hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

⑭峰の薬師へのみち

2019-05-22 | 関東ふれあいの道・神奈川県

昨年3月4日から始めた「関東ふれあいの道・神奈川県全17コース」も
今回が最後となりました。
三浦半島から湘南海岸を通り、大磯から北上して丹沢山麓、
峰の薬師を通って起点の東京都と結ぶ、延長197.2km、
(寄り道や、見学、その他を加えると実際はもっと歩いていますが)
我ながらよく歩いたものだと感心しています。
このまま東京都も続けて歩きたい気持ちもありますが、
東京都は神奈川県に比べると1区間が長いので、シニア夫婦の足で
一日に歩き切れるかどうか不安です。



5月20日(月)
最終回は峠の薬師の歴史に触れ、津久井湖や丹沢山地の展望を
楽しみながら、東京都に至る「⑭峰の薬師へのみち」を歩きました。
パンフレットには難易度2と書かれていましたが、
5ヶ所あった難易度1のコースよりも楽に感じられました。



行程

JR相模線・海老名駅08:18発-JR橋本駅08:48着(IC運賃324円)
JR橋本駅北口・三ヶ木行09:00発-城山高校前バス停下車09:23(IC運賃268円)
(車を駅付近の駐車場にとめてからここまで2095歩、歩いています)

城山高校前バス停09:25発→津久井湖城山公園水の苑地09:30(10分見学)
峰の薬師10:30(15分休憩)→三沢峠11:10(5分休憩)→梅ノ木平バス停12:08

梅ノ木平バス12:11発-JR高尾駅12:25着(IC運賃216円)
JR高尾駅12:46発-JR八王子駅13:00-
JR橋本駅13:12着13:39発-JR海老名駅14:05着(IC運賃583円)



標高
城山高校前バス停139m→津久井湖・水の苑地160m→峰の薬師322m→三沢峠410m→梅ノ木平バス停205m



8時48分、JR橋本駅に到着
エスカレーターで下の橋本駅北口バスターミナルへ。
一番線より9時発の三ヶ木行きバスに乗車。
9時23分、城山高校前バス停に到着。

スタートは9時25分。
50m先を右折して県立津久井湖城山公園 水の苑地へ。



9時30分、県立津久井湖城山公園 水の苑地に到着
愛らしいルピナスが花盛りでした。
正面に見える三角の山は「⑬山里から津久井湖へのみち」で歩いた城山。
水の苑地では10分ほどルピナスを鑑賞。





ルピナスは南北アメリカが原産のマメ科の植物。
藤に似た花が逆さに咲くことから別名:昇り藤と言われています。

第1回の「三浦・岩礁のみち」では、三浦海岸の美しい河津桜。
最終回は愛らしいルピナス。
花に始まり、花で終わることが出来、良い思い出になりました。



鉄塔の見える山を目指して歩きます。



道端に咲くムシトリナデシコとゼニアオイ



10時、峰の薬師東参道口分岐を通過。
右折します。



最初は緩やかな坂道ですが、だんだんと急坂になります。



零れるばかりに咲いていたのはマルバウツギでした。
日当たりの良い場所では早くも黄色いモミジイチゴの実や
赤いヘビイチゴの実もなっていました。
ヘビイチゴの近くには、シマヘビがいてゾッとしましたが、
ヘビイチゴがヘビがいそうな所に生育するというのは
あながち嘘ではないということがわかりました。



10時30分、峰の薬師山門に到着。
峰の薬師は姿三四郎と桧垣鉄心が決闘した舞台としても有名。
富田常雄の長編小説「姿三四郎」を黒澤明監督が映画化した時も、
ここで撮影が行われたそうです。



左は境内の一角にある「姿三四郎決闘の場」の碑。
中央はとうがらし地蔵尊
右は鐘撞堂をバックにした証明写真。



峰の薬師・本堂
峰の薬師は、明応年間(1492年)に創建と伝えられる古寺で、
東京の新井薬師、高尾薬王院、伊勢原の日向薬師とともに、
武相四大薬師の一つに数えられ、昔から武蔵・相模の人々の生命を守り、
心身の病を治す薬師様として、厚く信仰されてきたそうです。



峰の薬師境内からの眺め
津久井湖とその先の相模川まで見えます。

奥の院は峰の薬師から10分ほど歩いたところにありますが、
その途中にベンチがあったのでおやつタイム。
奥の院での撮影時間も含め15分ほど休憩しました。



そのベンチの前からの眺め。
津久井湖と城山(中央)がよく見えます。



10時55分、奥の院到着。
コンクリートの建物ですが、かなり傷んでいるようでした。



無線中継所の電波塔(No1~No3)を通過。



ヤマツツジ  ガクウツギ

緑の実に変わったマムシグサ、フタリシズカ 
ヒエンソウやタツナミソウなども見ることが出来ましたが、
スマホ撮影だったので、シャッターを押す瞬間手が震え、
綺麗に写すことが出来ませんでした。





11時10分、三沢峠到着。
神奈川県と東京都の都県境になります。
城山高校前バス停からここまで、休憩30分を含めて
1時間40分かかったことになります。



こんな看板を立てなければいけないほど、
心無い人がいるのですね。



11時34分、休憩所の東屋を通過。
三沢峠からは下るだけなのでとても楽です。



11時39分、高尾グリーンセンターを通過。



美しい杉木立の中から、可愛らしい小鳥の囀りが聞こえてきます。
少し下った場所に、大勢の鳥撮りカメラマンがいたので、
なんの鳥ですかと聞くと、小さな声で「オオルリ」と答えて下さいました。
どうやら、鳥のいる場所を確定しているようです。

ちなみにオオルリ←クリック
はこんな鳥のようです



11時51分、道端のお地蔵さんの横を通過。



高級懐石料亭「うかい竹亭」前を通過。



山道を出ると「峰の薬師参道」の看板。
梅ノ木平も近づいてきたようです。



「峰の薬師北参道口」の石柱。
津久井湖の少し北側にあった「峰の薬師東参道口」から、
ここまでが、峰の薬師の参道だったなんて、
その距離の長さに驚かされました。
武相四大薬師の中で、ここの薬師様だけが寂れていると
感じたのは私だけではないと思いますが、
昔は参拝者も多く、さぞ賑わっていたのでしょう。





12時8分、 ゴール地点「梅ノ木平」バス停到着。
コースの所用時間は休憩などを含めて2時間43分(休憩を含めないと2時間13分)
初めてパンフレットの所要時間2時間30分より少ないタイムで歩けました。

ラッキーなことに、一日に3本しかない八王子行のバスが、
12時11分にあります。
梅ノ木平から京王高尾山駅までは、歩くつもりでいましたが、
バスに乗ることにしました。



初めて見る京王高尾山駅(車中より)
バスに乗ったのは楽でしたが、
歩く途中で美味しいお蕎麦を食べられなかったことや、
世界的に有名な建築家、隈研吾氏の設計した高尾山口駅を
ゆっくり見られなかったことは残念でした。



12時25分、JR高尾駅到着
12時46分、始発の特別快速東京行きに乗車

JR高尾山駅を見るのは五十数年ぶり。
駅舎は綺麗になっていましたが、
造りは昔とほとんど変わらないような気がしました。
初めて高尾山登山をした時は、ここから山頂まで歩いたものでした。
中央線の電車に乗るのも久しぶり。
昔はオレンジ一色の電車でした。
ここからは最初の行程に書いてある通り、八王子駅でJR横浜線に乗り換え
橋本駅まで行きましたが、橋本ではJR相模線の乗り換えに
時間があったので、お昼の親子丼(夫はカツカレー)を食べて帰りました。

この日一日の総歩数は19393歩 12.7Km 648.8㎉を消費しました。
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⑪順礼峠のみち(後編)

2019-04-12 | 関東ふれあいの道・神奈川県



順礼峠は今回の撮影ポイント。
写真撮影を済ませ、近くのベンチに腰掛けてお弁当を食べました。
回りにはヤマツツジやピンクのシャクナゲが咲いていました。

次はお地蔵さんを正面に見て、左側の道を物見峠・むじな坂峠
を目指して登っていくわけですが、
その前に反対側にある、ながめの丘に寄ってみました。



ヤマツツジとシャクナゲ



七沢森林公園・ながめの丘
標高183mにある展望広場です。
ベンチやテーブルもあるのでゆっくりとお弁当を食べながら
眺望を楽しむこともできそうです。



白い大きな建物は全国信金連合会



微かに東京スカイツリーも見えます。
(肉眼ではなくカメラの力ですが)



左の建物は松陰女子大学
右は富士通
手前の住宅地は森の里



遠くに江の島や房総半島まで見えます。



13:08 
順礼峠を発つ前にこれからの行先を確認。
現在地から北に向かって進み、
赤い線は左に折れてゴールの御門橋バス停に下りますが、
私達は飯山観音に寄るので、右に折れ女坂を経由して
飯山観音バス停を目指します。



尾根を歩き始めて2~3分のところに
三角点があり、標高は190mと表示されていました。



そのまた2~3分先には鳥獣害対策としての電気柵が・・・



ここまでが七沢森林公園。
これから先は白山ハイキングコースです。



けっこう厳しい階段を上がってきたので物見峠かと思いましたが、
物見峠はまだ0.6km先でした。
樹林の間から丹沢・大山がみえます。



なんて長い階段!
木の階段は何ヶ所もありましたがこの日一番厳しい上りでした。
鎖を頼りに歩きます。



14:01 今度こそ、物見峠でした。
見晴らしも良かったので一休みしました。



14:13 むじな坂峠到着
東京の高層ビル群が見えます。



階段は嫌ですが、先ほどの物見峠に比べれば楽です。



14:27 飯山観音と御門橋の分岐点に到着。
「順礼峠のみち」の正規のルートでは御門橋方面に下りますが、
予定通り、白山に登るルートを選びました。



14:37 白山到着(標高:284m)
標高80m位から上り下りを繰り返しましたが、
今日歩いた場所で、ここが一番標高が高かった場所です。
白山展望台に上り、眺望を楽しみました。



白山展望台からの眺望



丹沢・大山だけはよくわかります。



女坂を下ります。
思っていたより急な下り。
膝が痛み出すのではないかと心配しましたが、どうにかOKでした。



ここにも鳥獣害対策用の電気柵が設置されていました。
白山順礼峠ハイキングコースも女坂を下ったところで終わり。
すぐに飯山観音の敷地に入ります。



飯山観音長谷寺
神奈川県厚木市にある高野山真言宗の寺院。
本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場第6番札所。
神奈川の景勝50選に選出されており、春のサクラ、初夏のアジサイが美しい。



