犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その58

2013-10-14 00:16:38 | 国家・政治・刑罰

 電話を切ると、私はまた一瞬で気持ちを切り替えて元の仕事に戻る。「お待たせして誠に申し訳ございません」というお詫びのポーズの裏には、「私はこんなに沢山の事件を任されて忙しいんです」という愚にもつかない見栄や、「あなたの事件だけに時間はかけられないのです」という察しを求める意思表示がある。

 本来、加害者と被害者の間に入って究極の「誠意」や限界的な「謝罪」を論じ、「一生涯反省し続ける覚悟である」などと述べる立場の者は、自己欺瞞に染まってはならないはずである。しかしながら、この点を誠実に生きようとすれば、私は激しく神経を消耗し、精神を病む危険が大きくなる。これはただの独り相撲である。

 2通の手紙のうち、加害者からの手紙には、明らかな政治的意図が付与される。それは、手紙を出すことそれ自体に意味があり、反省の情を示すものであり、内容は型通りでよいということだ。「お詫びの言葉もなく筆が進まなかった」という者のほうが、実際には謝罪の意志を示さずに逃げたとの非難を受けてしまうからである。

 言うなれば、加害者からの手紙は、債務者から債権者に対する借金返済の猶予の申し入れに似ている。会って直接話したくはないが、手紙も出さなければますます気が重くなる。そして、向こうに受け取らせてしまえば、アリバイ作りの第1段階は完了である。極端な話、文面は別人が考えても構わないし、代筆でも構わない。

(フィクションです。続きます。)