hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

能仁寺~天覧山・多峯主山 ~吾妻峡・お散歩ハイキング⑤

2021-12-10 | ハイキング・ウォーキング

歩いている途中で偶然知った飯能市立博物館。
予定には入っていなかったのですが
初めて訪れた飯能市について、少しでも知ることが出来たらと思い
立ち寄ることにしました。

飯能市立博物館(旧郷土館)

博物館に通じる道が見えたので、こちら側から
入ろうとしたのですが、出入り口はありませんでした。

見学中に2階のバルコニーに出てみると、
人々で賑わっている飯能河原がよく見えました。

ジオラマ

能仁寺~天覧山~多峯主山~御嶽八幡神社
今まで歩いて来た経路が一目でわかります。

大八車と飯能縄市の様子

手前は、飯能戦争でも使われたといわれる大八車

後ろの写真は、明治44年に撮影された大通り。
国旗はこの日、飯能の町に電話が開通したことの
祝意を表したものだそうです。

飯能縄市は、現在の飯能商工会議所会館が立地する付近の大通りで、
約360年前の江戸時代に始まった定期的な市で、
市は、縄やむしろの取り引きから始まったことから縄市と呼ばれました。
縄市は月6回開かれ、当日は近隣から商人や村人が大勢集まり、
賑わいを見せていたそうです。

堺屋の屋号を持つ飯能村の名手家、大河原又右衛門家の神棚。
幅180.2㎝、高さ199㎝の巨大なもの。
写真は半分も写っていませんが立派な神棚でした。

右の写真は木の切り方

飯能では昔から、良質なスギやヒノキが産出され
火事の多かった江戸への木材供給産地として
発展してきたそうです。
木材は入間川から荒川を経由して、江戸まで運ばれ、
江戸から見て西の川から運ばれてくる材木なので、
いつの頃からか「西川材」と呼ばれるようになったそうです。

国指定重要文化財「木造軍荼利明王立像」のレプリカ

雲版

飯能焼

飯能に焼物があったとは知りませんでした。
素朴な色調が魅力的です。

縄文式土器

幕末の戊辰戦争で、彰義隊脱退者で結成した振武隊の旗

「飯能と渋沢栄一」パネル展も開催中でした。

写真右端の紋付き袴姿の侍は、
渋沢栄一の従弟で養子となった渋沢平九郎。
明治維新時、幕臣の子として新政府軍と戦い、
彰義隊・振武隊に参加して飯能戦争を戦ったが敗北し、
20歳の若さで現在の越生町で自刃したそうです。

諏訪八幡神社

時代を反映して、狛犬もマスクをつけています。

境内から見えるモミジは真っ赤でした。

諏訪八幡神社を後にし、飯能市民会館の駐車場に
着いたのは1時35分ごろ…。
山と言っても市街地に近いので、どこかにレストランは
あるだろうと思い、お菓子と飲み物しか
持参しませんでしたが、歩いた県道沿いや飯能市民会館
の近くには、一軒のお店もありませんでした。
仕方なく帰りがけに、一番近くのコンビニで、おにぎりや
お弁当を買い、車の中で食べました。
運転を引き受けてくれた息子には、美味しいランチを
ご馳走してあげようと思っていたのに、ごめんなさい。

ハイキングで歩いた歩数は13740歩でした。
急登がなく、お散歩気分で気楽に歩け、低山なのに眺望がよく、
山だけでなく、峡谷も楽しめ、とても良かったです。

コメント (18)
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