犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その56

2013-10-11 23:03:44 | 国家・政治・刑罰

 法律実務の現場において垂直的思考が不可能なのは、同時並行でいくつもの案件を進めているからである。その打ち合わせの際にも、私への電話が何本かあり、話は中断した。目の前の依頼者と電話の相手方のどちらを優先させるかは、その時々の判断によるしかない。気持ちを瞬時に切り替えることと、1つ1つの話に親身になることは、生身の人間において実際に矛盾を生じるものである。

 電話の1つは、電車内での痴漢の件の刑事弁護を引き受けている依頼者の男性からであった。在宅で取り調べを受けている容疑者であるが、担当の副検事からは、示談が成立すれば不起訴が相当との見解を示されている。その男性はかなり焦っており、連日のように途中経過を電話で尋ねてくる。正直に言って仕事の邪魔である。「クレーマー当事者」とのレッテル貼りをすれば、私の心は楽になる。

 「相手方の留守電に事務所から何回かメッセージを残したのですが、まだ返事が……」と私が言いかけると、男性は「人のせいにしないで下さいよ。どれだけ待たされるんですか?」と激怒する。私は、「少しは自分の罪を反省して下さい」という言葉を飲み込み、「催促は逆効果です。相手があることですから……」となだめる。お金をもらってサービスを提供することは、善悪について真剣に考えなくなることである。

 多数の案件を並行して進めていると、力の入り具合に確実に差が出てくる。私は、この痴漢の加害者である依頼者に全く親身になっていない。他方で、被害者の女性に形だけの謝罪をし、示談金の話ばかりをすることについて、女性の尊厳を金銭で買収しているかのような後ろめたさを覚えるばかりである。この点について、刑事弁護人の職務倫理を問題にするのは、現場を知らない抽象論だと思う。

(フィクションです。続きます。)