犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

中島義道著 『哲学者というならず者がいる』 その3

2007-07-17 17:32:09 | 読書感想文
政治家や多くの国民は、新しい選挙が始まると、前の選挙のことを完全に忘れる。一昨年の郵政解散に始まる9・11衆議院議員選挙では、「刺客」「小泉劇場」「小泉チルドレン」といった流行語も誕生し、自民党が圧勝した。結果論として、自民党の圧勝の原因については何とでも言える。それでは、今度の選挙についてはどうなのか。そう言われてしまうと、評論家は何も言えなくなる。これが時間の不思議、「今」の不思議である。

人間が過去の選挙結果を客観的に評価することは簡単である。これに対して、その選挙の期日前の時点における自分自身の心情を見つめることは難しい。絶対に勝つと思っていたのに負けてしまった。そうだとすれば、今回の選挙も同じことではないか。しかし、なぜか今回の選挙は勝ちそうな気がする。この繰り返しである。ハイデガーに言わせれば、時間性に鈍感な現代人の頽落というところである。


p.103~より 抜粋

一番おもしろかったのは、選挙にまつわる夥しいジャーナリストや評論家や学者たちの言葉遣いである。「なぜ、自民党は圧勝したのか?」「なぜ民主党は惨敗したのか?」という「なぜ」に対するさまざまな勝手きままな説明である。それは、哲学的に興味の尽きない因果律に関する言説の宝庫である。

自民党が圧勝した「原因」は、国民の多くが構造改革を求めていたためである、自民党のマニフェストがわかりやすかったためである、小泉首相の人間的魅力のためである……。因果関係とは、「見えるもの」を「見えないもの」によっ「引き起こされた」と説明することなのだ。従って、原因を求めるとは、「自民圧勝・民主惨敗」という「見えるもの」を引き起こした、とみなされる「見えないもの」を求めることである。

(続く)

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