今から17年前にもお参りしていました。
この時も桜が綺麗でしたよ。



山門



仁王像




 
飯山観音鐘楼近くからの眺め。
飯山観音を下ったところには駐車場があり、
その先には桜が、たくさん植えられていました。
「あつぎ飯山桜まつり」が開催されていたようですが、
4月7日(日曜日)で終了していました。



参道の桜
桜吹雪の中、参道の桜を楽しみながら飯山観音バス停に向かいました。



この橋を渡り、左折するとすぐに飯山観音バス停があります。
バス停に着いたのは15:40ぐらい。
運よく15:46(遅れて15:50)の本厚木行のバスに乗ることが出来ました。
この日はどこにも寄らずに帰ったので、家には16:45に着きました。
一日の歩行は25913歩 18㎞ 消費カロリーは907㎉でした。


おまけ
七沢森林公園で見た山野草です。
よろしかったらご覧ください。



スミレとタチツボスミレ。



写真左より
シャガとハナダイコン。
クサイチゴは清楚な花が素敵です。



モミジイチゴは葉がもみじに似ているため命名されたそうです。
黄色い実をつけるため黄苺の別名があるそうですよ。



写真左より
比較的明るい場所で咲いていたジュウニヒトエとキランソウ。
ホタルカズラはブルーがとても素敵でした。



ウラシマソウ(浦島草)
葉が花より高く、長いヒゲがあるのが特徴です。
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⑪順礼峠のみち(前編)

2019-04-10 | 関東ふれあいの道・神奈川県
4月9日(火)
今回は、平成最後の桜を楽しむため、桜吹雪舞い散る
丹沢山地の山際を辿る『⑪順礼峠のみち』を歩てきました。
前半は古刹である日向薬師を訪れ、
後半は白山・順礼峠ハイキングコースを辿ります。
これで「関東ふれあいの道」も『⑭峰の薬師へのみち』
を残すのみとなりました。



往路
小田急・海老名駅8:55発-小田急・伊勢原駅9:06着(IC220円) 
伊勢原駅発日向薬師行き9:20-日向薬師バス停9:46着(IC279円) 

復路
厚木・飯山観音バス停15:50発-小田急・本厚木駅16:10着(IC340円)
小田急・本厚木駅16:15発-小田急・海老名16:20着(IC130円)



日向薬師バス停~日向薬師~七沢温泉~順礼峠~
物見峠~むじな坂峠~御門橋バス停→が正規なルートですが、
飯山観音に寄りたいため、むじな坂峠から白山展望台に登り、
女坂から飯山観音に下りるルートに変更しました。

 

日向薬師バス停到着9:46
スタート9:50



レンギョウ(左)やオウバイ(右)を眺めながら歩いていると、



いきなり急な階段。





階段を上って行くと仁王門に着きました。



急な坂道が続きます。



階段の先に日向薬師本堂が見えてきました。



薬師堂(本堂)
日向薬師は奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)に
僧行基により開山されたそうです。

順礼峠へ向かう前お線香を供え、
この日の無事・安全と家族一同の健康を祈願しました。

日向薬師は昨年3月24日「⑯大山参り蓑毛のみち」を歩いたとき
にも立ち寄っています。
宜しかったらその時のブログもどうぞ!




日向薬師境内に立つ推定樹齢800年の二本杉と鐘楼。



日向薬師(右)の左横にある宝物殿(右)
4月15日の春季例大祭には、宝物殿に安置されている
国重文に指定されている御本尊が特別に開扉されるそうです。

宝物殿の先には土産店とトイレがあります。



通り抜けると裏にある日向薬師駐車場に出ます。
駐車場は薬師林道に続きます。



山が綺麗。



薬師林道
時々車も通ります。
この林道は緩やかな下り坂なので楽に歩けます。
桜も所々に綺麗に咲いていました。



薬師林道からの眺望



ミミガタナンテンショウ  キケマン タチツボスミレ
などの草花が咲いています。

ナンテンショウの仲間は多く、区別が紛らわしいので
マムシグサと迷いましたが、ミミガタナンテンショウは筒状の
仏炎苞のふちが、耳たぶのように張り出しているということから
ミミガタナンテンショウではないかと思いました。



ムラサキケマン クサイチゴ ヘビイチゴ
山野草は先週、「⑨弘法大師と桜のみち」で見た花と
だいたい同じ花が咲いていました。



七沢展望台



展望台から手が届きそうな桜
展望台からの眺め・・・伊勢原方面でしょうか 





亀石(左)
実際に亀石があるのは60m奥に入ったところだそうですが、
道中にクマ出没の看板があったので、見に行くのはやめました。
亀石から4~5分歩くと、白い一軒の家があるので、
その前を右折します

電信柱の支線に取り付けられた蛇除け(右)
蛇除けは蛇が電柱の支線をはい上がり、電線に接触して停電事故を
起こすことがあるので、その防止だそうです。
夫と一緒に歩かなければ、これが蛇除けだなんて
気が付きもしないでしょうが、なんで蛇が電信柱に登るのかが不思議です。



七沢地区



七沢神社鳥居 



鳥居の後ろにある厚木市の保護指定樹木の「ケヤキ」
推定樹齢は600年だとか。
枝も葉もありませんでしたが、枯れていないと良いのですが・・・



左の建物は七沢神社遥拝所拝殿
右の建物は七沢神社御倉殿です。
桜がちょうど満開で、とっても綺麗でした。



県道64号に突き当たりました。
道標の向きが横断歩道のある道に向いていますが、
その道ではなく、横断歩道を渡って先の道を進みます。



道端に咲くタンポポとカタバミ



桜が植えてある所の白い建物は「七沢リハビリテーション病院」、
奥の山は丹沢・大山です。



セブンイレブンのあるY字路の少し手前に順礼峠入口があります。
これから先は道標が分かり易いので歩きやすいです。



ここからしばらくは上り坂が続きます。
順礼峠は七沢森林公園の中にあります。



シカ棚のチェーンをはずして扉を開け、
10分位歩くと、その先は七沢森林公園の一部となっています。
この付近では何年か前、クマが出たこともあるとか。

上りが続いて、少し厳しい!



12:25 順礼峠に到着
順礼峠の高度は170mで、七沢森林公園・峠の広場として整備されています。
かつて順礼中の娘と老人が何者かに殺害され、
それを哀れんだ村人が地蔵を建立したと言われています。
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⑨弘法大師と桜のみち(後編)

2019-04-05 | 関東ふれあいの道・神奈川県

弘法山は丹沢山塊の南端に位置し、
隣接する権現山、浅間山とともに弘法山公園となっており、
かながわの景勝50選、かながわの探鳥地50選、
かながわの花の名所100選、関東の富士見百景に選ばれています。



山頂の大師堂とソメイヨシノ

弘法山は弘法大師が山頂で修行したことから
名付けられたと言われています。



乳の井戸

この井戸から湧き出た水は白く濁り乳の香りがし、
水を飲むと乳がよく出るようになるという言い伝えがあり、
眼病にも効果があるとも伝えられているそうです。
現在もこの水はポンプを通じて飲むことができるそうです。



鐘楼とお地蔵さん

鐘楼は「時の鐘」として、江戸時代から1956年(昭和31年)まで
秦野周辺地域の人々に親しまれてきたそうです。
鐘楼前が撮影ポイントという夫の一言で写真を写しましたが、
実際の撮影ポイントは大師堂の前だったようです。



山頂のベンチで昼食をとった後、下山しました。



ミミガタナンテンショウマ ボケの花

タチツボスミレやクサイチゴの花はこの道でも至る所に咲いていました。



ツルに絡まれ枯れてしまったモミジ
根元から新しい枝が出ていました。



途中、ハイキング道と舗装された道の分岐に差し掛かりますが、
舗装された道を北に向かって歩きます。
秦野の街並みやのどかな田園風景を楽しみながら・・・



国道246号線まで来たら、右に曲がって厚木方面に歩き
新善波トンネルを抜けます。
トンネルを抜けると、伊勢原市になります。
国道246号線の歩道歩き(750m)は連絡コースとなります。



トンネルに入る前に歩いてきた道を振り返ると、
権現山が見えました。
晴れていたら、もっと美しかったでしょうに・・・



トンネルを抜けしばらく歩くと、矢倉沢道への標識があるので右折します。
ここからがまたふれあいの道となります。



矢倉沢往還の説明



すぐ近くに国道246号線が走っているとては思えないほど静かで
小鳥のさえずりだけが聞こえる癒しの道です。



?  キブシ



ツクシ  ウグイスカズラ



畑に植えられた濃い色の桜 
ソメイヨシノも綺麗です。





夜泣石



杉林の先にはトロッコがありました。
こんなところにどうして?と思いましたが・・・
理由は後で分かりました。



矢倉沢往還には、イノシシへの注意喚起、イノシシの捕獲罠 
クマ出没注意などの警告看板が出ていました。
イノシシはともかく、こんな里山にクマが出るとは驚きました。



吾妻山へ登って行きます。



トロッコのレールとミカン畑

下で見たトロッコは山の反対側の斜面に植えられたミカン畑の
ミカンを運ぶための物のようでした。



ここで弘法山から吾妻山へのハイキングコースを
歩いてきた方たちと合流します。
矢倉沢往還では一人の女性と出会っただけでしたが、
ここでは多くの方が歩いていました。



ホウチャクソウ  キジムシロ



吾妻山山頂の東屋



吾妻山の説明



コゲラ



吾妻山を下ります。
木の枝に止まっていた山鳩をパチリ



鶴巻温泉側に下りて、鶴巻温泉駅まで歩きたかったのですが
ふれあいの道のルートではないので、坪ノ内バス停方向に下りました。



すぐ下に住宅地がありました。



14:30ゴールの坪ノ内バス停に到着。
山の桜は満開でしたが、町の桜は木にもよりますが、
3~5分咲きでした。
バスは14:46発と書かれていたので喜んでいたのですが、
道路の渋滞で16分遅れ、30分も待つことに。
でも歩いて帰るほど元気はありません。



小田急鶴巻温泉駅とかわいらしい地蔵のモニュメント。

最寄りの駅に着いたのは3時半頃。
食料品の買い物をしても、時間があったので、
寄り道をして、車の中からですが、
お花見をして家に帰りました。
この日一日の総歩数は23.073歩、16㎞、807㎉でした。
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⑨弘法大師と桜のみち(前編)

2019-04-04 | 関東ふれあいの道・神奈川県
4月2日(火)
「関東ふれあいの道」も3回を残すのみとなりました。
今回は弘法山公園の桜が満開との情報を得たので、
桜の名所である権現山・弘法山を経て、
旧矢倉沢街道・吾妻山へ向かう
『⑨弘法大師と桜のみち』を歩いてきました。
歩き始めの東名を横断した県道500mと
国道246号に出て新善波トンネルを含むの750mは
連絡コースとして歩道を歩くことになります。



