hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

ベトナム・ハノイ市内観光

2017-05-26 | 外国旅行

ハロン湾からバスで約4時間移動し、最後は首都・ハノイの市内観光です。
まずは文廟(孔子廟)から・・・

文廟は別名を孔子廟といい、孔子の霊を祀った建物のこと。
1070年に建立され、国内初の大学、国子監が置かれたことで有名です。



文廟門



大中門



奎文閣



ティエンクアン池
中央の奎文閣から入って来ました。

次の写真の「進士題名碑」が置かれている建物は
この写真からだと左側の奥になります。



池の両側には科挙の合格者の名前と出身地が刻まれた
82の石碑「進士題名碑」が並んでいます。
進士とは官吏登用試験である科挙に合格した人のこと。
1075年に始まり、1919年に廃止されました。

写真は向かって右側の「進士題名碑」が置かれて建物で
1990年代になって風雨を避けるために建てられたそうです。



進士題名碑は亀趺(きふ)という亀形の石台に
乗って置かれています。
ベトナムでは亀は龍の仮の姿で
神聖なものとされていると言われているそうです。



ユニークな亀たち。
一体一体表情が違っていて面白いです。
これらの石碑はユネスコ国連教育科学文化機関により、
2010年に世界記憶遺産として認定されましたが、
それ以降は亀の頭に触れることはできなくなったそうです。



大拝の庭と大聖殿

文廟門や大中門にも横断幕が掲げられていましたが、
近々催しものがあるようです。



孔子像(大聖殿内)



拝堂の祭壇と萬世師表の題額



孟子と曾子
合格祈願をしている母娘。
学問にご利益のある場所として
この日も多くのベトナム人が訪れていました。



顔子と子思



文廟門・内側
皇帝の道から文廟門を
これで30分の見学は終わりました。

バスに乗り、ホーチミン廟に向かいます。
車窓からは世界遺産のタンロン城を見ることが出来ましたが、
木が多く良い写真は撮れませんでした。



全景は写せませんでしたが、ベトナム政府の外務省庁舎。
ホーチミン廟の近くにあります(車窓より)



国会議事堂
ホーチミン廟のあるバーディン広場からズームで。



ホーチミン廟
ベトナムの民族解放と独立のために南北統一に生涯をかけた、
今もベトナム国民の父として敬愛されるホーチミンの亡骸が眠る霊廟。
1973~1975年にベトナム全土から集められた
自然の素材を用いて建造されたそうです。
ホーチミンは生涯妻子を持たず「国民はすべて私の子ども」と言ったという。
国民からは「ホーおじさんと」呼ばれ、今も親しまれているそうです。



衛兵交替式
1時間ごとに交代するそうです。



一柱寺
一本柱で支えられ、池に浮かぶ蓮の花のような建築と形容されるお寺。
一柱寺が浮かぶ池は、季節になると睡蓮の花が咲き、足元を飾るそうです。



黄金色の八本手の観音像が安置されていました。



ホーチミン博物館
1990年5月19日、ホーチミンの生誕100周年を記念して建てられたそうです。

ここを見学するのかと思いましたが、素通りしてお土産物屋さんに・・・
お土産は今まで沢山買いましたが、
ここでは留守番をしている夫のために、クロコダイルのお財布を買いました。



夕暮れのハノイ



水上人形劇を見るため、急ぎ足での撮影だったのでブレてしまいました。



ホアンキエム湖



ホアンキエム湖の前にある、タンロン水上人形劇場にて水上人形劇を鑑賞。
テンポが速くて撮る写真撮る写真がボケていました



伝統的な音楽の調べに合わせて、
ベトナムの民話・伝説・神話、または、農村の生活の様子等が演じられます。



フィナーレは人形を操る操者の御挨拶。
人形を操る技術の習得には、簡単なもので1年、
複雑なものになると5年もの練習が必要とされるそうです。



フレンチレストラン



夕食はベトナム風フレンチ

綺麗に盛り付けられた前菜のサラダ 
パンは絶品
スープのお野菜はモロヘイヤ? 忘れてしまいました。
メインはポーク
デザートはバナナのクレープでした。

楽しい旅行もこれで終わりです。
ベトナム時間00:55にハノイを出発し、成田には07:35に到着します。
搭乗手続きを済ませ、残っているお金(ドン)で買い物をし、
飛行機に乗りました。



機内食(朝食)

帰りは追い風ということもあり、4時間半ほどのフライトでしたが、
一睡もできなかったのが辛かったです。
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・世界遺産ハロン湾クルーズとティエンクン洞窟

2017-05-24 | 外国旅行
6日目



朝食は6時から、
この日はフォーと野菜サラダ、ジュースをチョイスしました。

7時40分にホテルを出発し、ハロン湾クルーズと
途中、ティエンクン洞窟を見学します。



観光船が出港するマリーナに到着



マリーナ内



港の周辺にはリゾートマンションが建ち並んでいます。
お値段は忘れましたが、まだ売れていない物件も多いそうですよ。
余裕資金のある方はどうぞ!



停泊しているクルーズ船



いよいよ出発。
これから3時間のクルーズが始まります。
写真は私達が乗ったクルーズ船と同タイプ。
他の乗客は乗らず、24名のツアー客だけなのでゆったりと出来ました。



世界自然遺産ハロン湾は中国との国境近くにあるベトナム随一の景勝地。
ハロンという地名は漢字で「下龍」と書き、「龍が降り立った場所」という意味だそうです。
海から突き出た無数の島や奇岩の姿が中国の桂林と似ていることから
「海の桂林」とも言われていますが、それもそのはず、
同じ石灰岩台地でつながっているのだそうです。

1994年に世界遺産に登録されました。



中国からの石油を運ぶタンカー。



一旦下船してダウゴー島に立ち寄り、ティエンクン洞窟を見学。
ティエンクンとは「天空」という意味だそうです。
(船上より



鍾乳洞は一方通行になっており、最初に階段の登りが150段あり、
途中で引き返すことはできません。
膝を傷めたお友達は、今回も船の中で待機です。

再乗船する場所が違うため、クルーズ船はすぐに離れて行きました。



この洞窟は水上生活者の漁師さんにより、1990年に発見されたそうです。
日本の秋芳洞に比べると規模が小さいように感じましたが、
天井は高いところだと50m以上の場所もあり、
なかなか見ごたえがありました。



ベトナム中部では世界最大の洞窟が発見されたそうです。
やっぱりこんな形の鍾乳洞なのでしょうか・・・



天国の門
この鍾乳洞が発見された時にあいていた唯一の入口で
現在の入口は後から開けたものだそうです。
差し込む自然光にホッとしました。



つらら石・石筍・石柱・石花・カーテン・ベーコンなど、
自然がつくりあげた芸術に感動!
70万年ほど前に誕生したそうです。



お釈迦様のように見えませんか?

