犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

佐野洋子著 『役にたたない日々』

2008-08-26 21:20:26 | 読書感想文
p.146~

2ヵ月位前、六本木ヒルズというところに初めて連れていってもらった。高いところからぐるりと夕暮れの東京を見た。私はSFの世界に落とされたかと思った。

びっしりとかさぶたのようにどこまでもどこまでも建物に埋めつくされていた。青灰色の夜の初め空の下で、果てしない東京は哀愁に満ちて、何かがこみ上げて来るような気分になった。このかさぶたのように地球にはりついたものを人の営みというのだろうか。SF映画の空中からの都会の俯瞰図を見ているようで、私には人の営みにリアルに思いをはせるには巨大すぎた。

大都会にはりついたかさぶたのようなもの、これは地球のガンだ。薄気味悪く増殖し続けるガン細胞、東京ばかりでなく、香港もサンフランシスコもロンドンもカサブランカも大都会は地球にばらまかれたガンだと思った。巨大な中国、インド、アフリカも新しいガン増殖に懸命なのだ。人類はそのようにプログラミングされている生き物なのだろう。


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すべての物体は、かさぶたのように地球に貼り付いている。日本で高い建物に昇れば昇るほど、地球の裏側のブラジルからすれば、下に降りて行くことになる。地球の側から見てみれば、地球には上も下もなく、表も裏もない。ブラジルから見れば、日本は地球の裏側にある。


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p.225~

サトウ君の家で古い西部劇を見た。映画が終わった時、「アッ、これ見た。今気がついた」とサトウ君が云った。ヒッヒッヒッ。嬉しいね。

「オイ、マリコ、あれ」
「あれって云ってもわかりません」
「アレだよホラ、アレ」「だからわかんないって」と云ったかと思うと、「マリコ、アレ取って」「わかった」と云う事もある。
アレ、ソレ、あそこ、ここ、代名詞の連発である。同年輩が集まると、アレ、コレ、ソレ、思いちがい、勘ちがいである。

このごろ私は何かをしようと思って立ち上がる。
立ち上がった瞬間、何のために立ち上がったか忘れる。
呆然と立ち尽くす。日に何度もである。呆然と立ち尽くす。
恐怖がおそうが、立ち止まって、頭を自分でポカポカなぐって、「何だっけ何だっけ」と叫んでいる友人もいて、少しほっとしたりする。


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客観性とは何か。客観性を失う恐怖に直面している人に対しては、どんなに理屈を並べても勝てない。

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