往路
小田急・海老名駅9:06発-小田急・秦野駅9:26着(IC278円) 
小田急・秦野駅9:45発-秦野市・南平橋停留所9:55着(IC227円) 

復路
伊勢原市・坪ノ内バス停15:02発-小田急・鶴巻温泉駅15:09着(IC175円)
14:46発のバスが渋滞で16分遅れ 
小田急・鶴巻温泉駅15:17発-海老名15:30着(IC268円) 



朝は4月初旬とは思えない寒さでしたが、空はすっきりと晴れ、
またとないハイキング日和でした。
このコースは1月30日に歩いた「⑮弘法大師と丹沢へのみち」と
弘法山分岐までが同じ道となります。
出来れば同じ道は歩きたくなかったのですが、
道端に咲く花々や木々の芽吹きを見ていると元気が湧き、
前回とは違った新鮮な気持ちで歩くことが出来ました。
権現山山頂までの距離も、前回に比べだいぶ短く感じられました。
(実際はそれほど変わらなかったのですが)



10:00南平橋バス停スタート

秦野市街を過ぎるとバスは金目川に沿って走ります。
10分ほど乗車するとスタート地点の南平橋停留所に到着です。

大山には雲一つかかっていません。
大山は雨降山とも言われ、山頂に雲がかかると雨が降ると
言い伝えられています。
これでお天気が良いことは間違いないでしょう。



権現山までは殆どが登り坂。
前回歩いたときは、けっこう疲れた記憶があるのですが、
今回それほど感じなかったのは、
新緑や野に咲く草花に癒されながら歩いたからでしょう。



富士山がとても綺麗です。



道端に咲く
ハナニラ ハナダイコン ヤマブキ
桃 ヤマザクラ クサイチゴの花



10:36白山神社に到着
ここまで36分。前回より4分短いだけでした。

写真は
白山神社 境内の桜 エニシダ
ヒイラギナンテン シャガ 
おまけに通りがかりの可愛い猫も写しました。



こちらの赤い花も白山神社で咲いていた花。
多分、オーストラリア原産のカンガルーポー(アニゴザントス)
だと思います。
どなたかが植えたのだと思いますが、
珍しい植物を見ることが出来てラッキーでした。



ヤツデ タンポポ ヒメオドリコソウ
ムラサキケマン ツボスミレ タチツボスミレ

道端には野の花が沢山咲いていました。
特にクサイチゴとタチツボスミレは歩く先々で見られました。



車道に出ました。
お花見シーズンとあり、前回と比べ車が多かったです。
車道から権現山の駐車場までは7~8分で着きます。



権現山展望台までは急な登りですが、ゆっくり歩いても
15分もあれば到着します。
花はホタルカズラとキジムシロ。



11時11分、権現山展望台(243m)に到着。
富士山が小さく見えます。
アングルが悪かったかなぁ~・・・

さぁ、これからは桜三昧です。



「千畳敷」と呼ばれるほど広い山頂。
山は丹沢・大山です。





桜のトンネルは弘法山まで続きます。



アゲハチョウとヒオドシチョウ
人が歩いていても呑気に地べたで休んでいます。



桜は日露戦争の勝利を記念して当時の大根村青年団が植樹したそうです。



チラホラとヤマツツジが咲き始めていました。
1月末に来たときは日本水仙が綺麗でしたが、ラッパ水仙に変わりました。



弘法山、蓑毛方面の分岐点。
前回は左側の道を下り、名古木交差点~蓑毛まで歩きましたが
今回は右側の道を、弘法山を経て、
旧矢倉沢街道~吾妻山~坪ノ内バス停まで歩きます。

(後編へ続く)
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⑬山里から津久井湖へのみち

2019-03-01 | 関東ふれあいの道・神奈川県
2月27日(水)
今回の「⑬山里から津久井湖へのみち」は、
津久井湖の山里の風景を眺めながら、中世の山城の遺構、
城山を歩きながら津久井湖の展望を楽しむハイキングコースです。



起点は「⑰北条武田合戦場のみち」の終点、
相模原市津久井町長竹の韮尾根のバス停ですが、
韮尾根へはバスの便が悪く、
半原発08:55のバスを逃すと12:00まで運行されないので、
逆コースの城山高校バス停を起点とすることにしました。



行程

JR相模線・海老名駅09:25発-JR橋本駅09:52着(IC運賃324円)
(門沢橋近くで乗車客同士のトラブルで電車が30分遅延)
JR橋本駅北口・三ヶ木行10:00発-城山高校前バス停下車10:20(IC運賃268円)
(神奈川県立高校の合格発表日。城山高校には多くの受験生が集まっていた)

城山高校前10:25ー水の苑地→津久井湖観光センター10:35→城山登山口10:43→
飯縄神社(飯縄曲輪)11:30→城山山頂(11:45)(昼食)12:10→
パークセンター(周辺マップを頂く)→平井橋・久保田酒造13:15(買い物)13:25
→明日原→雨乞山15:00→農場→韮尾根バス停15:45→オギノパン(おやつ・休憩)

韮尾根バス停16:19発-半原バス停16:22着(IC運賃175円)
半原バス停16:40発-小田急線・本厚木駅着17:25(IC運賃566円)
小田急線・本厚木駅17:25発-小田急・海老名駅17:27着(IC運賃124円)


バス停近くの指導標識と城山大橋の右側に見える津久井湖

城山高校バス停近くの指導標識に沿って10分位歩くと
道路左側に城山・登山口(標識アリ)の階段に着きますが、
その前に所用を済ませるために、津久井湖観光センターに寄りました。


津久井湖観光センター・花の苑地と城山・桜の小道からの眺め

津久井湖周辺は桜の名所としても有名です。
その時の様子はこちら「津久井湖城山公園」でどうぞ。





ヒノキ林と落ち葉の中を登っていくと、林間越しにスタート地点の城山高校や
圏央道、津久井の町等が見えました。
2013年5月18日にこの山を登った時は、全く見えなかったことを考えると、
あらためて落葉樹が多かったことに気付きました。

2013年5月18日「津久井城山ハイキングとルピナス」
よろしかったらどうぞ!





アオキの花芽や実にほっこりとし、
朽ちた木に生える大きなキノコにビックリしました。



木に絡まる巨大な蔓。
夏だったら1本の木と間違えていたかもしれません。



前回は息を切らして登った鎖場も、今回はそれほどでもありません。
月に一度でも長距離歩きや、ハイキングを続けていれば、
体が自然と鍛えられるものだと実感しました。



水が白く濁っているので、城兵が刀を研いだという言い伝えや
決して水が枯れることがないと言われる宝ヶ池。
この日は枯渇していました。



登山道から47分で飯縄神社(飯縄曲輪)に到着し、





約1時間で、城山山頂(375m)にある築井古城記碑に着きました。

城山は津久井城(築井城)と呼ばれた山城で、
戦国時代には小田原北条氏に仕えた内藤氏が城主を務めていました。
天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに伴い落城し、
江戸時代初頭には麓に陣屋が置かれていました。

築井古城記碑は家臣の子孫が江戸時代に建てたと言われています。



築井古城記碑を背に記念撮影。



頂上から1段下がった場所は見晴らしがよく、
津久井湖、峰の薬師方面などの眺望も素晴らしかった。
ベンチがあったので昼食をとり12:10に出発。



太鼓曲線と飯縄神社の中間あたりにある指導標識を
根本口方面に向かい、男坂を下山しました。



可愛いクリーム色のお花やミヤマシキミの蕾。



四季の広場の遊具と紅白の梅。



さらに下ると、パークセンターに着いたので、
(根本口に出るはずでした)
関東ふれあいの道で、雨乞山方面を目指しているが、
指導標識を見失ってしまったので、無料庵バス停の場所を
教えてほしいとお願いすると、この地図で説明して下さった。
指導標識はパークセンターを出たすぐのところにあり、
生活道路を下っていくと、下りきったところに、バス停がありました。





無料庵のバス停を横切ると久保田酒造があります。
久保田酒造は「相模灘」などの地酒を造り続けてきた
老舗の蔵元で、創業180年だそうです。
とても大きなお屋敷で、昔は2階で蚕も飼っていたそうです。
出来立ての新酒が売っていたので、欲しかったのですが、
もう一山(雨乞山)登らないといけないので、
何かの拍子に瓶が割れたら大変と、
酒かす(1㎏ 670円)だけ買って帰りました。



久保田酒造店の脇の山道を登ると、明日原の耕作地に出ます。
しばらく台地の端を津久井城山などの景色を見ながら15~20分歩くと、
行き止まりになり、雨乞山への登山道(指導標識アリ)に着きます。



登山道を左に曲がって進むと、しばらくは緩やかな登りですが、
その後はアップ・ダウンを繰り返し、急登になります。
昨年秋の台風で根元から倒れた木あったり、
動物の糞が何ヶ所かで大量に見られたので少し不安になりましたが、
急登が終わると、雨乞山(429m)の頂上に到着しました(15:00)
10分ほど休憩。
周囲に樹木が多く、展望はそれほど良くありませんでした。



山頂からの下りは緩やかで気持ちよく歩けました。
18分ほどで韮尾根側の登山口に到着。



山里の景色を楽しみながら終点の韮尾根バス停に15:45到着。
半原行のバスの出発時間まで34分あったので、
歩くことも考えましたが、疲れたので、
オギノパンに寄り、丹沢あんぱんを食べながらバスを待ちました。



オギノパン前から見た雨乞山(後ろの山)

家に戻る前にスーパーによって買い物をしたり、
駐車場から駅までの往復、家での歩数もすべて含んでいますが、
この日一日の歩行は19.7km 28.447歩 消費カロリーは995.6㎉でした。
コメント (16)
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⑮弘法大師と丹沢へのみち

2019-02-01 | 関東ふれあいの道・神奈川県
1月30日(水)
「関東ふれあいの道」『⑮弘法大師と丹沢へのみち』を歩いてきました。
このみちは桜の名所である権現山・弘法山を経て、
大山の裏参道を歩き、時代の歴史を物語る遺構・名刹をたどるコースです。



往路
小田急・海老名駅10:11発-小田急・秦野駅9:32着(IC278円) 
小田急・秦野駅10:48発-秦野市・南平橋停留所11:01着(IC227円) 

復路
秦野市・蓑毛バス停15:05発-小田急・秦野駅15:24着(IC268円) 
小田急・秦野駅15:37発-海老名15:58着 (IC278円) 



朝方はどんよりとした曇り空。
どうせならお天気の良い日に出かけたいので、
迷っているうち出発が遅くなり、
スタート地点の南平橋停留所に到着したのは11時過ぎでした。