ガイドさんが、岩の形を見ていろいろと説明してくれましたが
あとから写真を見ても、さっぱりわかりません。
あくまでも私の主観です。



カラフルで幻想的ではありましたが、
少し派手過ぎのような・・・
私的にはもっと、自然な方が良いような気がしました。



さあ、またクルージングです。
ここで一枚、ガイドさんに写真を撮っていただきました。



水上生活者の家。
遠くから見ただけですが、漁業を生業としているのでしょうね。



のんびりとした船旅は続きます。



海に沈みきらずに顔を出している奇岩が大小の島となり、
1600も有るそうです。
これらは全て自然が長年かけて作り上げてきたもの。
自然の脅威を感じずにはいられません。



香炉岩
ベトナムの紙幣にも印刷されている。



「陸の桂林」チャイアンとは異なった美しさ。
両方見られて良かった!



闘鶏岩
闘鶏岩は見る角度によって、鶏が闘ってるようにも
2頭の鶏がキスしている様にも色々見えてくる面白い岩だそうですが、
ここからはキス寸前のように見えますね。

船をもっと岩に近づけるよう、しばらく順番を待っていましたが、
時間の関係か、接近するのを諦め進んでいきました。



楽しかった3時間のクルージングもそろそろ終わりです。



昼食
クルーズをしながらいただきました。
ボイルした海老、蟹肉入りの練り物、揚げ春巻、白身魚のフライ
イカと野菜の炒めもの、空芯菜炒め

デザートも含め、あと2品はあったような気がしますが、
グループの方達の食べるスピードが早く、
落ち着いて写真を撮ってはいられませんでした。

このあとハノイ市内観光へと続きます。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・世界遺産チャンアンボートクルーズ観光

2017-05-20 | 外国旅行
5日目
一人旅では細かくメモを取るようにしているのですが、
お友達と一緒だと、
ついついおしゃべりに気を取られ忘れてしまいます。

ホテル出発は5時半頃だったと思いますが、
サンドイッチと茹で卵、ペットボトルのお弁当をバスの中で食べ、
ダナン空港に向かいました。
ダナン空港の出発ロビーは大混雑でしたが、
ガイドさんが遠くの空いている窓口に誘導して下さり
スムーズに手続きが出来ました。
出発(08:30)までは1時間半以上あるので、
その後は例の如くお買い物タイムです。

隣に座ったのは53歳のベトナム女性で、
仕事でハノイに行くとのことでした。
手にハッカの匂いのする軟膏を塗りながら
申し訳ありませんと流暢な英語で謝ってくれました。
大学生のお嬢さんがいるそうですが、
顔にはシミや皺が全くなく、その若々しさに驚きました。
しばらく話をした後、女性はずっと書類に目を通していました。
ハノイまでは1時間で着くのであっという間です。


ハノイ市街・車窓より

ハノイの気温は29度、小雨が降っていました。
すぐにバスに乗り、南へ約110km、
車で約2時間30分のチャンアンへ向かいました。
昼食は朝が早かったことを考慮してくれたのか、
途中の町に寄り、11時頃からでした。
このころは雨はすっかり上がっていました。



昼食(田舎料理)

写真が枠に入りきれないので省略しましたが、
初めて炒飯以外の白米のご飯が出ました。
タイ米でしたが、チャーハンでタイ米にはすっかり慣れていたので、
けっこう美味しく頂けました。


車窓より

「チャンアンとその景観」はベトナムで一番新しい世界遺産で
2014年6月に認定された複合遺産です。
複合遺産とは自然遺産と文化遺産の両方の要素を備えた世界遺産で
チャンアンの他にタムコックと古都ホアルーが有りますが、
ツアーではチャンアンと古都ホアールを訪れました。



チャンアンに到着。
駐車場の周りにはお土産屋さんがズラリ。



いよいよ橋の向こうから小舟に乗って
約2時間の手こぎのボートクルーズが始まります。
日本の川のように上流から下流に流れる川ではないので、
ゆったりと進み、スタート地点に戻ってきます。



「陸のハロン湾」と呼ばれる、奇岩の山々のチャンアン。
連なる石灰岩の山は、かつての海底が隆起したものだそうです。



歓迎ムード一色です。



最初の洞窟(鍾乳洞)
ボートに乗ったまま狭い洞穴を通り抜けるのですが、
もしボートが転覆したら、などと考え
ハラハラ、ドキドキでした。

洞窟は川の侵食によってできたそうです。



修復中でしょうか?



ここでも歌や踊りで、出迎えてくれました。



得意げに足こぎをするおじさん。
私達が乗ったボートの漕ぎ手は中年のおばさんで、
手こぎ、足こぎを交互にしていましたが、
足こぎの写真を撮ろうとカメラを向けると身振りでノーと伝えてきました。
2時間も一人で漕ぐのは大変かと思い、
私達もオールを使ってボート漕ぎを手伝いましたが
これも楽しい思い出になりました。



またもや洞窟!



こんなに薄暗く、曲がりくねった洞窟を8回も(9回かな?)
すり抜けたのですよ。

これらの洞窟の中には無数の鍾乳石が垂れ下がっていたり、
頭上や船幅のすれすれまで洞窟の壁が迫る場所もあり、
写真は撮れませんでしたが、見どころ満載でした。




チャンアンは「ベトナム陸の桂林」と呼ばれている景勝地。
水も透明度が高く、清らかで綺麗でした。



ゆったりと巡った2時間のクルーズ、楽しかった!



