犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

稲垣重雄著 『法律より怖い「会社の掟」』

2009-06-18 00:56:50 | 読書感想文
この本は例によって、「現代社会の病理を一刀両断し、日本社会が抱える問題を根本的に解決する本」である。そして、稲垣氏は日本の企業に不祥事が続く理由について5つの視点を提示している。すなわち、(1)日本の近代化は革命によるものではないため、未だ近代法の考え方が社会の基本原理となっておらず、日本人には立法の当事者であるとの意識がない。(2)従って、日本人は今でも対人関係を重視し、契約ではなく話し合いによって行動しており、社会的正義の絶対的規準が存在しない。(3)このような日本人が集まった会社では、社員の情緒的な結びつきが強く求められ、身内意識で強く結ばれることにより、共同体の維持・存続が強く志向されている。(4)日本の会社はこのような性質を有するため、社内には明示されないルールがあり、社員は国の法律や一般道徳よりも社内のルールを優先して守るようになる。(5)こうして成長した会社では、安定志向による会社の維持が最優先となり、設立当初の目的が忘れられ、企業犯罪が起きたり不正が隠蔽されたりする。

稲垣氏の理論は非常に明快で、まさに「現代社会の病理を一刀両断し、日本社会が抱える問題を根本的に解決する本」である。非の打ち所がない。唯一の問題は、この本が去年の4月に出てから1年以上経っているのに、この本によって日本社会が抱えるすべての問題が根本的に解決されていないことである。理論を実証する期間としては、流れの速い現代社会では、1年以上というのは長すぎる。このような「すべての問題を根本的に解決する本」は、ここ十数年、毎月毎月大量に出ては書店に平積みにされ、いつの間にか消えている。そもそも、「この1冊ですべての問題を一挙に解決できる」という触れ込みであれば、そんなに毎月何冊も本が出ていることの説明がつかない。そして、この説明がつかないからこそ、何年経ってもこの手の本が毎月次から次へと出ているのであって、この1冊ですべての問題を一挙に解決できる」ならばそれ以外の本はとっくの昔に消えているはずである。

稲垣氏の本が出た1年前から比べると、現代のトピックは企業の不祥事から雇用不安に移ってしまった。(1)日本には近代化に際して市民革命がなかったと言われても、そんな昔のことよりも今の景気のほうで手一杯である。(2)そして、日本では契約より話し合いを重視するのであれば、それに従っておくのが賢い。余計なことをしてリストラされて人生設計が崩れても、誰も助けてくれないからである。(3)また、会社では共同体の維持・存続が求められているのであれば、それに乗るしかない。小難しいことを考えたのが原因でクビを切られ、無職になって住む所がなくなったのでは泣くに泣けないからである。(4)法律や道徳よりも社内のルールを優先して守っているのであれば、それに従うのが賢い。社内のルールを改革しようとしたのが原因で会社が業績不振となっても、誰も面倒を見てくれないからである。(5)会社の不祥事は、どんな理由があっても、必ず隠蔽されることを欲する。会社が不祥事を経て何年もかかって生まれ変わろうと決意した挙句、数年で倒産してしまっては悲劇だからである。

日本の会社にコンプライアンス、CSRが定着しないのはなぜか。それは、人は誰しも衣・食・住が充足されなければ死ぬからであり、衣食足りて礼節を知るからである。雇用不安という生死に直結する問題を目の前にすれば、企業のCSRのような生死に直結しない問題が後回しにされるのは当然である。日本国の歴史的沿革、風土、日本人の法意識、日本社会の体質を議論せよと言われたところで、目の前の自分の生活を差し置いて議論するような話でもない。企業の幹部がずらっと並んで頭を下げる光景を見ても、今や腹が減っては怒りも湧かない道理である。総選挙を目の前にして、今やどの政党も「国民の生活を守る」しか言わず、稲垣氏の述べるレベルからは非常に低いところの争いになっている。そもそも、社会や会社というものには実体がなく、人間の集まりに過ぎない。そして、社会も会社も、100年もすればその構成員は完全に入れ替わる。他方、その実体であるところの構成員のほうは、初めての人生を生きている。その実体のないものに永続性を認め、それを構成している人間の入れ替わりを見落としてしまえば、どんな理論も「人は食えなければ死ぬ」という単純な事実に勝てない。

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