南平橋バス停からコサギが遊ぶ金目川を後に権現山に向かいます。
田んぼの中を5分位歩くと健速(たてはや)神社に。



健速神社



拝殿奥の覆殿に収蔵されている朱塗りの本殿は、
寛永13年(1636)に造立された、市内最古の一間社流造りの神社建築で、
秦野市指定重要文化財の指定を受けているとのこと。



東名高速を横断をすると県道となり、500mは連絡コースとなります。
石碑を右に曲ると、一段と急な坂道に・・・



11時42分白山神社に到着。
白山神社を後に、みかん畑などがある山の中を上って行くと



山腹の舗装された道に出るので左に曲がります。
11時55分、浅間山駐車場に到着。



右に権現山への階段がありますが、
権現山に登る前、駐車場近くにあるロウバイの花を鑑賞。
ここには2年前にも来ていますが、
今年の方がずっと花付きが良かったです。

急な階段をゆっくりと15分位上って行くと権現山山頂です。



12時10分、権現山展望台(243m)に到着。



秦野市街(左)
小田急線が走るとジオラマのようでした(右)

展望台からは丹沢山塊や三浦半島、房総半島、関東平野の
雄大な展望を楽しむこともできますが、
この日はお天気がイマイチで残念でした。



ちなみに、こちらは2017年1月25日に見た権現山展望台の画像です。
お天気が良いと、富士山の眺望も抜群です。
よろしかったらその時のブログもご覧ください。

お弁当を食べ、30分ほど休憩して出発。



権現山と弘法山をむすぶ「馬場道」
桜が咲くころは素晴らしい景観でしょう。

弘法山、蓑毛方面の分岐点では左の蓑毛方面を目指します。



「まほろばめんようの里」
ひつじが放し飼いされています。



梅、椿



日本水仙



マユミ

写真は一部ですが、綺麗な花や実にも出会えました。




13時、加茂神社を通過。
加茂神社の少し下方にある里程標(写真右)を最後に
指導標識が見当たらなくなり、道があっているのか少し不安でしたが。
とりあえず、国道246号を目指して歩きました。
途中で指導標識が見つかり、一安心。
13時21分に名古木交差点に到着しました。



名古木交差点で右の山側へ曲がり、県道70線に入ります。
トラックが走っているのが国道246号線、右下の白い乗用車が
入っていくのが県道70線です。
この道は古くは大山への裏参道として知られていました。



日本たばこ産業 安全性研究所
秦野は、江戸時代初期から「秦野たばこ」の産地として有名でした。
市内の葉たばこ耕作が終了したのは1984年だそうですが、
市の発展に貢献してきた先人の努力と情熱を伝えるため、
毎年、9月最終土曜・日曜日の2日間には「秦野たばこ祭り」が
盛大に開催されているそうです。

開進小学校跡



最終地点の蓑毛までの4.7㎞は殆ど登りです



246号線は車でよく通っていたので、名古木の交差点のことは
知っていましたが、【ながぬき】と読むとは知りませんでした。
地元の人でないと読めないかもしれませんね。

本線より外れると、波多野城址、金剛寺、源実朝首塚、
田原ふるさと公園など、見どころも多いようですが、
今回は時間がないのでスルーしました。
機会があったら訪ねてみようと思っています。



冬の空を彩る赤い実
鳥さんも喜んでいることでしょう。



14時、秦野市立東中学校到着



新東名高速道路・トンネル工事



14時21分、小蓑毛到着
バス停の近くの直売所でキンカンを2袋購入。
小粒で少し皮が硬いですが、甘みがあり美味しい。
私にはこれで十分です。

ここから蓑毛バス停までの1.4Kmは連絡道路となっているので
バスを利用しても良いのですが、バスは1時間に2本ぐらいだったので
歩くことにしました。
すっと坂道を歩いてきたので、疲労はピークに達しています。



大山 阿夫利神社の鳥居
ここだけ上りと下りの道路が鳥居を挟んで分かれています。



自然観察の森の水車と秦野の古民家・緑水庵

緑水庵は昭和5年に秦野市今泉に建設された芦川佐吉氏の住宅を
平成3年3月、蓑毛自然観察の森入り口に移築しはたもの。
移築した住宅は、当時の標準的な農家住宅であり、
当時の農家建築を知る上で貴重なものとなっています。



室内や土間に置かれた農機具などを見学。
縁側に座って前方に見える山々を見ているだけで心癒されました。



小蓑毛から蓑毛まではたった1.4Kmですが、非常に長く感じられます。



2時55分、蓑毛到着。

近くの民家の果実は夏みかんではないようです。
何の実でしょうね。

バスは3時5分発ですが、その前に本日の撮影ポイント
宝蓮寺大日堂に行かなければなりません。



ここには昨年3月24日、『⑯大山参り蓑毛のみち』を歩いたとき
のスタート地点だったので、最初に立ち寄っています。
(その時は息子に蓑毛バス停まで車で送って貰ったのでした)
証拠写真(写真中央)も念のため撮ったのですが、
間違えて大日堂の前で写してしまいました。
正式な撮影ポイントは夫が写っている山門の前。
時間がなかったので、二人の写真だけ写して、急いでバス停に戻りました。
もちろんバスにはぎりぎりセーフでした。



3時24分、秦野駅到着
秦野駅前まほろば大橋の上にある、お洒落な時計台やオブジェが
気になっていたので、見ていくことにしました。
調べてみると、秦野市にはこのような野外彫刻が文化会館周辺や
各地区に37基もあるようです。
自然が豊かで美しい町、秦野市。すっかり気に入ってしまいました。

家に戻る前に地元スーパーによって買い物をしたので
歩数にして2000歩ぐらいは増えたと思いますが、
この日一日の歩行は16.6km 23.989歩 839.6㎉でした。

関東ふれあいの道は、11月20日(火)『⑩太田道灌・日向薬師のみち』以来、
ウォーキングは、12月2日(日)の「水無川ウォーキング」以来でした。
2ヵ月近くあきましたが、足腰も痛まず良く歩けたものと思っています。
コメント (8)
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⑩太田道灌・日向薬師のみち

2018-11-23 | 関東ふれあいの道・神奈川県
11月20日(火)
関東ふれあいの道」『⑩太田道灌・日向薬師のみち』を歩いてきました。
このみちは丹沢大山の山塊を望む田園地帯の中で、
太田道灌の墓や奈良時代の開創の日向薬師等、歴史と文化に触れるコースです。



家を出たのは8:55。
いつものように駅近くの駐車場に車を停めて出発しましたが、
今回は山歩きがなく、家からも比較的近いので楽でした。

往路
小田急・海老名駅9:15発-小田急鶴巻温泉駅9:30着(IC247円) 
小田急鶴巻温泉駅9:35発-坪ノ内バス停9:42着(IC175円) 

復路
伊勢原市・日向薬師バス停14:15発-小田急・伊勢原駅14:39着(IC279円) 
(日向薬師でバス30分待ち)
小田急・伊勢原駅14:41発-海老名14:51着(IC216円)



この日の万歩計
13.7㎞ 19752歩 691.3㎉
(家での歩行も少し入っています)

小田急鶴巻温泉駅で写真を撮った時、デジカメにメモリーカードが
入っていないことに気が付きました
なので、この日の写真は、すべて苦手なスマホ撮影となります。
家で50枚ほどの写真をスマホのメールからパソコンのメールに送り、
ピクチャーツールに保存しましたが、スマホの写真には
撮影時刻が入っていないのですね。
デジカメ写真の時は、移動時間の推移など写真を見れば一目瞭然でしたが、
今回はメモもあまりしてなかったので、
交通関係とお昼の休憩時間ぐらいしかはっきりとわかりません。



小田急鶴巻温泉駅から坪ノ内バス停までは7分で着きました。
坪ノ内バス停から国道246号線に出て信号を渡り、
東京方面に向かって左側の歩道を150mほど歩くと指導標識が
あるので左折して細い道に入ります。



小道に入って5分も歩かないうちこの風景。
この先をちょっと上っただけで、のどかな田園風景が広がります。
そしてまたまた細い道に。
右の写真の白い舗装道の先には個人のミカン畑があるので
下の細い道(草が黄緑色に光っている)を歩きます。



八幡神社
「太田道灌・日向薬師のみち」のコースは、
神社の横の道ではなく右の細い道を下ります。



ミカン畑や竹林をくぐり抜けると、開けたところに出ます。
収穫の終わった梨畑やその先には東名高速が見えます。



長福寺
70段ほどの階段を上ると長福寺の本堂(観音堂)が目の前に現れます。
高野山真言宗のお寺で、
中には等身大の十一面観世音菩薩像が安置されているそうです。



一番高い山が大山でしょうか。
我が家からも見えますが、見る位置によって随分印象が異なります。



三ノ宮比々多神社拝殿
本殿は、拝殿の後ろにあります。
主祭神は、豊国主尊、天明玉命、雅日女尊、日本武尊とのこと。
延喜式神名帳の相模国の式内社一覧という平安時代中期の国家の法制書の
施行細則に定められた相模の国の13社のうちの1つだそうです。



菊華展をしていました。

しばらく田園地帯を進むと「叔母様」と言う名前の
面白いバス停がありました。



伯母様のバス停と伯母様村観音
伯母様村観音の脇の石碑には、歴史などがびっしり書かれていました。
それによると、北条氏が家臣の市施弾正左衛門康則に
このあたりを領地として与え、市施氏の伯母の梅林理香大姉が所領していたため
「伯母様村」というようになったそうです。
この先に鈴川に掛かる伯母様橋という橋もありましたよ。

伯母様橋のすぐ先の県道を横断し、旧大山街道も横切っていくと
上粕屋神社に着くと、パンフレットには書いてあるのですが、
指導標識が見つからず、右往左往しました。
が、パンフレットの地図(もう少し詳しいと良いのですが)の
方向だけを頼りに、どうにかたどり着きました。



上粕屋神社・鳥居と狛犬



ご神木の欅と拝殿
欅の推定樹齢は600年だとか。



鐘楼



上粕屋神社の付近には太田道灌の墓や七人塚などの史跡があります。



七人塚
上粕屋神社からすぐのところにあります。
太田道灌が暗殺されたときに、攻撃を一手に引き受けて討死した
家臣七名の墓で、元は上粕屋神社の境内にあったそうです。

まっすぐに進むとほどなくT字路に突き当たり、
その正面に太田道灌の墓があります。



太田道灌と言えば、江戸城を築いたことと、
「山吹の花」の歌などが有名ですが、
今の伊勢原市が出身だったことや(諸説あるようですが)
文武両道の優れた武士だったこと、
扇谷・上杉定正に謀反の嫌疑をかけられて暗殺されたこと等
初めて知ることができました。



句碑や太田道灌の説明版等が並んでいます。
句碑に書かれていた句は
「雲もなほ さだめある世の しぐれ哉」



太田道灌のお墓と思ったのは墓碑でした。



太田道灌のお墓
(写真は伊勢原観光ガイドさんから拝借)
松の切り株を覆っているブリキの覆いが落ちそうになっていたり、
この写真に比べると随分荒れていたので、
まさか太田道灌のお墓とは思えず、写真を撮ってきませんでした。



墓の前の説明文のそばで証拠写真を撮影。

上粕屋神社に戻って弁当タイム(11:45~12:05)
神社の横の道を進みます。



産能大学に向かう迂回路を進みます。
まっすぐに進めばすぐに産能大に着くはずですが、工事中のようです。



迂回したおかげで、工事中の第2東名を近くで見ることができました。
路傍の石仏などは道路の隅に追いやられていたのでしょうか?