古都ホアルー観光
ホアルーはハノイ遷都以前に都が置かれた地で、
10世紀半ばにできたベトナム初の独立王朝の遺跡があることで有名です。



新しく造られた東門



ディン・ティエン・ホアン廟の第一の門
1000年以上前に造られた。



内堀



門柱の奥が、ディンティエンホアンを祀るお堂



本堂の前の通称「龍の庭」



ディン・ティエン・ホアン像


夕食(ベトナム海鮮鍋)





観光を終えホテルに着いたのは10時半ごろ。
ツアー参加者はほとんどが60代後半から70代半ばの方ですが、
皆さんの元気なことに感心させられました。

宿泊ホテル アセアン・ハロン・ホテル
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・世界遺産ホイアン旧市街観光

2017-05-17 | 外国旅行
4日目
ホイアンはダナンから南へ約30㎞、トゥボン川の河口に位置する古い港町です。
ホイアンの古い町並みが残る旧市街地は歴史保護地区として指定され
1999年に世界文化遺産に登録されました。


チャンフー通り




福建会館



福建会館・中華門



福建会館は福建省から来た華僑が集う場所で、
現在でも活用されているそうです。



中には祭壇があり航海安全の神様が祀られています。


フーンフン家(馮興家)



フーンフン家は約200年前に貿易商人の家として建てられた木造建築で、
壁はベトナム、柱やドアは中国、屋根は日本(京都の伝統建築)
と三国を折衷させた建築様式だそうです。
現在は8代目家主が家を継ぎ、木彫りや陶磁器など土産物も販売しています。



ベトナムでは犬を放し飼いにするのが普通のようです。
田舎で2匹仲良く散歩している姿を見て、
とても幸せそうに見えましたが、
犬を食べる文化があると聞いたときは、ぞぞっとしました。



お土産屋さんですが、奥に進むと中庭に出ました。
この中庭はホイアンの民家では一般的な造りだそうで、
真ん中には井戸があります。



トゥボン川沿いを歩きます。






来遠橋(日本橋)



1593年に造られた瓦屋根付きの太鼓橋で、ホイアン旧市街の水路に架かる。
当時ホイアンに住んでいた日本人が建造したといわれ、
当時の日本人町と中華街を結んでいた。
橋の名前は論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から。
新2万ドン札にも印刷されているベトナムを代表する観光名所の一つです。



来遠橋内部と出入り口
橋の中央には航海の安全を祈願する小さな寺(右・上)があります。


サーフィン博物館



紀元前から2世紀初頭の金属を使用し始めたサーフィン文化の博物館。



主に土器などの日用生活用品が中心に展示されていました。



サーフィン博物館・2階からの眺め


夕食(ベトナム料理)



写真の女性は台湾出身のお母さん。
お嬢さん二人と旅行されていました。
一緒のテーブルの方が台湾の音楽が好きで
昔の歌をリクエストされると、歌詞を忘れたとのこと。
お嬢さんがスマホで歌詞を検索し、それを見ながら歌ってくれました。
心地よいメロディーで、私もすっかり好きになりました。
賑やかで楽しいひと時でした。

夜のホイアン旧市街



ランタンの明かりが幻想的。
街は人で溢れかえっていました。





フルーツ天国



このあと灯籠流しをしてホテルに戻りました。
ホテルに戻ったのは11時をまわっていたかもしれません。
明日はハノイに出発します。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・ダナン市内観光 

2017-05-14 | 外国旅行
4日目
ダナン市内観光

昼食後はバスで約ダナンの街を歩きました。
ダナンは白浜の美しいビーチが続く港町としても
有名だそうですが、港町周辺は歩かず、チャンフー通りの
一角にそびえるローマカトリックのダナン大聖堂と
1000年以上前に栄えたチャンパ王国の遺産が展示されて
いるチャム博物館を見学しました。



ダナン大聖堂
キリスト教徒が少ないベトナムでは珍しい大聖堂。
ピンクの外観が美しい。
建物内部はミサの時だけ見学可能ということで路上より見学。
高さ70mの尖塔の上には鶏の像があり、「鶏教会」とも呼ばれているそうです。



チャム博物館に咲いていたプルメリアの花

チャム博物館にはヒンドゥー教が色濃く残る、
1000年以上前に栄えたチャンパ王国の遺産が展示されています。
午前中に見学したミーソンの遺跡から出土した数々の石像や
建物のレリーフなど様々な遺跡が展示されていました。



まず、ミーソン遺跡群の模型を見ながら、ガイドさんの説明がありました。
この模型は1904年の資料をもとに当時の遺跡の配置と環境が再現されているそうです。



















ガイドさんからいくつかの石像についての説明がありましたが、
メモもとらずに写真ばかり撮っていたので、
どんな内容だったか忘れてしまいました。
日本の観光地のように、パンフレットが置いてあると良いのですが…

次は世界遺産ホイアン旧市街観光へと続きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・世界遺産ミーソン遺跡群観光

2017-05-13 | 外国旅行
4日目


ホテルの部屋から(5:46)
5時前には起きて身支度を整え、いつでも出かけられる
準備をしています。
ほんとのところは5時半に起きれば十分間に合うのですが、
寝ていられないのです。



朝食(6:00から)
どこのホテルンも朝食はブッフェスタイルなので、
お料理の種類も多く、好きなだけ食べられるのですが、
3回目ともなると、だんだん食べられなくなります。
とはいうものの、フルーツだけはいつもたくさん頂きます。

この日はホテルを8時15分に出発し、
バスに1時間15分ほど乗りミーソン(美山)遺跡群観光を1時間20分。
その後バスで1時間15分ほど移動し、ダナン市内観光を35分。
最後にホイアン旧市街観光をします。



ホテルにはこんな素敵なプールもあるのですが、
遊んでいる時間はありません。(7:11)



車窓から
長閑な田園風景に癒されます。
線路の脇を通った時はベトナムの列車を見ることが
出来るかもしれないと、ずっとカメラを構えていたのですが、
列車は来ませんでした。



結婚式だそうです。
招待客数が300人、500人はザラと聞き、ビックリしました。

街中を走っていると、9時を過ぎても遊んでいる子供が多かったので、
ガイドさんに質問してみると、この日は土曜日なのでした。
旅行に出ていると 曜日の感覚がなくなります。
この質問でベトナムの義務教育の話に発展しましたが、
ガイドさんによると、
ベトナムの初等・中等教育は6歳から始まり、小学校5年間、中学校4年間
高等学校3年間の12年制で、小・中学校の9年間は義務教育だそうです。
昔から開発途上国の中では識字率が非常に高く、
日本への関心も高く、日本語を学ぶベトナム人は4万人以上いるそうです。
給食は朝食と昼食が用意され、制服もあるそうです。
ただ制服は週に2回だけ着用し、他の日は私服だそうです。
都市部では、教育施設が大幅に不足しているので
子どもたちは午前組・午後組の2つに分かれ、
同一教室を2回使用する2部制が採用されているとのことでした。
また別のガイドさんの話ですと、ベトナムには徴兵制があり、
18歳になると2年間軍隊に入る義務があるそうです。
大学生は兵役が免除されているので、ガイドさんは大学に入り
日本語を専攻されたと話されていました。

