犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

養老孟司著 『無思想の発見』

2007-07-26 15:28:03 | 読書感想文
昭和12年生まれの養老孟司氏にとっての大きな転機は、やはり終戦であった。それまで「一億玉砕」「鬼畜米英」と言っていた大人が、一夜にして「平和」「民主主義」に豹変したからである。ここで、「平和」や「民主主義」を信じてしまうのが通常の人間であるが、養老氏はこれも信じなかった。普通の人は、それではいったい何を信じればいいのかと問いたくなるが、養老氏にはこのような問いも起こらなかったようである。これが天才の天才たるゆえんであり、変人の変人たるゆえんである。

民主主義を信じない養老氏からすれば、おそらく選挙はバカにされる儀式でしかない。養老氏は脳科学者でありながら、言語学にも精通している。この両者を哲学的なレベルで融合させると、非常に面白い視点が得られる。野党は佐田大臣の辞職、久間大臣の辞職と松岡大臣の自殺を同等に並べて、「3人の閣僚が交代した」といって安倍内閣を非難しているが、どうして辞職と自殺が同等に並ぶのか。ついこの前まではいじめ問題が政治的課題になっており、子ども達に「1つしかない命の大切さを考えましょう」と呼びかけていたのに、もう忘れてしまったのか。目の前の現象に四苦八苦している政治の議論の限界が見えてくる。

「憲法9条を守る」と「年金を守る」を同等の政治的主張として並列させている点も、養老氏のような懐疑的視点から見てみれば、言語のレベルが違いすぎるものを無理に並べている面白さが見えてくる。自分の年金を守るためには、領収書をしっかりと戸棚に保管しておかなければならない。しかし、その上から爆弾が降ってきたら終わりである。金庫に厳重に保管していても、ミサイルが飛んできたらどうするのか。領収書を持って避難しようとしているうちに、人間のほうが逃げ遅れたらアウトである。「憲法と年金を守ります」というマニフェストは、しょうもない面白さを含んでいる。

最近は、地震や台風といった自然災害も多い。人間は、自然の猛威の前には手も足も出ない。マスコミは避難所の様子や、土砂に潰された自宅をセンセーショナルに報じるが、被災者の年金については意図的に報じない。土砂に潰された自宅のたんすの中に領収書があるのであれば、早急に取りに行かなければならないのではないか。人災である年金の話と、天災である地震や台風の話が、見事に別の言語のレベルで並列され、処理されないまま残っている。政治的な混乱、天災や人災に直面したときには、やはり養老氏のような醒めた視線を持つ人間が一番強い。