やっと、産能大に着きました。
戦国時代、ここに上杉の糟屋館があり太田道灌はこの館で暗殺されました。
死に際に「当方滅亡」と言い残したそうですが、
自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという予言だそうです。

ここも工事中。
写真には写っていませんが、振り返ると右後ろの高台に産能大が見えます。
指導標識が見つからず不安でしたが、このまままっすぐ県道を進みました。



もし指導標識が見つからなかったら、日向薬師には行かずに
伊勢原駅行のバスに乗って帰るつもりでいましたが、
指導標識が見つかり、道も間違えていなかったことがわかりました。
進行方向を左折し、住宅地の中を上ったり下ったりしながら、
指導標識に従って歩きました。

小学校脇の信号のある交差点を左に曲がると、
終点の日向薬師バス停までは1本道です。
100mほど歩くと「よろい塚」の指導標識があります。



よろい坂



よろい坂・説明版



緩やかな登りがずっと続きます。
日向に近づくにつれ、石屋さんやミカンの直売所が多くなります。



大山に近づいてきました。



緩やかな上りでも距離が長いと疲れます。
「ようこそ日向へ」のアーケードを見て、ゴールも間近と思いホッとしました。



13:45日向薬師バス停ゴール。バス出発は14:15。
バスは1時間に1本。30分の待ち時間です。
疲れたのでベンチで少し休みましたが、
すぐに近くをウロウロとして、写真を撮ったりしていました。



バス停から少し下ったところ。彼岸花の群生地だそうです。
シーズン中に来たらさぞ綺麗だったことでしょう。



バス停や駐車場のある広場の端っこから見た風景。
のどかです。



伊勢原駅14:39着14:41伊勢原駅発

伊勢原駅を利用するのは3度目。
最初は38年前、家族で大山登山をした時、
2度目は東海大学病院へ私の通院のため、そして今回が3度目です。
車で来たり、通過することはよくありましたが、
歩いたりバスに乗ることによって、より多くのことを知ることが出来ました。
海老名には10分ほどで着きました。
駅前でコーヒーやケーキを食べて帰るほどの時間の余裕もありました。
関東ふれあいの旅・神奈川は全17コースの内、あと5コースを
残すのみとなりました。
来年の春までにはどうにか完歩できそうです。
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⑧鷹取山・里のみち

2018-10-26 | 関東ふれあいの道・神奈川県

10月24日(水)
「関東ふれあいの道」『⑧鷹取山・里のみち』を歩いてきました。
この道は田圃や畑の中を歩き、鷹取山を超えて、鎌倉時代の豪族土屋氏に
ちなむ遺構や名刹など、里の歴史と文化をたどるコースです。



往路
JR相模線・海老名駅09:02発-JR茅ケ崎駅09:27着09:35発-JR二宮09:48着 (IC583円) 
JR二宮駅南口発10:10-・月京バス停10:19着 190円(IC186円)

復路
秦野市・南平橋バス停14:59発-小田急・秦野駅15:09着 (IC227円) 
小田急・秦野駅15:17発-海老名15:39着 (IC278円) 



この日の万歩計
15.7km 22655歩 792㎉



JR二宮駅南口と「ガラスのウサギ像」

「ガラスのウサギ像」は二度と戦争があってはならないと、
永遠の平和を願う人々の浄財によって、昭和56年(1981年)に建てられました。

20分ほどバスを待ち、10:10発の平塚駅行のバスに乗車しました。
スタート地点の大磯町の月京バス停までは9分。



スタート地点・大磯町国府支所(10:22撮影)

月京バス停からすぐ北の交差点の角に大磯町国府支所があり、
ここを右に曲がる。
300mほど道なりに進むと馬場(ばんば)公園がある。



神揃山(10:30撮影)と諏訪の下橋・不動川(10:37撮影)

馬場公園の角を左に曲がり、右手に迫る神揃山を見ながら進むと
左に諏訪の下橋があるので渡って右折し、不動川沿いを歩く。



しばらく行くと、左に分岐の指導標識があるので左折。
畑の中を走る新幹線の高架をくぐると「東の池」です。

正面に見えるピークがこれから登る鷹取山。
(10:43撮影)



ジュズダマ(数珠玉)の実 ノコンギク



稲穂の実り セイタカアワダチソウの群生



東の池(10:51撮影)

生沢周辺約5haの田畑を潤すために江戸時代初期に造られた灌漑用の貯水池で、
現在も水利組合の管理のもと用水池として機能しているそうです。
水は鷹取山の東側を水源とする境川から取り入れている。



県道を横切り、集落を抜けていくと鷹取山の登山口です。
(10:55撮影)



鷹取山へ!
なだらかな雑木林の中を歩く。
私有林らしくミカンなどが植えてある場所があったが、
台風の影響か、枝折れが散乱していた。
展望は殆どありませんが、樹間から時おり、箱根の山並み等が見えます。
(10:57~11:18撮影)



木や朽ちた木に生えるキノコ



鷹取山山頂にある鷹取山神社の鳥居少し手前から木段になる。
ここからが本日の一番頑張り処かもしれません。
(11:19撮影)







鳥居から山頂までは、大きなタブやスダジイなどの広葉樹林が残っていて、
神奈川県指定の天然記念物になっている。



鷹取山神社社殿(11:30撮影)

標高219mの鷹取山・山頂に鎮座しています。
創建は古く、天正3年(826)3月。
山名の「鷹取山」は、徳川家康が平塚の中原で鷹狩りを行った時、
家康の鷹が逃げたのをこの山頂で捕らえた事からだと言われています。



鷹取山神社境内
11:30から11:55までお弁当&休憩タイム



踏破記念の撮影ポイント



指導標識に沿って緩やかな林道を下山。
鷹取山の北側は、普通車がぎりぎり1台ぐらい通れる道幅があります。
(12:00撮影)



左側にゴルフ場が・・・
ここからしばらくの間、ゴルフ場の横の道をひたすら歩くことになります。



神奈川県企業庁水道局・上吉沢配水池(12:16撮影)



路傍休憩地(12:40~45撮影)
ここで5分間のおやつタイム。



遠くに表丹沢の山並みが一望できます。
右の高い山が大山(1151m)。
左の尾根のへこんだところがヤビツ峠(761m)。
ヤビツ峠の左が岳の台(899m)その隣の雲の少し隣の高い山が一の塔(1490.9m)ですが
写真に文字を入れないと分かり難いかもしれません。



美味しそうなアケビ。
手が届けば採ってみたかったわ。

坂道を下ると市道に出ます。
ここを左に曲がると、少し先の道路右側に妙円寺(銭洗い弁天)が見える。



妙円寺山門 本堂

天台宗のお寺で、江戸時代初期に、舜堯という僧侶によって開創。
昔から土屋の弁天さん・土屋銭洗弁天、と呼ばれ親しまれてきたそうです。



弁財天の岩屋霊穴と内部
(13:10~13:30見学)



とても大きな神奈川大学湘南ひらつかキャンパス。
構内のイチョウもだいぶ色づいてきました。



ボサギク(13:38撮影)

座禅川橋を渡ってすぐのところにボサギクの畑がありました。
黄色と赤が咲き始めたところでしたが、あと1週間もすれば他の色も咲き、
見事な彩りとなることでしょう。

次は「土屋一族の墓」を見学する予定ですが、
指示標識がわかりづらいところに立っていたので見つけられず、
道を間違え、30分近く時間をロスしてしまいました。
こういうときって、とても疲れますね。



土屋一族の墓
お墓はここより少し下ったところにあります。
(14:06撮影)



鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠を始祖とする土屋一族の墓所。
宗遠は平安時代末期に中村荘司宗平の三男として生まれたが、
土屋に分岐したので在地名をもって土屋姓を名のり、
源頼朝挙兵のときから参加、歴戦し、鎌倉幕府の基礎固めに力を尽くした。
のち一族は平家討伐の屋島、一の谷、壇の浦等の戦役にも従軍し戦功をたてた。



坂道を登りきると土屋城址。

この案内板があるだけで、かつての景観を知る手掛かりとなるものは
なにもありませんでした。



大乗院(14:05~14:23見学)

比叡山延暦寺を本山とする。開基は、平安時代。
鎌倉時代には源頼朝の家臣・土屋三郎宗遠が再建するなど、
相模の国の中本山(中核となる寺)として多くの末寺を抱えていた。
2013年の秋に建て替えられたそうです。



熊野神社(14:25~14:28)
熊野神社の前を通って両側に民家の散在する市道をしばらく歩くと
右折の指導標識がある。



指導標識(4:38) 南平橋から見た金目川(14:43)
南平橋バス停(14:45) 秦野駅北口(15:09)

指導標識に沿って進み、南平橋への急な坂道を下り、南平橋を渡ると、
ゴールの南平橋バス停に到着。
14:49発の小田急・秦野行のバスに乗って帰りました。
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⑰北条武田合戦場のみち/田代半僧坊~韮尾根バス停まで

2018-10-12 | 関東ふれあいの道・神奈川県

10月10日(水)
今回は9月24日に歩いた「北条武田合戦場のみち」の後半を歩きました。
交通の便が悪いので、今回も田代運動公園の駐車場に車をとめ、
田代半僧坊まで歩きました。



田代運動公園駐車場(9:00出発)