観光地の話だけでなく、こんな普通の話が聞けるのも楽しいものです。



ミーソン遺跡の入り口に到着しました。(9:40)
チケット売り場近くで、ガイドさんが手続きを済ませるのを待ち歩き始めます。
入り口から100mほど歩くと橋が現れ、
橋を渡り切ると、カートに乗り換えての移動になります。



カートで5分ほど走ると現地に到着。
そこから先は歩きますが、思ったよりは暑くはなく
自然を感じながら、気持ちよく歩けました。
10分ぐらい歩くと休憩所に着きます。
昨日膝を傷めた友人と、もう一人の女性は
遺跡を見学せずそこで休んでいました。



ミーソン遺跡に到着しました。(10:16)

ミーソン遺跡はナム省ミーソンにある遺跡で6世紀から13世紀頃まで
中部地方で栄えたチャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教)の聖地。
チャンパ王国の遺産としてその歴史的価値が認められ、
1999年に世界遺産に登録されました。
20世紀初頭、フランスの考古学者らにより発見され、
修復、補強が進められましたが、大部分はベトナム戦争で破壊されたそうです。



古代ヒンドゥー教のチャム族たちは、
歴代王朝が代わる度に祠堂を建ててきたそうです。
祠堂はレンガのみで積み上げられ、
レンガの間に接着剤は一切使われていなかったそうです。
当時の技術力の高さにビックリです。



壁面の女神像
ヒンドゥー特有の文様やレリーフがいたるところに刻まれています。
白くなっている箇所は、現代になってセメントで修復した箇所だそうです。



リンガ(男性)とヨニ
男女の象徴とされる遺跡。
そっと手をかざして願い事をすると良いそうです。



ベトナム戦争時にアメリカ軍が落とした爆弾のクレーター。



屋根の造形は、船をイメージしているそうです。







祠堂内
ミーソン聖域から発掘された彫刻品や壁面の一部、
ベトナム戦争時に落とされた不発弾が展示されていました。
左は踊るシヴァ神のレリーフ。





巨大な遺跡でしたが、米軍の空爆で殆ど崩壊したそうです。
残っているの壁面と巨大な石の祭壇です。

次はダナンへ(約50Km/1時間15分)



車窓より
鳥の名前は忘れましたが、養殖しているそうです。



ダナンにて昼食(中華料理)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・世界遺産フエ建造物群・阮朝王宮

2017-05-11 | 外国旅行
3日目続き

1802年~1945年までグエン王朝の都が置かれていたフエ。
旧市街の中心部に、グエン朝時代の王宮が残されており、
1993年にベトナムで初めてユネスコの世界遺産に登録されました。
かっては100以上の建物があったそうですが、
ベトナム戦争の激戦地であったため、多くの建物が失われたそうです。
戦後王宮門や太和殿などの主要な建物は復元されましたが、
全体の復元計画はまだ途上で、中央は芝生が広がるだけとなっていました。



體仁門手前の外堀りにかかる橋の上から
フエのシンボルマーク「フラッグタワー」をズームで!



體仁門(16:40)



午門(王宮門)が見えてきました。



午門(16:45)
鳳凰が両翼を広げた姿を象った王宮の午門。
皇帝や貴族専用の正門で、庶民の出入りは許されなかったそうです。



中央の屋根だけが黄色ですが、黄色は皇帝の色を表し、
皇帝が御する場だそうです。
中央の閉じられた門は皇帝専用。



両側の緑の屋根の部分はそれぞれ文官と武官が
控える場だそうで、
「午門」の午というのは方角のことで
「南の門」という意味だそうです。



大和殿(16:50)
午門の正面にある北京の紫禁城を模した宮殿で、
高さ約12m、幅約44mの建物です。
内部は至るところ皇帝を示す龍の彫刻で彩られている
そうですが、見学はできませんでした。
皇帝の即位式が行われたそうです。



太和殿を抜けると広い広場になっています。
左右に同じような建物があり、こちらは向かって右側の建物。



内部は旧王宮の写真の展示室となっていました。



太和殿以降は自由散策となりました。
壁の向こうに後宮があるというので覗いてみることにしました。



この門から後宮に入ります。





ベトナム戦争で破壊され、建物などは何一つ残らなかったそうです。
現在は原型に近い形で復元されつつあるそうです。



復元された回廊部分





回廊内部



回廊内部





約1時間の王宮見学は終わりました。
時計を見ると5時40分。
次はバスで10分ほど移動し、フォン川クルーズをします。



ドラゴン仕様の木造船に乗船(17:50)



商売熱心で少しの時間でもお土産をすすめることを忘れません。



同じ船が対岸を走ります。



一日中曇りでしたが、雨に降られなくて良かった。
夕食はバスでホイアンに移動してからですが、
フエからホイアンまでは130㎞、3時間かかるそうです。



夕食(ホイアン名物料理)
食事時間は約1時間(21:10~22:10)

宿泊はメルキュール ホイアン ロイヤル(2連泊)
ホテルまでは30分ぐらいで着きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・世界遺産フエ建造物群・カイディン帝廟

2017-05-09 | 外国旅行
3日目
今日はベトナムで初めて世界文化遺産に登録された
フエの建造物群を見学します。

フエは、ベトナム中部の都市で、トゥアティエン=フエ省の省都。
19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた
最後の王朝・阮(グエン)朝の首都に定められていた古都です。



朝食(ホテル)
11:00発のVN1372便に搭乗予定なので、
ホテル出発は8:30。
相変わらずツアーは忙しい。



ホテルにて、民族楽器の演奏と楽器の販売



飛行機が遅れたために航空会社から配られた菓子パン。
日本ではありえないことですね。

飛行機の出発が1時間半も遅れ、12:30の出発となりました。
時間はたっぷりあったので、ショッピングをして時間を潰していました。
ベトナムの国民所得は日本に比べだいぶ低いので、
物価もそれ相応かと思いましたが、
お土産(雑貨は別ですが)に関しては例外のようです。



