犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

中島義道著 『哲学者というならず者がいる』 その4

2007-07-18 13:47:04 | 読書感想文
日本が変わる。日本を変えなければならない。私が日本を変える。選挙戦が始まれば、例によって同じ言葉が絶叫される。各党の主義主張の内容は千差万別だが、その形式は驚くほど一致している。

日本が変わる。しかし、変わったものは更に変わる。変えたものは、更に変えられる。その更に変えられたものも、また更に変えられる。この世に変わらないものはない。6年前に苦労の末に生み出された制度は、3年前に再び変更されており、現在では跡形もない。これと同じように、3年後に念願の改革が実現したとしても、6年後にはさらなる改革によって、跡形もなくなっているかも知れない。

過去も未来も、すべてはこの「今」において実現している。ハイデガーが20世紀の若者を魅了したのも、この単純な事実に誰も逆らえなかったからである。ところが、ハイデガーが指摘したとおり、人間はこの過去と未来を含んだ「今」を直視できない。人間は選挙戦に夢中になり、当選と落選の境界で無我夢中になり、この今だけが「今」となる。政治学は辛うじて哲学と接点があるが、選挙戦と哲学とは全く接点がない。

民主党は、小沢代表の顔写真を前面に出したマニフェスト、テレビCMの宣伝に余念がない。ここで、ちょっと落ち着いて前回の選挙の時のマニフェストやCM、すなわち岡田元代表が自信満々の表情で政策を語っているCMでも見てみれば、少しは賢くなるかも知れない。


p.103~より 抜粋

原因として的確であると認められているものの1つは、広く「心」と呼ばれるものである。何らかの「心の動き」(これは「見えない」)が、投票行動を、従って「自民圧勝」という選挙結果を引き起こしたのだ。「自民党のマニフェストはわかりやすく民主党のマニフェストはわかりにくい、だから自民党に入れよう」という「心の動き」が「自民圧勝・民主惨敗」をもたらしたというわけである。

だが、直ちにわかるように、そう解説する者はすべての投票者の「心の動き」を観察したわけではなく、きわめてわずかな資料から想像を逞しくしてこういうお話を拵え上げただけ。どこにも確定的な証拠はない。ただそういうお話がいかにも尤もらしいだけである。

だから、もし今回の選挙で反対に自民惨敗・民主圧勝の結果が生まれていたとしたら、解説者は「国民が政権交代を望んでいたから」とか「自民党内部のごたごたに嫌気が差したから」とか、それらしい原因を見つけてきて、シャーシャーと喋り散らすことであろう。

つまり、原因は結果を引き起こすものとして拵え上げたものであるから、それは結果を引き起こすのである。いかなる現象でも、それを「結果」とみなしたとたん、適当な原因を探ることができるのである。因果関係はあたかも原因が結果を「引き起こす」力学的関係であるかのような外見をしているが、じつはそうではない。1つの現象を「見えないもの」と「見えるもの」という2通りに語り分けたうえで、前者が後者を「引き起こす」というお話を作り上げただけなのである。