勝楽寺:田代半蔵坊(9:10)
今回はお寺には寄らず通り過ぎましたが、
前回寄った時、ご紹介できなかった写真があったので載せました。

勝楽寺は、愛川町田代地区にある曹洞宗のお寺で、
地元では勝楽寺というより田代の半僧坊と呼ばれています。

上の写真は国道412号を跨いだ反対側にある門と石碑で、
山門は国道412号の奥にあります。



勝楽寺の案内



山門 半僧坊
本堂 本堂前の庭園と鐘楼



山門の金剛力士像 



道元禅師像



子育地蔵尊 洗心童子 萩



さぁ、ここからが後半のスタートです。
県道を横断し海底(おぞこ)の集落を角田大橋に向かって歩きます。



角田大橋を渡り右折左折します。

中津川の水量が前回見た時よりも多く、
水も濁っていたので、前日に雨でも降ったのかと思いましたが、
水曜日は宮ケ瀬ダムを放流日とのことでした。



いくら歩いても、関東ふれあいの道の指導標識がないので
不思議に思い、農作業をしている方に
パンフレットに書かれていた戸倉の集落はどこかお聞きすると、
詳しいことはわからない様子。
それではと、北条武田合戦場のある三増はどこかとたずねると
まったく方向が違うことがわかり、
写真上の神社まで引き返し、右折し神社を左手に見ながら坂を歩きました。

この道も正しいルートではなかったので、
家に帰って地図を見ると、間違いは角田大橋を渡り、
右折したことにあったようです(正しくは左折)
ここで30分近く時間をロスしました。



7~8分、坂道を歩いたところで右折、畑の中を歩きます。
風にそよぐコスモスがとても綺麗でした。



神奈川県産のお茶がある事すら知らなかったので、
お茶畑を見て、新鮮な驚きがありました。
お茶畑に立つ扇風機を不思議に思い、夫に聞いたところ
防霜の為だろうと言っていました。
道は間違えましたが、こういうことはよく知っているようです。
新茶の頃に一度味わってみたいものですが、
我が家の近くで売っているかなぁ~・・・



道を間違えて良かったことはお茶畑の他にもありました。
神奈川中央養鶏農業共同組合が運営しているとても大きな養鶏場と、
その直販センターの卵菓屋の発見です。
ソフトクリームの看板にひかれて寄ってみましたが、
なんとマロンソフトが140円でした。。
おまけに茹で卵まで、ただで頂てしまいました。
新鮮な卵はもちろん、美味しそうなプリンやロールケーキなどのお菓子、
地場産のお野菜、卵を使ったオムライスや親子丼などのメニューもありました。
知っていたら、おにぎりなど持参しなかったのですが。
(10:25~10:40休憩)



ここにもお茶畑がありました。
お茶の花は良い葉っぱを採るために、咲かせないようですが、
少しだけ咲いていました。
山茶花に先駆けて咲くようですね。



本日のメイン、北条武田合戦場史跡に着きました。
道路の向かい側にあった指導標識を見て、
正しいルートがやっとわかりました。
東屋があったので、三僧合戦場の碑前の記念撮影などを済ませ、
早めでしたがおにぎりなどの昼食をとりました。
(10:50~11:10休憩)



永禄12年(1569)10月、甲斐の武田信玄は総勢2万の将兵を率いて
北条氏康の小田原城を包囲攻撃するが、
攻略することはできず、帰路に三増峠を選んだ。
これを察知した氏康は息子の氏照、氏邦、娘の夫綱成らをはじめ、
幕下の将兵2万を三増に進出させる。
10月6日、三増山地一帯の武田陣に対し、北条軍は随所に出撃し激戦となる。
緒戦は北条軍有利に展開するるが、武田方遊軍が背後から挟撃きすると、
北条軍は総くずれとなり敗走した。
信玄は、勝ち戦となるや、すぐに兵をまとめ、
反畑(今の相模湖町)まで引き揚げ、勝利を祝うとともに、
敵味方の戦死者の霊をなぐさめる式を行い、甲府へ引きあげたという。
(愛川町教育委員会の資料より)



両軍配置図
黒が武田軍、赤が北条軍

『甲陽軍鑑』には、戦死者は北条方3,269人、
武田方900人と記されています。関係史跡として今日に伝わるものに、
信玄の旗立て松・浅利信種墓所・首塚・胴塚などがあります。



指導標識に従って歩いて行くと、
山のふもとに残土埋立反対の看板があちこちに立っていました。
なんのことかと思ったのですが、
志田峠まで登ったところで理由がわかりました。



右折すると、武田信玄の旗立松がありましたが、
現在はゴルフ場になっており、時間もかかるようなのでスルーしました。



日差しがまだ暑いので、樹林があると助かります。



志田峠(標高310m)
最低の標高が70~80㎝だったので、200m以上の標高差を
歩いたことになります。



志田峠山頂から結構広い範囲で谷を埋め立てています。
こんなところに、いったい何ができるのでしょう。
下るとき、残土を積んだトラックと何台もすれ違いました。



志田山朝日寺(別名・清正光)
麓近くにあります。
300段もある急な階段を見ただけでげんなり。
右足の指に水疱ができ、傷みだしたので見学は止めました。



東京農工大学大学付属フィールドミュージアム津久井





後中央のちょこんと突き出た三角の山が経ヶ岳。
法論堂林道~半原越え~経ヶ岳~田代半蔵坊~北条武田合戦場史跡
志田峠を越え、よくぞここまで歩きました。



大豆畑



韮尾根のバス停は目と鼻の先でしたが、トイレに行きたくなり、
近くのコンビニに寄りました。(12:40)
下調べしたバスの時刻は13:39 16:19 17:19で
13:39を乗り過ごすと、約3時間もバスを待たないと
いけないことだけが頭にありました。
待ち時間がたっぷりとあったので、コンビニの近くにあったオギノパンで、
丹沢あんぱん等を食べて休憩しました。



バス停に着くなりびっくり!
なんと12:44のバスがあったのです。半原バス停までは10分も
かからないし、そこにトイレがあることも分かっていました。
先にバス停に来るべきでした。
半原バス停で2:00発の本厚木行のバスに乗り、
車がとめてある田代運動公園の駐車場近くの田代坂下で下車し、
駐車場には2:20に着きました。
国道412号線を経由して、家には3:10頃到着。
この日の歩行は13.9㎞、19737歩でした。

追加10/14
田代半蔵坊から韮尾根バス停までの道で、出会った花たち(順不同)



杉の蕾(雄花)ボタンクサギ 



ヤクシソウ ?
シロヨメナ カタバミ



マルバルコウ マメアサガオ
ゲンノショウコ カラスウリ



セイタカアワダチソウ アザミ
マルバアサガオ オトコエシ
コメント (10)
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丹沢・経ヶ岳 ヤマビルの襲撃

2018-10-03 | 関東ふれあいの道・神奈川県

「⑰北条武田合戦場のみち/経ヶ岳~田代半僧坊まで」の記事でも
触れましたが、経ヶ岳を歩いている時、ヤマビルの猛襲撃に遭いました。
息子は丹沢でトレイルランの練習を(8月中も大山でトレーニング)
何度もしているそうですが、ヤマビルの被害にあったのは
一度・1ヶ所だけだそうです。
今回、私と夫は半原越の登山口から登り、
息子はヒルの多かった愛川町の道ノ入沢登山口から登ったのですが、
登るときはまったくヤマビルの被害には遭わなかったそうです。
多分、走って登ったので、ヤマビルが人間の二酸化炭素等を感知して
寄ってきても、すでに通り過ぎていたからでしょう。



ヤマビルの活動時期は4月~11月だと言われています。
気温25度以上で雨が降っているとき、
雨上がりに特に活発に活動するとのことです。
私達が歩いたのは9月24日で前日は雨でした。
ヤマビルにとっては絶好のコンディションだったのでしょう。

ヤマビルが大量発生していたのは愛川町道ノ入沢の登山口から
経ヶ岳山頂から少し下った稜線まででした。
林道交点下の山道は、沢横の草ぼうぼうの道だったので、
ヤマビルがいることはうなずけるのですが、稜線近くはそれほど
草が生い茂っていたわけではありません。
なぜそんな上まで領域を広げているのか不思議に思いましたが、
吸血源となる鹿・猪などの生息数が急激に増えたからだそうです。
夫は念のために塩を持って行きましたが、
捕まえたヒルにかけると死ぬのですが、靴などにかけても
パラパラと落ちるので効き目はなかったようです。
食塩水をスプレーボトルに入れて、数時間毎にスプレーすれば、
少しは防げたかもしれません。





ヤマビル被害状況

私:足首と靴下の境目3ヶ所 ウエスト前と後ろ2ヶ所
息子:数ヶ所(2ヶ所以上・不明)
夫:左手首1ヶ所 右足首1ヶ所 左ふくらはぎ2ヶ所

血を吸ったヤマビルは下山中、愛川町道ノ入沢の登山口に
着いたときにも見つかったので、町に出る前に最終的にチェックし
踏みつぶしましたが、その先でも見つかりました。
もしかしたら、リュックやストックなどについていたのを
見逃していたのかもしれません。
山行中、吸血されなくても、靴や洋服の上に上ってきたヤマビルは
3人とも20匹以上いたはずです。
丹沢を歩くなら晩秋~春に入る前がベストだと思いますが、
これから登られる方はくれぐれもご注意ください。

ヤマビルに関する詳しい情報はこちら←で(クリック)

***************

経ヶ岳で出会ったキノコ

野生きのこ類には、枯れ木や落ち葉などの
植物遺体を分解したり、共生菌として植物 の成長を助ける機能があり、
森林生態系の 一員として重要な役割を担っているそうです。
9月は雨が多かったのでたくさんのキノコを見ることができました。
毒キノコだと思いますが、名前はわかりません。





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⑰北条武田合戦場のみち/経ヶ岳~田代半僧坊まで

2018-09-26 | 関東ふれあいの道・神奈川県

9月24日、久しぶりに「関東ふれあいの道」を歩いてきました。
今回は最終回の『⑰北条武田合戦場のみち』にしましたが、
経ヶ岳登山がある上、距離が長いので、2回に分けて歩くことにしました。
今回は田代半僧坊まで。



ここは半原越までが、今年の4月30日に歩いた『⑫丹沢山塊東辺のみち』
と重なるので、法論堂林道の途中まで、
息子に車で送ってもらい、そこからスタートすることにしました。
息子は私たちが到着する、田代半僧坊の近くの駐車場に
車をとめておくとのことでした。



息子のガーミンによるとスタート地点は標高275m。



7:50スタート
ここより先は一般車両通行禁止ですが、私たちが車を降りた場所は
Uターンがしやすい、少し下の「山荘みさき」付近で、
ここより先は人家がありません。



夫は道端にヤマビルがいないか入念にチェックしながら歩いています。

こんな山奥になぜ犬が?とお思いでしょうが、
ここは『清川しっぽ村』が飼い主のいない犬を保護している施設。
画像はありませんが、ちゃんとしたプレハブの犬小屋もあり、
ボランティアの方が餌を与えたり、様子を見に来ているようです。



法論堂林道は昭和初期まで、養蚕が盛んな清川村煤ヶ谷から
糸の町として栄えていた半原へ繭を背負って歩いた大事な道。
小川のせせらぎ、小鳥のさえずり以外は何も聞こえない
静かな山道を、爽やかな風を感じ、野の花を愛でながら歩きました。



クサボタン クズ 山ウド



ミゾソバ マツカゼソウ ツユクサ



アザミ シラヤマギク ミズヒキ



マムシグサ ヨウシュヤマゴボウ ?



