼中から排除して、聖戦の巻き添えにした。被害者の人権論というアンチテーゼは、人権活動家の主張する人権論そのものの中に含まれる矛盾の必然的な露呈である。

細分化した法律学は、これまで全くニーチェの思想を取り入れてこなかった。しかし、人権思想の行き詰まりに直面して、現代思想の最大の潮流を避けて通れるわけがない。ニーチェは心理学者でもあり、人間の心の根源にある微妙な働きを的確に指摘し、それを簡潔な言葉で表現している。法律学は人間に関する学問であるが、客観性を重視しすぎたために、人間の心理的な面を疎かにした。被害者の悲しみや怒りを人権思想というパラダイムから説明しようとする方法は、根本的な矛盾をはらんでいる。

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