お寺さんぽ Ver.03

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中尊寺 (岩手・平泉)

2008年07月17日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日の紹介は「奥州・藤原氏」…と言って、おそらく最初に思い出される(かもしれない)、特別史跡「中尊寺(ちゅうそんじ)」なのです。
ちなみに、同名の漫画家さんもそうした連想(藤原→中尊寺)で名前をつけたのだとか。

いやぁ、行きたかったんですよねー、岩手県は平泉の地。
こちらの「中尊寺」は世界遺産登録に頑張っているようで、現在は暫定リストに入っているとのこと。
ひでるさん的にはどーでもいいことですが、やっぱり世界遺産ともなると来客数とか増えるんでしょうかねぇ?

…とかなんとか書いてたら、↓こーんな記事が…。

--------------- [ おまけ ] -------------------

■平泉「落選」、世界遺産戦略見直し
 [読売新聞] 2008年7月8日

 カナダ・ケベックで開催中の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で6日午後(日本時間7日午前)、日本政府が世界遺産に推薦していた「平泉の文化遺産」(岩手県)の登録延期が決まった。
 登録申請のあり方を巡り、政府や自治体に戦略の見直しが求められている。
(ケベックで 青木佐知子)

 次の登録のチャンスは最短でも2年後。「審査を厳しくするという傾向が加速している。気を引き締めて推薦書を作り直さなければ」。世界遺産委員会の審査後、記者会見した近藤誠一・ユネスコ大使(62)は口元を引き締めた。
 日本政府は審査直前まで、委員会メンバーの大使ら21人に外交攻勢を続けた。審査の場では、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」の登録延期勧告について、途上国の大使ら計12人から「勧告は尊重するが、何とか別の評価にはならないか」などと援護射撃を受けたが、結果は出なかった。
 世界遺産委員会の会場には、次の推薦を狙う文化庁の「暫定リスト」に名を連ねる自治体の職員も姿を見せた。

 「世界遺産登録を目指す仲間として、期待していただけに残念」。昨年1月に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が暫定リスト入りした長崎県の担当者は悔しがった。平泉の登録延期で、国内での審査スケジュールが遅れる事態も予想される。「今回の審議内容を分析し、できるだけ早い時期の登録を目指したい」と話した。
 昨年10月現在、登録された世界遺産は851件。
---------------------------------- 。。。



さて、そんなこんなで「中尊寺」は天台宗の東北大本山です。
今はこうして岩手いや、東北地方での代表的なお寺にまでなっておりますが、その歴史は決して平坦なものではありませんでした…。

嘉祥三年(850)は平安時代の初期頃。
”慈覚大師”こと「円仁」によって開かれた…と、されているようです。
その頃は「中尊寺」ではなく、「弘台寿院」という名前だったようですが、詳しいことは例によって不確かみたい。
誰だって有名人の加護を受けたいものですよ。

正確なところになると、長治二年(1105)…はちょうど平安から鎌倉時代へうつるころ。
奥州藤原氏の初代「藤原清衡(ふじわらの・きよひら)」は、「後三年の役」を生き抜いたことによって、奥六郡を領する大勢力の当主となりました。

清衡は前九年・後三年と東北地方にて続いた戦乱にて亡くなった人々の霊を慰め、仏国土を建設するという願いのため、多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営するのでした。
寺号が「中尊寺」となったのも、この頃のようです。
(※寺伝そのままだと、貞観元年(859)、清和天皇より「中尊寺」の号を賜った、とされています)

初代清衡以降、二代「藤原基衡」、三代「藤原秀衡」と建設はすすみ、歴史書「吾妻鏡」によると、
寺塔四十余宇、禅坊三百余宇
…と伝えられ、いつの間にやら、まさに奥州屈指の大寺院たる規模となっていたのでした。
ちなみに、現存しているのは残念ながら天治元年(1124)制作の「金色堂」だけなのですが。
こちらの説明はまた後日。

さて、文治五年(1189)
平家を滅ぼした「源頼朝」は続いて東北へ兵を出し、奥州を百年という長きに渡って統治していた藤原氏は四代「藤原泰衡」にて滅亡してしまいました。
それと共に、最大の保護者を失った平泉の各寺院は急速に衰退。

鎌倉時代には御家人「葛西清重」、頼朝の妻「北条政子」、南北朝時代には「北畠顕家」など、各将によって管理・修復をされていたようですが荒廃はとまらず、さらに建武四年(1337)での野火ほか度重なる火災によって、堂塔のほとんどを焼失してしまうこととなるのです。

江戸時代には、このあたりは伊達藩領となっておりました。
ここで伊達氏の保護を受けた「中尊寺」は、ここでようやく堂塔などを補修・再建されるのでした。

さらに、明治に入ってから「金色堂」が国宝建造物第一号に指定されたほか、火災などから守られた三千余点の宝物が国宝・重要文化財の指定を受けるのでした。
なお、天台宗東北大本山の称号を許されるのも、昭和に入ってからのことです。

宝物館「讃衡蔵(さんこうぞう)」には、「木造・阿弥陀如来像」「木造・薬師如来像」「木造・薬師如来像」という三体の丈六仏ほか、奥州・藤原氏三代の文化財などが収蔵されております。
再建された「本堂」には、総本山「比叡山延暦寺」より分火された、千二百年も燈り続けている「不滅の法燈」があるのでした。
 

[住所]
 中尊寺 岩手県平泉町衣関202

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田中 昭三
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※そんなこんなで中尊寺。
 一度は見たいお寺ですよねー。



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