ミズキとガマズミ?
5月頃に真っ白な花を咲かせたミズキ。
実はこれから黒くなって、鳥たちの食糧となります。



ナナカマドとクサギ
クサギはあと1か月もすれば実は紫色にガクは真っ赤に色づくでしょうね。



半原越(8:50~9:10休憩)
半原越とは神奈川県愛甲郡愛川町と同郡清川村の境界線上にある
海抜488mの峠で、仏果山、経ヶ岳への分岐となっています。
経ヶ岳登山口は右に曲がってすぐのところにあります。
下にベンチがあったので、大福を食べながら本日1回目の休憩をしました。

サイクリングをして一休みしている方にヤマビルのことを
お聞きすると、木から落ちてきたヤマビルに、
頭の血を吸われたことがあるとのこと。
まるで「高野聖」のワンシーンのようではないかとゾッとしました。



経ヶ岳登山道に入ります。



急な木段を150mほど登ると、快適な尾根歩きとなります。



9:30~9:40
30分も歩いていないのに、テーブルがあったので一休み。
ここでも大きなお煎餅をポリポリ。



丹沢の山並みが見渡せますが、あいにくの曇り。
歩くにはちょうど良いのですが、眺望がイマイチです。



アオキの実?やアケビの実が落ちています。
回りを見上げると、それらしき木はないので、
鳥が運んできて落としたのでしょう。



椎の実と長い緑の松ぼっくり。
初秋の風情が感じられます。



赤い実はヤマボウシ。
梅雨の頃、ハナミズキに似た白い花を咲かせますが、
実を見るのは初めて。
人間も食べられるそうですよ。



だんだんと道が険しくなります。



弘法大師が経文を納めたという経石。
ここで、愛川町の田代運動公園に車をとめ、走ってきた息子にばったり会いました
経ヶ岳頂上まではすぐだそうです。
息子は足を少し痛めていることもあり、このまま一緒に帰ることになりました。



経ヶ岳山頂(9:55~10:15)
経ヶ岳は標高633m。
山頂にはベンチが置かれ、大山や塔ノ岳、丹沢山などの展望が良いです。
本日3度目のおやつを食べながら20分の休憩



息子の話ですと経ヶ岳山頂から愛川町側の登山口までは、
大山山頂から阿夫利神社のケーブル駅位までの標高差があり、
大山より道が悪いとのこと。ここを無事に下りることができれば
大山登りも夢ではなくなると思い、ちょっと希望が湧いてきました。



10:15
田代半増坊へ向けて、下山を開始しました。
7:50にスタートして2時間25分経ちましたが、
そのうち50分が休憩とおやつタイムでした。




カラマツソウ?とキンミズヒキ



? ホトトギス 

まだこの辺は良いのですが、下山開始から30分もすると、
大変なことが待っていました。



それはヤマビル。
ここは眺望の良い場所なので、テーブルがあったのですが、
のんびりと休むことなんてできませんでした。



夫や私の靴の上はもちろん、腰の近くまでヤマビルが襲ってきます。





ヤマビル



これから12:40頃、愛川町側の経ヶ岳登山口に着くまでの約2時間は
ヤマビルとの戦いでした。
靴やズボンの裾に上ってくるヤマビルを
落としながら、左膝の痛みをこらえ、必死に歩きました。
(ヤマビルに関してはまたの機会に)



12:40
愛川町側の経ヶ岳登山口・道ノ入沢に到着。
ヤマビルが洋服や靴についていないか入念にチェック。
夫の腕はヤマビルに吸われ、かなり出血していました。

平地に降りてきてからは左膝の痛みがなくなり
普通に歩けるようになりホッとしました。



愛川町では早くも金木星が咲いていました。
同じ神奈川県でも我が家はまだなのですよ。
金木星開花前線は、サクラと反対に北から南に進むそうですから、
こちらの方が少しは夏の気温が低かったのでしょうね。



国道412号線に出ました。



経ヶ岳は左側一番奥のちょこんと突き出ている三角形の山です。



12:50
田代半僧坊バス停
国道412号線を500mほど歩いたところにあります。
次回はここから歩くことになります。

大きな杉木立に囲まれた勝楽寺(田代半僧坊)が目の前に
見えたので、寄っていくことにしました。



12:53~13:18
勝楽寺・山門
勝楽寺は曹洞宗のお寺で、開山は天文は13年(1544年)といわれています。
(詳しいことはまたの機会に)



中津川
橋を渡り、桜並木の右奥に田代運動公園の駐車場があります。

ヤマビルの被害にあい、下山は一度も休むことなく歩きましたが、
勝楽寺で少しのんびりとし、13:40には駐車場まで戻ることができました。
リュックに詰めたお弁当を車の中で食べ、14:00に出発。
40分ほどで家に着きました。
本日の歩行は、12㎞ 17384歩 608㎉でした。
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⑦大磯・高麗山のみち(後編)

2018-07-16 | 関東ふれあいの道・神奈川県

湘南平では10時半から30分位、景色を堪能したり、
ぶらぶらとして過ごしました。



道標に従って下ります。
大きな樽を加工して屋根と窓を付けたもの。
これはいったい何なのでしょう。



住宅街に下りてきました。
汚水管マンホールの蓋は、大磯町の木「クロマツ」「サザンカの花」
町の鳥「カモメ」と「大磯の海」がデザインされています。



地下道に入り、JR東海道線の線路を超えますが、
地下道を出たところで、旧島崎藤村邸の案内看板を見つけたので、
ちょっと寄り道してみることにしました。



旧島崎藤村邸
シダが生えた素朴な冠木門。割竹垣に囲まれた小庭、
部屋は書斎として使われた四畳半の小座敷と六畳と八畳の和室の三間のみ。
こじんまりとしていますが、居心地が良さそうで、
どこか懐かしく、味わいのある建物でした。
夫人は「大磯の住居は50年に及ぶ主人の書斎人としての生活の中で、
最も気にいられたものだったろう」と述べていたそうです。



左は四畳半の書斎 
その後ろに六畳の和室がありましたが、
襖の陰で、見えるのは廊下だけとなっています。

畳敷きの広縁に囲まれた八畳の居間
広縁突き当りの物入れを見つけた時はたいそう喜び、
本棚として使ったそうです。



味わいのある大正ガラス



藤村はクチナシなど白い花を好み、
中でも春の白椿を最も愛したそうです。

こじんまりと見えましたが、敷地は145坪あったようです。
最初は借家として住んでいたそうですが、
1年半後に、当時のサラリーマンの約30年分の給料に相当する1万円で
この家を購入し、終の棲家としたそうです。

昭和18年8月21日、静子夫人が「東方の門」の原稿を朗読中
頭痛を訴え急に倒れ、8月22日午前0時35分「涼しい風だね」という
言葉を残して行年71歳で永眠されされたとのこと。

中学生の時に読んだ『破戒』は眠るのを忘れて一気に読んだほど感銘を
受けた作品で、当時は一番好きな作家でした。



地下道を潜り抜けたところまで引き返し、しばらく南に歩くと、
国道1号線に突き当たります。

大磯中学校前の歩道橋を渡ります。



歩道橋の上から見た東海道松並木。
国道1号線は上り下りが分離帯を挟んで分かれ、
下り側の路側と分離帯の間に松並木が続き、旧街道の面影をしのばせます。

歩道橋を下りると鴫立庵まで400mという案内看板を見たので
反対方向でしたが、またまた寄り道することにしまた。



鴫立庵
京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並ぶ、日本三大俳諧道場の一つ。



鴫立沢
「心なき身にもあわれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ」
西行が陸奥への旅の途次に、ここで詠んだ歌だと言われています。

それから500年以上たった江戸時代の寛文4(1664)年、
小田原の崇雪という人物が、西行をしのんで創設したのが鴫立庵です。



鴫立庵室



庵室内部(手前の部屋) 庵室内部(奥の部屋)



俳諧道場(鴫立庵正庵)



俳諧道場内部
扁額には「俳諧道場」と書かれています。
ここでよく句会が開かれるそうです。



円位堂
三千風の建てた元禄そのままの建造物。
堂内には等身大の西行法師の坐像が安置されています。



五智如来
鴫立庵を創設した崇雪が運んで安置したと言われています。



敷地内には80以上もの、歌碑、句碑、墓碑等が並んでいました。



焼きチーズカレー
ハイキングなどをするときは、大抵お弁当を用意するのですが、
大磯町ならその必要はないだろうと、用意しませんでした。
ところが、国道1号線沿いにはほとんど食べ物屋さんがなかったのです。
やっと見つけたのがカレー屋さん。
まだ開店して間もないようですが、美味しかったです。
(12:30~13:15)



松並木まで戻りました。

あまりにも立派な松を見たので写真を撮ると木の幹に
こんなプレートがかかっていました。



クロマツですよね?
国道1号の中で一番太い木で、樹齢は300年だそうです。



滄浪閣(旧伊藤博文邸)
伊藤博文の死後は朝鮮李王家、米軍の接収などを経て
大磯プリンスホテル別館となったが、現在は使われていない様子。

滄浪閣の手前を左に曲がり、うっそうとしたクロマツの林を抜けると
道は小陶綾(こゆるぎ)ノ浜へ。
こゆるぎの浜は3年前に歩いていたので、
ここからは太平洋自転車道を西に向かって歩きました。



太平洋自転車道は大磯町の西側、西湘バイパスに沿って造られた
自転車専用道路で、西は不動川下流付近まで、東は134号線に沿ってすすみ、
花水川手前で金目川サイクリングコースへとつながっています。



ハマゴウ(浜香)
別名:浜這い
花の名がわからずネットで調べましたが、
漢字だと、どんな植物なのか想像できますね。
浜を這う良い香りの植物のようです。
草のように見えますが、本当は落葉小低木だそうです。



葛川河口 葛川上流方面

葛川手前を道なりに右に曲がると再び国道1号にでます。
旧吉田茂邸を見学する予定でしたが、暑さで体が疲れたので中止とし、
国道1号を少し戻ってゴールの城山公園前バス停に向かいました。



城山公園前バス停に到着(14:10)
JR大磯駅行のバスに乗ります



JR大磯駅から東海道線、茅ケ崎からはJR相模線に乗り換え、
3時半には家に着きました。
前半は山地を歩き、森林浴や眺望を楽しみ、
後半は旧東海道の歴史と文化に触れ、バラエティに富んだ歩きとなりました。
これから先は海を離れ、里歩きや山歩きが中心となります。
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⑦大磯・高麗山のみち(前編)