フエ・フバイ空港に着陸。
まずはこの青いバスで昼食会場に直行。
ツアー参加者は24名でしたが、
2座席一人で座れるのでゆったりと出来ました。



昼食(フエ宮廷料理)

1 人参で形どられた鳳凰の前菜・3種盛り



2 パイナップルに飾られた串刺しのた揚げ春巻き
3 ハスの実と鶏肉のスープ
4 宮廷の揚げエビ(卵と塩味のエビ)
5 宮廷飾りの野菜炒め
6 パイナップルとトマト味のイカ炒め
7 5つの調味料付きの蒸し魚
8 亀形のチャーハン
9 フエ名物のデザート(豆の砂糖漬け)ジャスミン茶

宮廷料理だけあり盛り付けが綺麗です。
(ここだけメニューの写真が撮ってありました)



昼食を食べたレストラン
静かで趣のあるレストランでした。
ランチタイムは約1時間。


カイディン帝廟
フランス植民地時代の1920年から11年の歳月をかけて
建設された東洋と西洋の折衷様式の帝廟で、
最後の皇帝グエン朝12代皇帝が永眠している廟です。



1920年というと日本では大正9年ですが、
それよりずっと昔に建設されたように感じました。
帝廟がある場所へは急な階段と門をいくつか
超えていかないと行けませんが、
一緒に行ったお友達が、ここで膝を傷めてしまいました。
階段の竜は皇帝をあらわすそうです。



カイディン帝の功績を刻んだ石碑が設置されている建物



踊り場の左右(写真は左)には役人や馬や象の石像が立ち並んでいました。
結婚記念の写真を撮っているカップルにも出会えました。



↑と同じ場所を上の踊り場から写しました。



帝廟の長さは118mで幅は48.5mです。



帝廟内部には写真や遺品、カイディン帝の像などが展示されています。


帝廟内部



天井の竜・・・圧巻です。





壁の装飾
陶磁器やガラスを用いたモザイク。が素晴らしく贅をつくしたものである



日本の日本のビール瓶や陶器のカケラも
使われているそうです。



金箔を押した青銅のカイディン帝の等身大の像があり、
下には皇帝の遺体が安置されているそうです。

次は阮朝王宮の見学とフォン川クルーズへ
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・メコン川クルーズ

2017-05-07 | 外国旅行

旅行・2日目の午後はメコン川クルーズを愉しみました。

メコン川はチベット高原を源流とし、中国雲南省、
ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア、
ベトナムを流れ、南シナ海に抜ける全長4023キロの国際河川で、
東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川です。
その下流にある三角デルタのメコン川は肥沃な農地と水に恵まれ、
輸出米のほとんどがここで作られているそうです。



ミトーの船着場。
メコン川クルーズはここからスタートします。
私達が乗るのはモーター付きの木造船。
ここからメコンデルタの島に向かい、
ジャングルクルーズをします。



左側に見える家は水上ハウスでしょうか。



島に上陸し、少し歩くと蜂蜜農園があります。
そこでハチミツに金柑を搾りプロポリスの顆粒を入れて、
お茶を注いだハチミツ茶とドライフルーツを試食。
美味しかったので夫に買って帰りました。
お値段は500mlのペットボトルに入って600円位。
ハチミツは日本のものと比べるとサラッとしています。
一瞬、薄めたのかと思いましたが、
ガイドさんが花の種類(龍眼の花の蜜)によって
こうなるのだと説明してくれました。
龍眼は漢方薬としても用いられ、健康効果も高いようです。



蜂蜜農園を出たところで、希望者に蛇の首巻体験がありました。
男女1名ずつ体験されていましたが、私は気持ち悪くてとても、とても・・・


いろいろなフルーツの木がありました。



ココナッツ



ジャックフルーツ



バナナ

この他にドリアンやマンゴー、パパイヤなどの木も見ましたよ。



ココナッツキャンディー工房
工房といっても小さな小屋です。
ココナッツジュースを大きな鍋で煮詰めたものを
きれいにカットして紙につつんでいきます。

ヤシの皮を燃やした火で煮つめるそうですが、
ヤシはエコで捨てるところがないのだそうです。
そう言えば昔、ヤシの実の鉢に
植えてある植物を買ったことがありましたねぇ~



出来たてを試食しましたが、美味しかったので買って帰りました。
お味はほんのり甘くてココナツミルクの味がします。
最初は7個で1000円といっていましたが、どなたかの一声で
8個1000円にしてくれました。



サンタンカは夏になると、毎年のように植えますが、
実は木だったのですね。



ブーゲンビリアはいろいろな色が咲いていましたが、
代表してオレンジ色をアップしました。



最後の休憩地ではフルーツの試食がありました。



民族音楽を生で楽しめ、随分サービスがよいと思ったのですが・・・



最後にチップを入れる籠が回ってきました。
チップは自由で、私とお友達は20000ドン入れましたが、
中には入れない方もいらっしゃいました。



いよいよジャングルクルーズが始まります。



4人で1台の手漕ぎ舟に乗って水路巡りをします。



人家もあり、この家ではありませんが、
上半身裸の男の人がのんびり寛いでいる光景等を見ました。
そう言えばボートの漕ぎ手は女性。
ベトナムの女性は働き者と聞きましたが、まさにその通りでした。



先頭のボートにはガイドさんが乗っています。
ニッパヤシの茂る小さな川を20分間、
ジャングルクルーズはあっという間に終わりました。



エンジンボートに乗り換え、ミトーの船着場に戻ります。



希望者にはココナッツジュースのサービスがありました。
もちろん、頂きましたよ~・・・



約15分で船着場へ帰着しました。
ココナツジュースを飲むのに忙しく、船上での写真は撮れませんでした。




夕食(ベトナム料理)
3食ともボリューミーな上におやつが4回も付きました。
このまま1週間、こんな食生活を続けたら
太るのではないかと、ちょっと心配になりましたが、
気にしない、気にしない。

このあとバスに乗って、ホーチミンのホテルに戻りましたが
2時間はかかるので、多分ホテルに着いたのは
11時頃になったと思います。
それからシャワーを浴びて荷物の整理をして・・・
タイトな一日でした。

