犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

パオロ・マッツァリーノ著 『つっこみ力』 その2

2007-07-30 12:39:19 | 読書感想文
裁判員制度の導入には賛否両論があるが、強いてメリットを挙げるとするならば、素人の「つっこみ力」が発揮できることであろう。もちろん法廷でボケとツッコミの応酬が展開されれば、法廷の権威は失墜するであろうが、国民に近い裁判を目指すというならば、それが本来の形である。もともと加害者が不真面目なのだから、裁判員にだけ真面目さを求められても無理というものである。

光市母子殺害事件では、元少年は遺体を押し入れに遺棄したことについて、「今考えると幼いが、ドラえもんの存在を信じておりました。ドラえもんの四次元ポケットは、何でもかなえてくれる。押し入れはドラえもんの寝室になっている訳ですが、押し入れに入れることで、ドラえもんが何とかしてくれると思いました」と述べた。ここで3人の職業裁判官が大真面目な顔で元少年の供述を聞くことによって、法廷はますます厳粛になり、遺族は傍聴席で声も出せなくなる。もしここで裁判員制度が導入されており、「ドラえもんが助けてくれる」と聞いた瞬間に6人の裁判員が反射的に吹き出してしまったらどうか。必死に笑いをこらえてもこらえ切れず、苦笑と嘲笑の入り混じった表情になり、それが傍聴席まで伝染してしまったらどうなるか。場の空気はガラッと変わり、元少年は弁解するほど恥ずかしい立場に追い込まれる。これは1つの思わぬ効果である。

近年は刑事裁判の傍聴に人気があるが、それは裁判がギャグの宝庫だからである。刑事裁判は、憲法の保障する被告人の防御権によって多くのギャグを生んでいるが、それが厳粛な雰囲気と相まって、ますます独特の笑いを生んでいる。スリや万引きの被告人は、「盗んだ記憶はありませんが、気がついたら色々な物が自分のカバンに入っていました」と大真面目で主張する。車上荒らしの犯人は、「ドライバーや工具は背中を掻くために持っていました。これからは疑いをかけられないように、孫の手を持ち歩くことにしようと思います」と涙ながらに述べる。無免許運転の犯人は、「私は新車を買いましたが、それはただ眺める目的であり、乗る予定はありませんでした」と訴える。尿から覚せい剤反応が出た犯人は、「誰かが勝手に私のコーヒーの中に入れたのだと思います」と怒りを交えて力説する。

これらの被告人の弁解について、検察官は「誠に稚拙な弁解であり信用性が薄い」と激怒するが、怒ってしまえば堂々巡りである。被告人の防御権という土俵に乗ってしまい、糞真面目な理論と厳粛な法廷の雰囲気も作用して、ますます被告人は主役を気取ることになるからである。犯罪被害者の疎外は、この構造の先にある。被告人にとって一番怖いのは、怒られることではなく、笑われることである。6人の裁判員は笑ってはいけないのに笑いをこらえ切れず、傍聴席にもそれがわかってしまう。このような素人の「つっこみ力」が発揮されることになれば、これは裁判員制度の1つのメリットである。