2018-07-14 | 関東ふれあいの道・神奈川県
7月11日(水)
久しぶりに「関東ふれあいの道」の続きを歩いてきました。
山歩きは6月3日の「高座山~杓子山」以来38日ぶり。
「関東ふれあいの道」も5月22日以来でした。
ずっと歩いていないうえに、暑さが予想されたので、
比較的近場ではありましたが、家を7時10分過ぎに出ました。



海老名発07:34~茅ケ崎07:59着08:07発~平塚着08:12(IC運賃410円)
平塚駅南口08:22~西海岸08:30(IC運賃175円)

6日(金)~8日(日)は平塚の七夕祭りだったので、
その期間中に出かけ、ついでに見学してきたかったのですが、
どの日も用事があり残念でした。



この日の万歩計
16.1km 23298歩 815㎉



写真上段
平塚駅構内には七夕飾りが飾られていました。
スタート地点の西海岸バス停。
スタート地点近くの案内板は錆びていてよく読めなかった。

北に歩くと、すぐに下花水橋に出るので渡る。

写真下段
下花水橋の橋の上からは、これから上る高麗山が見える。
川沿いの道を北に歩くと、東海道線にぶつかるので左にまがり、
トンネルのあるところまで歩き、トンネルを抜ける。

しばらく歩くと、国道1号線の向かい側に高来神社の鳥居が見える。



高来神社・鳥居
神社裏に高麗山への登山口があります。
まずは、お参りをしてから。



高来神社社殿と社殿の彫刻・松に鶴。

かつては高麗寺と呼ばれていた高来神社。
明治の廃仏毀釈令により廃寺となり、
明治30年に高来神社と称されるようになった。

高麗は奈良時代に朝鮮半島の高句麗が滅亡した際、
高麗人が移り住んだことからついた地名。



神輿庫と社殿に鎮座していた御神輿
7月15日は2年に一度の「御船祭」だそうです。



「靖国之塔と東郷平八郎書の「忠魂碑」。
「高来神社(高麗寺(こうらいじ))略縁起」看板。



拝殿の横に登山口に通じる階段があります。
上ると、中央に小さな社があり、男坂と女坂に分かれますが、
関東ふれあいの道は右側の女坂の方を歩きます。



女坂と言っても最初から急傾斜の登りです。
これが高麗山まで続くのですから相当厳しいです。



山頂に横着。
スタート時点の標高が低いので、高低差は150mはありそうです。



平らな場所にベンチと石祠が2つあるだけで眺望もよくありません。



ここまでに出会った野の花たち
ボタンクサギ(高来神社裏)
アカマンマ
ヤブミョウガ 
リュウノヒゲ(まだ蕾ですが花が咲くとは知りませんでした)



ここからは緩やかなアップダウンを繰り返しながら
湘南平を目指して、ミニミニ縦走です。
歩きにくい場所もありますが、
高麗山までの上りに比べ、なんと楽なことか・・・



橋を渡って



八俵山到着



雨後のため、キノコがニョキニョキと出ていました。



八俵山から浅間山の間は穏やかな尾根になっていて、
森の中には休憩するベンチなども多く置かれていました。



オモイガワ
ジュウガツザクラの実生から生まれた園芸品種で、
花は葉に先出って開き、淡紅色の10片の花びらを持つ美しい桜だそうです。
どんな花が咲くのか、見てみたいものです



森の中に咲いていた花
クロコスミア(ヒメヒオウギズイセン) シシウド
ヤブラン ?



紫陽花の道を過ぎると



浅間山に到着
お腹が空いたのでおやつを食べました。
私はバナナ1本と大福1個。夫はバナナ1本と大福2個



15分位休みましたが、テーブルの上にヒルのような動きをする虫を
見つけたので、慌ててその場を去りました。



浅間山から歩いて5~6分のところでジャコウアゲハの雌に出会いました。
低い位置を緩やかに飛んでいたので、
15分位粘り、写真を撮ろうとしましたが駄目。
雄は何度か見たことがりますが、雌を見るのは初めてでした。
(画像はお借りしました)



階段を上ると



湘南平に到着
テレビ神奈川の電波塔をバックに、踏破記念の証拠写真を撮る。



レストハウス展望台では360度の大パノラマが楽しめます。



大磯町 江の島方面



湯河原・真鶴半島方面 丹沢大山方面
 


テレビ神奈川の電波塔

高麗山には2015年9月22日にも行っています。
息子が平塚運動公園でジョギングをするので(着いてから湘南アルプスのトレイルランに変更)
ついでに車に乗せて貰ったのですが、その日に思い立って出かけたので、
歩き始めたのは12:00からでした。
よろしかったら、その時のブログもどうぞ→湘南アルプス
意識はしていなかったのですが、同じような場所で写真を撮っていたのでびっくりしました。
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⑥湘南海岸・砂浜のみち

2018-05-29 | 関東ふれあいの道・神奈川県

5月22日(火)
スタートは遅くなったが、「⑤稲村ケ崎・磯づたいのみち」に続き
13:19から「⑥湘南海岸・砂浜のみち」を歩いた。



スタート地点の小田急片瀬江ノ島駅付近には「関東ふれあいの道」の標識が
なかったので、駅を背に弁天橋の右側の細い道を歩き始めた。



国道134号に突き当たったので、あたりをキョロキョロすると
横断歩道を渡った先に、標識が立てられていた。



撮影ポイントである聶耳(エニェアール)記念碑までは国道134号の
歩道を歩くよう、ガイドには書かれていたが、
暑かったので、海風のあたる県立湘南海岸公園沿いの海岸道路を歩いた。



マップは県立湘南海岸公園のHPより拝借



イタリアンレストランの屋根に止まっているトンビ。
江ノ島水族館は横からパチリ



海岸では着々と海の家の準備が進み、
多くのサーファーが波乗りを楽しんでいた。



地引網でもあったのか、カラスの多さが目立つ。
左側の写真のカラスは、近寄って写しても逃げない。



これからはずっと前方には、丹沢や伊豆、箱根の山々を
後方には、江の島方面を見ながら歩くことになる。



ボードウォーク(海風のテラス)では寝転がって日焼けをしたり、     
芝生広場では犬を遊ばせたりと、思い思いに楽しんでいるようだった。



撮影ポイントの聶耳(エニェアール)記念碑に立ち寄るため
国道134号の歩道に戻った。



聶耳(ニェアール)記念碑
中国国歌をはじめ現代中国音楽の先駆者として有名なニェアール氏が、
1935年フランスに亡命しようとして日本に立ち寄った際、
当地に来遊され、遊泳中に亡くなったことを悼んで建てられた記念碑。
現在聶耳の故郷、中国雲南省昆明市は藤沢市の友好都市となっている。



踏破記念の証拠写真を撮る。



鵠沼橋中央から見た引地川の河口と鵠沼橋。



鵠沼橋を渡ったら左に入り、サイクリングロードを歩く。
大分歩いたような気がしたのだが、
この↑マップを見ると、終点の柳島海岸はまだまだ先のようである。



サイクリングロードに入るとすぐに鵠沼海浜公園スケートパークがあった。
入り口は狭いが中は広く、ジャンプ台や障害物を使って、
数人の若者がスケートボードを楽しんでいた。

今回の歩きで、距離の長さは想定済みだったが、
サイクリングロードの砂には辟易した。
思った以上に疲れ、辻堂海岸公園の展望台では、
15分のおやつタイムをとったり、
サイクリングロード上にベンチがあれば、腰かけて休んだ。



癒される風景



ハマヒルガオの見事な群生



初めて見たハマボウフウ
家で調べたところ、セリのような独特の風味と香り、
シャキシャキした食感も爽やかで、
酢味噌和えや天ぷらなどにすると美味しいらしい。



烏帽子(えぼし)岩をズームで!
夫は30代の頃、茅ケ崎港から船に乗りよく釣りをしたそうだが、
一匹も釣れたことがなかったそうだ。



海で遊んでいた3人の男の子が、波に乗って浜辺に近づくと
ラブラドリーレトリバーが、勢いよく海の中に入って迎えにいくのが見えた。
犬はそれを何度も繰り返す。
体いっぱいで喜びを表すワンちゃんに、思わず笑みが溢れた。
そういえば、こんな遊び、一度もクッキーにさせてあげなかったなぁ~



日本初ロケット火薬実験の地と書かれていた。



サザンビーチちがさき海水浴場



やっと茅ケ崎漁港に到着。
ここまでくれば、ゴールの柳島海岸まであと1.5kmだ。
ところでこの私、恥ずかしながら、
今まで茅ケ崎に漁港があることを知らなかった。



夫が昔来たときは、この辺はただの広い駐車場だったそうだ。
綺麗に整備された公園となっていたのでビックリしていた。



左側の道標を過ぎ、ゴールまであと1kmというところで、
左足が急に傷んだので靴を脱いでみると、足の親指にできた水ぶくれが潰れていた。
ティッシュで押さえ、テープを巻いたところ痛みは少なくなったが
右足の親指も同じような状態なので、慎重に歩いた。



ゴールの柳橋海岸であろうか。ズームで写した。
一人は大人のようにも見えるが、女の子達が先端の岩場で遊んでいる。
さっきの男の子たちもそうだが、
学校が終わってから、こんな風に遊べるなんて羨ましい。



どうやらゴールの柳島海岸のようである。
チガヤの果穂がふわふわになって風に揺れ、とても綺麗だった。



小さな海岸であったが、関東ふれあいの道の看板が立って
いないので、夫が隅々まで探した。



あとから分かったのだが、看板が見つからなかったのは
チガヤにつられて、海岸の中に入ってしまったから。
そのまままっすぐに海岸線を歩いていれば、左側の看板のところに出たようだ。



歩道橋を渡り、500mぐらい歩けばバス停に着くはずだったが、
足をかばいながら歩いたので、とても長く感じられた。
バス停には17:35に到着。
17:50のバスに乗り、茅ヶ崎駅には18:10に到着した。



18:17茅ケ崎発橋本行の電車に乗り、海老名には18:58に着いた。
海老名まで41分もかかることに驚いたが、
JR相模線は単線なので、列車の行違いに時間がとられるからだろう。



夕飯は私がよく一人ランチするイタリアンのお店に寄った。
夫は一刻も早く家に帰りたかったようだが、しぶしぶ同意してくれた。
お風呂に入り、足指のケアをし、すぐに休んだところ、
翌日は足指の水ぶくれの痛みはほとんどとれていた。
32.914歩 22.8km 1.151㎉。 これは私の限界かもしれない。
それにしても長い一日だった。
コメント (14)
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