犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

曽野綾子著 『謝罪の時代』

2008-11-18 16:36:44 | 読書感想文
p.9~

私たちの乗った列車は結局、55分遅れで出発した。これだけ遅れると、時間を取り戻すことは不可能だろう。そのせいか、車内のアナウンスは何度も、「本日は人身事故のために列車に遅れが出ましたことをお詫び申しあげます」と繰り返した。もちろん途中駅で乗り込んで来る客に、改めて列車の遅れた理由を徹底させねばならないから繰り返すのである。

私は作家として、日本人として、このアナウンスの言葉を聞いていた。そしてこの言葉にはなかなか複雑な含みのあることを感じた。字句通りにとれば、遅れた責任者のJRがお詫びしているという形を取っているが、その言葉の背後には、「遅れた責任はJRにはありません。飛び込み自殺をした人がいまして、その人のおかげで当社も迷惑を被っているのです」と訴えるニュアンスが見え見えである。


p.14~

私は今でも情報は公開されなければならないという原則と、個人情報は守られなければならないという原則を、どうすり合わせたら双方を満足させられるのかいっこうにわからない。東京地裁は、外交機密費も公開すべきだ、という判断を出したらしいが、公開したら機密にならないわけだし、こうしたことを私のように悩んでいる人というのがあまりいないので、私は孤立感を深めている。

最近の社会もまた矛盾だらけである。ライブドアのホリエモンはそれまで社内で連絡用に使っていたメールに、或る程度の証拠を残していたから、検察は非常に早く捜索の手を入れたのだ、という人もいた。かと思うと楽天の三木谷社長は、ホリエモンと違って用心深く、重大なことは決してメールなどでは連絡せず、相手と直接話すだけだという通の談話を読んだ時には思わず笑い出した。それならITなど要らないわけではないか!


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今月上旬、インターネット上の無料地図情報サービス「グーグルマップ」において、東京都内の小学校の生徒の個人情報が誰でも閲覧できる状態になっていることが判明した。これは、教諭が個人用の地図作製時に初期設定を「非公開」にしていなかったことが原因であり、当初はその教諭の個人的な責任に止まるかとも思われた。ところが16日には、全国の小中高校などの教員らが誤って公開してしまった生徒の個人情報は、少なくとも全国37校の約980人分にも上ることが明らかになった。しかも、登録した情報は「削除」ボタンをクリックすれば一旦は消えるものの、利用者が登録した情報はグーグルの持つ複数のサーバーに複製される仕組みのため、削除したはずのデータが削除できていない状態になっていることも判明してしまった。ここまで来ると、もはや特定の個人や職業を槍玉に挙げて非難する空気も消えてしまう。最後に残るのは、人間が文明の利器に振り回されて右往左往している姿だけである。

今回の事態を受け、文部科学省は都道府県教育委員会を通じて、全国の教育機関に個人情報の扱いなどについて注意するよう指示した。もちろん日本のトップ頭脳集団である文部科学省の官僚は、アメリカのグーグル社を差し置いてこのような指示をしたところで付け焼き刃でしかないことは十分にわかっている。しかし、現在のところの最善策は、もはやこのような形だけの指示をする以外にない。高度情報化社会における最も賢い不祥事の解決策は、形だけの謝罪を繰り返し、世論がすぐに忘れるのを待つことである。また、情報流出の痛手を最小限に食い止めたいならば、さらに流出が増えて情報の希少性が下がり、人間の情報処理能力も追いつかなくなることが望ましい。建前の上に建前が重ねられれば、人間の深いところには言いようのない違和感が残される。このような違和感を閉塞感に転化しないためには、曽野綾子氏のような(斜めではなく)一歩引いた視点が有用である。また、(風刺ではなく)「言ってはいけないこと」に気がついて笑う余裕が必要である。