明日は飛行機で中部のフエに移動します。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・クチトンネル観光

2017-05-05 | 外国旅行
ホーチミン・2日目
スタートは6:00の朝食から
睡眠はあまりとれなかったのですが、少しでもたくさん食べて
元気を出さなければと頑張って食べました。



午前中はベトナム戦争の時の激戦区になっていたクチにある
巨大な地下トンネルの見学ツアーに出かけました。
クチまでは約70㎞、ホテルからバスで約1時間半かかります。

ベトナム戦争中、クチでは何千人もの人々が
地下トンネルで暮らしていたそうです。
地下トンネルは全長200Kmにも達し、戦闘中のベトコンゲリラの
隠れ家としてだけでなく、司令部の会議室、兵器製造拠点
などの軍事施設の他、家族用の宿舎としてとしても使われており、
学校や病院まで完備されていたそうです。
ベトナム戦争勝利の原因はこのトンネルにあったのかもしれません。



ビデオ上映室
ベトナム戦争やクチトンネルの概要を説明したビデオでしたが、
見ている途中、若い頃よく似た内容の映像を、テレビで見たことを思い出しました。



まずは森の中を歩き、トンネルの入り口や落とし穴、
当時のベトコンの人々の生活を見学します。



落とし穴
落ちるとこのような先の尖った鉄の棘が刺さる仕組みになっています。
実際には回転式の蓋が落ち葉で隠されているので、
普通に歩いていては見つけられないレベルだったそうです。



隠れ穴
入り口が小さく、体が大きい米兵が入れないようになってます。



地下トンネル



ベトコン兵士の等身大像




ベトコンが爆破させたアメリカ軍の戦車



落とし穴いろいろ



兵器や地雷を作るベトコンの等身大像



生春巻き生地作り実演



ミシン実演



地下トンネル体験



入り口は観光用に少し広くなっていますが、中はしゃがんでやっと
通れるほどのスペースしかありません。



出口が見えてきました。
私は一番短い距離の体験でしたが、トンネル内は狭い上に
ムシムシとして息ぐるしく、実際のトンネル内にはアリやムカデ、
サソリなどの虫もはびこっていたそうです。
ベトナム戦争は約15年も続いたそうですが(アメリカ参戦は10年)、
その間、この中で昼間だけとはいえ生活したベトナム人の
執念と忍耐強さに改めて感服させられました。



ツアーの締めはお茶とお芋(キャッサバ)の試食。
お芋は当時の貴重な主食だったそうです。
お芋自体は淡白ですが、ナッツ入りの塩につけて食べたので、
けっこう美味しかったです。

トンネル内では炊事もしましたが、トンネルの存在がバレぬよう、
トンネル内で発生した煙をを出す穴は
離れた場所に設置してあり、後に米兵が地下の基地を一掃する為に
訓練犬を動員した際は、臭いで犬に見つからないよう、
中にチリパウダーを仕掛けたそうです。
ベトナム人は忍耐力だけでなく知恵もあることが、
このツアーでよくわかりました。



最後にもう一度、ベトコン兵士の等身大像


バスに乗ること約2時間。
次はミトーのメコン川クルーズですが、
その前にメコン川の名物料理を堪能。
お料理は4人前なので、けっこうなボリュームですが、
物珍しさに食欲全開でした。



メコン川名物のライスボールとエレファントフィッシュは
お給仕の方が切り分けてくれました。



ライスボール
中に何が入っているのかと、興味津津でしたが、空っぽでした。
もち米を油で揚げたもので、外はカリッと、
中はもっちりと柔らかく、ほんのりと甘いお味で美味しかったです。



エレファントフィッシュ
日本料理のように丁寧にうろこなどはとってありません。
下味もつけずに、唐揚げにしたようです。
ライスペーパーの上に野菜と春雨、エレファントフィッシュを乗せて
生春巻きのように巻き、タレ(マクヌム)につけて食べました。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・ホーチミン「中央郵便局」「サイゴン大教会」他

2017-05-03 | 外国旅行

旅行第一日目・続き



中央郵便局



フランス・パリのオルセー駅(現在はオルセー美術館)の駅舎を
モデルにした外観で、その設計を請け負ったのは、
エッフェル塔でも有名なギュスターブ・エッフェルの会社だそうです。
フランス統治下時代の1891年に建設されました。



アーチ形に造られた天井は高く奥行きがあります。
正面には大きなホーチミン主席の肖像画が飾られています。



今も郵便局として活躍しています。



写真はほんの一部ですが、
民芸品やバック等、お土産も充実しています。



木目調のお洒落な電話ボックス



揚げパンのようなものを売っているおじさん。
観光客に頼まれると、一緒に写真を写していました。



サイゴン大教会
19世紀末、フランス統治時代建立のカトリック教会。
(中には入りませんでした)


その後雑貨店やラテックス店に寄り、
ドンコイ通りを少しだけ散策(各自で30分)
ペンタイン市場も見学しました。
市場内は場内だけなので、普通に見て歩けましたが、
ドンコイ通りは時間内に集合場所に戻れるかどうかが不安で
写真も撮らず、お友達と集合場所近くを、ウロウロしていました。
(すっかり老人化してしまって情けないです)



ベンタイン市場



ベンタイン市場近く


夕食はベトナム料理店で21時頃から(日本時間だと夜11時頃)



生春巻き他とフォー



フォーとデザートを除き、6名が1つのテーブルに着き
めいめい取り分けて頂きました。
炭水化物と油が多いように思いましたが、美味しかったです。
お料理名は説明を受けましたが、
炒飯と牛肉と空芯菜の炒めものぐらいしか覚えていません


食事を済ませ宿泊先のラマナホテルに着いたのは
現地時間で10時半過ぎ(日本時間で真夜中の12時半過ぎ)。
それからに荷物を整理し、シャワーを浴び、
連泊なので下着など洗濯をしてから寝ました。
一日の何と長かったこと・・・
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム旅行・ホーチミン「統一会堂」

2017-05-01 | 外国旅行

4月12日(水)から4月18日(火)まで
「よくばりベトナム大縦断」のツアーに参加しました。
出発は成田空港9時30分発のベトナム航空301便。
空港集合が7時半なので、5時4分の電車に乗らなければなりません。
3時45分に起床し、4時45分には家を出発し、
横浜駅からJR成田エクスプレスに乗車し、
どうにかこうにか時間内に、成田空港に到着しました。

