犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

東大作著 『犯罪被害者の声が聞こえますか』 第13章

2007-07-20 19:24:35 | 読書感想文
第13章 逆転

岡村弁護士は、「犯罪被害者の権利」と「犯罪被害者の支援」という条文の差異に徹底的にこだわった。これは当然のことである。「権利」と言えば、その主語は犯罪被害者自身であるが、「支援」と言えば、その主語は犯罪被害者以外の者である。「犯罪被害者支援基本法」であるならば、犯罪被害者は従来どおりの客体にすぎない。これが、ソシュールやウィトゲンシュタインが明らかにしたように、2次的言語ゲームの恐ろしさである。言葉が世界を作る。「権利」と「支援」、このたった2文字の差が大きい。

近代刑法の原理を前提とする日本国憲法31条ないし40条を前提とする限り、「犯罪被害者の権利」という概念は、全体の整合性においては問題がある。これは、岡村弁護士が述べているとおり、法務省刑事法制課においては何よりの大問題である。これが専門家と一般人との絶望的な断絶であり、犯罪被害者の感じる法律の壁である。これも2次的言語ゲームの恐ろしさである。専門用語が体系的な世界を作り出し、それが完全に一人歩きして自己完結し、人間が生きているこの世界そのものを支配するようになる。一度支配を始めたものを壊すことは、言語ゲームのルールを変更することであるから、当然大混乱をもたらすことになる。

犯罪被害者や一般人が「こんな法律はおかしい」と感じたならば、それは端的におかしい。無知でも感情でもない。「私」という現存在(Da-sein)との関わりにおいて、世界は単にそのように存在しており、存在者は「私」に対して現象しているからである。一般人はこの現象をそのまま生きているが、専門家はこの視点を見失う。誰もが初めは一般人であったはずなのに、専門家はその時の人間的な視点を失ってしまう。そして、単なるフィクションであるはずの法律の条文のほうを客観的な存在であるとして、それが人間を苦しめても何とも思わなくなる。それが、「現行法上仕方がない」という台詞である。もちろん、そのような法律はさっさと変えればいいだけの話であるが、再びその改正した言語ゲームのルールが独り歩きし、人間を苦しめることになる。そして、再び「現行法上仕方がない」という台詞が登場する。これは際限がない。

平成16年12月に「犯罪被害者等基本法」が成立したが、それに基づいた被害者参加制度の議論は、政治的な対立に陥ってしまった。いずれにせよ、被害者参加制度には日本の刑事裁判の構造からして問題が生じるというならば、被害者参加制度に合わせて刑事裁判の構造を変えて行けばいいだけの話である。法律は絶対的なものではない。変えることのできない法律などないからである。犯罪被害者や一般人が「こんな法律はおかしい」と感じたならば、それは人間としての掛け値なしの真実の声である。これまでの刑事裁判の構造において欠けていたものに気が付いたならば、それを少しでも早く修正するのが法律というものの役目である。もちろん、この世のすべての問題を解決する完璧な法律など作れるはずもないが、これは2次的言語ゲームという法律の性質上、当然のことである。