犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

元厚生事務次官宅 連続襲撃事件

2008-11-20 22:41:24 | 言語・論理・構造
この3日間、山口剛彦さん(66)と吉原健二さん(76)の厚生事務次官時代の古いVTRが各局で放映されている。新聞では山口さんと吉原さんの名前が同格に扱われ、テレビでも2人の写真が並べて画面に出ることが多い。2人の元次官は、現在の基礎年金制度をつくった「年金のプロ」と並び称されていたそうである。しかしながら、1人は紛れもなく殺されており、1人は紛れもなく生きている。この生死の境界の曖昧さに慣れることは、考えてみればなかなか恐ろしいことである。通常、数人の殺傷者が生じた事件においては、死者と負傷者の間には明確な線が引かれる。どんなに重傷であっても、殺されることに比べれば命が助かっただけでも有り難い、これがこの種の事件の常識である。しかし、今回の「2人の元厚生事務次官の連続テロ」の報道においては、うっかりするとどちらの人が殺されたのか間違えてしまいそうになる。

人間の生物学的な意味の死(心臓停止、呼吸停止、瞳孔対光反射の消失)は、厚生省のトップまで上り詰めた人間であろうが一般庶民であろうが変わることがない。異なっているのは、社会的な意味の死であり、このカテゴリーが独特の構造を作っている。「1人の死は悲劇だが数百万の死は統計である」と言われるが、「連続テロ」との捉え方は、2人であっても統計である。実際に殺害されたのは山口さんと妻の美知子さん(61)であるが、美智子さんよりも吉原さんに向けられた凶刃のほうが社会的な影響が大きい。しかも、吉原さんは物理的には犯人からの直接の襲撃を受けておらず、妻の靖子さん(72)への凶行が言語によって吉原さんへの暴力だと解釈されている。この「連続テロ」との構造は、命の重要さに段階をつけることや、男性中心社会などを裏側から追認する形となっている。言うまでもなく、悲劇としての死は重く、統計としての死は軽い。

マスコミ各社は、「理由はどうあれ、断じてこのような暴力を許すわけにはいかない」と語気を強めている。この「理由はどうあれ」という部分に、これまで厚生労働省や社会保険庁を悪として吊るし上げてきた苦しさが表れている。反体制・反権力を標榜すればするほど、その権力に向けられた暴力に対する距離が取りにくくなる。仮に犯人が年金記録問題や後期高齢者医療制度に怒りを募らせて犯行に及んでいたとすれば、そのような不満に火をつけて煽り、国民の隅々にまで増幅させたのはマスコミ自身だからである。ここでマスコミが都合の悪いことは見なかったことにし、「このような凶行は断じて許されず、暴力は我々の社会に対する挑戦である」と大声で主張すれば、相変わらず自らは正義を述べており、それに逆らう者は悪であるとの構造を守ることができる。この苦しさが、「どのような理由があっても」という微妙な言い回しに表れている。

「問答無用の暴力は自由な社会を不安に陥れるものであり、これ以上ない卑劣な犯罪である」との威勢のいい怒りは、死者の運命を悲しんではいない。実際のところ、この文脈においては、殺されたのが山口さんと吉原さんのどちらでも大して重要ではなく、山口さんの妻と吉原さんの妻どちらが一命を取り留めたのかも問題にされてはいない。ここで扱われている生命は、世界に1つしかないかけがえのない生命のことではないからである。日本人が今回の事件で目にしたのは、元厚生事務次官という肩書きに凶器は刺さらず、刃物が刺さったのは生身の人間であったということである。そして、その人間には生命があり、両親や兄妹や妻子がいたという当たり前の事実であった。「消えた年金」問題の時は民主主義の名の下に厚生行政を激しく非難し、今回は民主主義に対する挑戦であると犯人を激しく非難するならば、それは不正義の中身が入れ替わっただけである。

「男の中で膨らんだ殺意は身勝手としか言いようがない。今の日本社会に閉塞感が漂うといわれて久しい。だが、それは決して他人を攻撃する理由にはならない。この社会のどこかに犯人を暴走させるものがあるとすれば、それを探って、何とかしなければならない」。これは今年の6月、秋葉原の連続殺傷事件の翌日のある新聞の社説である。このような一般人に向けられた無差別な凶行に際しては、社会の敵を許さないという論調はなく、生命の重さを再認識すべきだとの論調が多い。これに対して、今回のような権力に向けられた凶行に対しては、生命の重さに関する論調は後ろに退き、国民全体で不正義を糾弾すべきだという論調が主流になる。これは実際のところ、反体制・反権力のイデオロギーを裏返しにしただけの全体主義的なイデオロギーである。厚生省のトップまで上り詰めた人間であろうとなかろうと、今回の事件のような死は悲劇でなければならない。


元厚生次官宅を連続襲撃 計3人死傷、連続テロか(朝日新聞) - goo ニュース