成田からホーチミンまでは約6時間。
時差は−2時間です。
飛行機の中では友人とずっとお喋り。
朝が早く寝不足だったので、楽しかったけれど、
けっこう疲れました。



ベトナム航空だったので、機内食はベトナム料理かと思いましたが、
普通の洋食(左・私)と和食(右・友人)でした。



飛行機を降りて空港まではバスに乗って行きますが、
運転席周辺が日本のバスに比べ非常に広く、
熱帯地方らしく大きな水が積んでありました。



入国検査はとても混雑しているうえに、職員が日本人のように
テキパキとしていないので時間がかかります。
荷物を受け取って 現地ガイドさんを見つけましたが、
なかなか見つからずちょっと不安になりました。



ホーチミンに着いて驚いたことは、16年前に行ったタイと
同じようにオートバイの多さでした。
2人乗りは当たり前。
中にはお子さんを挟んで4人乗りのオートバイもありました。
メーカーは圧倒的にホンダで、良いバイクに乗ることは
ステータスにもなるそうです。
怖くて道路を横切ることも出来そうもないので、
私にはとても個人旅行は無理でしょう。
排気ガスで空気が汚れているので、マスクをつけている女性が
多いのも目立ちました。
旅行会社の栞にはチップは不要とありましたが、
現地ガイドさんの助言で、ホテルのベットメイクさんには
2万ドン(日本円で100円)を枕に挟んでおきました。

尚、上の写真はオートバイが少ない方で、
朝などの通勤時間帯の交差点は、自動車が入り込む余地がないほど
信号待ちのオートバイで溢れていました。



最初の観光は、旧南ベトナム政権時代の大統領官邸であり、
ベトナム戦争終結のシンボルでもある「統一会堂」。
時間の関係(50分)だと思いますが、
建物内は1階の作戦会議室と2階を見学しただけでした。
統一会堂は4500㎡もの土地があり、建物の高さは26m、95の部屋があるそうです。

フランス官僚のために1868~1873年に建設された
ノロドン宮殿が起源で、
現在の建物は1962年から4年間かけて再建されたたものだそうです。



1975年、長きに渡ったベトナム戦争は、
ついにこの戦車が無血入場し、終結を迎えました。



大統領執務室



応接間

豪華な家具や調度品。
当時の大統領の豪華な暮らしぶりが窺い知れます。



応接間



外国大使客間

金色の漆絵が素晴らしい。



盆栽の寄せ植えと2階の中庭

ベトナムにも盆栽文化があることを知りました。
この写真の盆栽は小さい方ですが、日本では考えられないほど
(私だけかもしれませんが)大きな鉢に
寄せ植え風に植えられていました。
2階の中庭も日本風でした。



大統領への贈り物とシーサー

残っているものはわずかで、
大統領がタイに亡命する際に貴重品を持ち出していったそうです。



2階のベランダから前方を眺める。

統一会堂はベトナム1区の中心部に位置しています。
このあと、近くにあるサイゴン大教会や中央郵便局を見学しました。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国・ソウルの旅【3日目その3・世界遺産・昌徳宮(チャンドックン)】

2014-06-06 | 外国旅行
昌徳宮は朝鮮王朝第二の王宮で、
第3代国王の太宗が1405年に創設。最初は離宮として使われていました。

豊臣秀吉が朝鮮に侵攻した文禄・慶長の役に正宮である景福宮と
ともに焼失しましたが、1615年に再建されました。
その後、景福宮が再建されるまでの約270年間、
昌徳宮が実質的な王宮となっていました。

昌徳宮は、山の自然をそのまま活かして建物が配置され、
李氏朝鮮時代の趣を随所にうかがうことができます。
現存する13棟の木造建築は、韓国の宮殿の中で最も保存状態がよく、
1997年に韓国の五大古宮で唯一、世界文化遺産に登録されました。
敷地面積は約13万5000㎡。



敦化門(トンファムン)
昌徳宮の正門として1412年に創建。この門はソウルに
残っている木造の二層門としては最古のものだそうです。

敦化門に向かって左側に、チケット売り場があります。
入場料は3000ウォン(約300円)
日本語によるガイドが無料で受けられます。

門を入ってすぐのところの昌徳宮の案内板付近にガイドさんと
日本人観光客が集まっていました。ガイドさんの挨拶と
王宮の歴史とレイアウトについて、簡単な説明がありました。



韓国最古の石橋、錦川橋(クムチョンギョ)
正殿に入る際には小川を渡って入るという、風水の思想に
基づき1411年に造られました。悪い気が入るのを防ぐために
伝説の獣ヘテや亀、龍などが彫られています。



進善門



進善門をくぐると、回廊で囲まれた広場に出ます。
広い道がありますが、中央の高い場所は、王様の通路。
道の左側が仁政門(インジョンムン)、奥は粛章門。
一直線に奥へと進む景福宮とはまったく異なります。
写真右の仁政門は仁政殿の正門で、奥に見えるのが仁政殿です。



仁政殿(インジョンジョン)(正殿)
仁政門の奥にあります。こちらも中央が王様専用の通路。
仁政殿は国王の即位式や祝賀儀式、外国使節との謁見など、
国の重要行事が行われた場所だそうです。
2階建てのように見えますが、中は吹き抜けになっています。



仁政殿の内部
玉座の後ろにある絵は日月五嶽図はツアー初日に行った
景福宮にもありました。太陽と月は王と王妃を、
五つの山は王が治める広い領土を意味しているそうです。



ガイドさんがおっしゃるには、仁政殿はこの位置から見るのが
一番美しいそうです。



宣政門(ソンジョンムン)と宣政殿(ソンジョンジョン)
宣政門の奥に宣政殿があります。
宣政殿は王が高位職の臣下たちと国政を議論した場所です。
屋根の青瓦は当時の王朝で王族だけが許された権力の象徴で、
ここは現在韓国に残っている唯一の青瓦の宮殿です。



宣政殿の内部



上段:大造殿への入り口宣平門と大造殿(テジョジョン)
下段:大造殿内部。

大造殿は王と王妃の神殿。
キレイな象嵌細工が施されたチェアが置いてありました。



左上:宮殿の台所である「水辣間」(スラッカン)
左下:床下暖房装置・オンドルの焚き口
右:オンドルの煙突

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に、昌徳宮の南東にある、楽善斎(ナクソンジェ)
と呼ばれる邸宅を見学しました。
楽善斎は24代王憲宗の時代に、側室を住まわせるために
造られた建物で、今まで見てきた華やかな宮殿と異なり、
質素で落ち着いた佇まいの邸宅でした。
ここは戦前の皇族・梨本宮家から、朝鮮王朝最後の皇太子に
嫁いだ李方子(イ・バンジャ)さんが1989年に亡くなる
まで過ごされた場所でもあります。
現在見られる建物は李方子さんが亡くなった後、
日本風の作りから原型に戻したものだそうです。

 








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

韓国の国鳥・カササギ



縁起の良い鳥として大切にされているらしく
樹木の多い宮殿や宗廟など、いたるところにいました。
日本では佐賀平野を中心に、佐賀県・福岡県の一部の
市街地周辺の農耕地や林などで、
周年見ることができるそうです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国・ソウルの旅【3日目その2・仁寺洞(インサンドン)】

2014-06-04 | 外国旅行
仁寺洞(インサンドン)は朝鮮王朝時代から
画家の街として栄え、今でも韓国伝統雑貨を扱う店が多く
ソウルの中でも最も韓国らしさが感じられるエリアだそうです。
全長約700mほどのメインストリートには、陶磁器や工芸品、
骨董品、韓紙など韓国の伝統的な店が並んでいます。
お店を覘きながらブラブラと散策を楽しみました。



ここからが仁寺洞(インサンドン)
まだ10時半頃だったので、人通りは少なかったです。





甘いものが欲しくなったのでちょっと一休み。
窓辺にお花が飾ってある2階のお店に入りました。
かき氷に小豆、求肥、コーンフレークをトッピングし
練乳をかけたものをオーダーしましたが、
これが一番お安くて9000ウォン(約900円)でした。





仁寺洞(インサンドン)で1時間半位過ごし、
次は昌徳宮(チャンドックン)に向かいました。
昌徳宮(チャンドックン)は仁寺洞(インサンドン)から
ゆっくり歩いて、20分位のところにあります。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国・ソウルの旅(3日目その1・南山韓屋村&ソウル地下鉄)

2014-06-01 | 外国旅行
三日目は一日フリー。
朝は韓国名物のキムパプを食べ、ホテルからも近い
南山韓屋村(ナムサン・ハノク・マウル) に行きました。
南山韓屋村までは徒歩で約5分、8時半には正門前に着きました。



南山韓屋村の入口と案内板
1998年4月18日に開館した施設で、広大な敷地は、
伝統家屋エリアと伝統公園エリア、ソウル南山国楽堂
に分かれています。



広場ではテントの下で水墨画を描くイベントが
開催されていました。



ソウル南山国楽堂
外の門をくぐって中に入ると、正面と左右に建物がありました。
全ての建物は平屋に見えますが、右側の建物は地上1階、
地下2階の「公演場」(写真下・下段左の建物)となっているそうです。
脇の坂道を上った時、その様子はわかりましたが、
事務所か何かと勘違いし、写真を撮るのを忘れました。



電気音響を使用しない国楽鑑賞ができる韓国唯一の
公演場として、様々な企画公演が開催されているそうです。
ここで、伝統家屋エリアは、この日が定休日(火曜日)
であることがわかり、庭園を少し見て帰ることにしました。



伝統庭園
ソウルタワーも見えます。



伝統家屋エリア
公園を一回りし別の道から引き返すと、
伝統家屋エリアが外からですが、一部見ることが出来ました。



朝鮮時代の両班(ヤンバン・貴族)から庶民の家まで
5棟の家が展示されているそうです。



そのうち4棟は、ソウルに点在していた家屋を
原型に近いかたちで補修・移転したものだそうです。



家の裏側には韓国自慢の床暖房「オンドル」
の煙突も見えます。



定休日でなければ、解説員による説明とガイドを
無料で受けられたようです。残念!

ひとまずホテルに帰り(9:30)一休みし、
荷物をまとめてフロントに預け、地下鉄に乗って
仁寺洞(インサンドン)と昌徳宮(チャンドックン)
に行くことにしました。出発は10:00頃。
3:20までホテルに戻らなくてはなりません。



Tマークホテルから地下鉄忠武路(チュンムロ)駅
入口までは徒歩で約2分。
同行した友人の韓国旅行は今回で4度目だそうですが、
地下鉄に乗るのは初めてだそうです。
仁寺洞(インサンドン)は地下鉄 3号線に乗り、
3つ目の安国(アングッ)駅で下車します。



ソウルの地下鉄には切符がありません。
カード式切符「1回用交通カード」を求めます。
自動販売機には韓国語、中国語、英語、日本語バージョンが
ありますが、困ったのは駅名検索。
日本語バージョンなので下車駅が日本語で「安国」と
表示されるものとばかり思っていましたが、
韓国読みのアルファベットで、一画面に25位でるので、
後ろに人が並んでいると、探すだけで焦ってしまいます。
料金は保証金500ウォン(約50円)込みで求めますが、
料金自体はとても安かったです。(115円)



忠武路(チュンムロ)駅ホームと地下鉄内の様子。



カード保証金返還機
目的駅に着き、改札を出たら、カード保証金返還機から
1回用交通カードの保証金500ウォンを返してもらいます。
カードを挿入するだけなので、とても簡単です。



安国(アングッ)駅構内
仁寺洞(インサンドン)の出口は6番、改札を出てから
6分位かかります。構内通路はギャラリーのよう。
非常時の救援物資も保管されていました。



6番出口を出ると仁寺洞(インサンドン)はすぐです。



ツアー初日に現地ガイドさんに一人3000円で
景福宮を案内していただきましたが、
日本語ガイドのある日を確認してから、地下鉄に乗って
行けば、500円ちょっとで観光できたようです。
ソウル市内観光は個人旅行がお勧めです。

ソウル(韓国全体かもしれませんが)では日本のように
軽自動車は走っていません。
税制で優遇されていないこと、大きな車に乗ることが
ステータスと考えられていること、家族の安全を第一に
考えることなどが理由に挙げられているようです。
我が家の近くは高齢化が進み、軽やコンパクトカーに
乗り換えるお宅が多くなりました。
日本人は現実的。韓国人はちょっと見栄っ張りかしら。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする