お寺さんぽ Ver.03

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パール判事と東京裁判 (靖国神社)

2006年08月14日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は法学者として五本の指に入るであろうほど有名な「ラダ・ビノード・パール」判事と「東京裁判」について。

あちこちで記事となり指摘もされている事柄ですが、まだ数多くいるこの事実を知らぬ方のため、簡単に書きました。
例によって詳しく知りたい方は専門サイトなり、書物をお読みくださいませ。


誤った戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。間違った歴史は正しく直さなければならない


昭和二十年(1945)
来日したマッカーサー元帥の最初の命令は「戦争犯罪人の逮捕」でした。
「東條英機」陸軍大将以下の戦犯容疑者のリストアップがされると、軍国主義の象徴を打ち砕くべく、東京にて裁判が行われるのです。

昭和二十一年(1946) 極東国際軍事裁判
通称「東京裁判」は東京市ヶ谷にて行われました。
通常の戦争犯罪に加え、平和・人道に対する罪という”新たな”罪名で起訴。
また、法廷に出席した判事らは全て戦勝国、あるてはその属国から選ばれるという、不当でおかしなものでした。
(※オーストラリアのウェッブ裁判長、アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ニュージーランド・ソ連・カナダ・中国・フィリピン・インド、という面々)

ここにインド代表として出席していたのが「ラダ・ビノード・パール」判事で、上記中で唯一国際法の専門家だったのです。
無論、これは戦勝国家の工作によるもので、初めから有罪となることが確定していた、出来レース的な裁判でした。
当時は戦争自体が違法でなかったため、日本を裁くために公平な審理や諸原則を端から無視したのです。
(※東京裁判の違法性は、いま法学会では常識になっており、またマッカーサー元帥自ら誤りだったと言っています)

さて、パール判事は法の正義を守らんとする使命感と、高度な文明見識の持ち主でした。
着任するとすぐさま裁判に関する膨大な資料の調査と分析に没頭し、この不当性を看破しました。

「日本が戦争に踏み切ったのは侵略のためでなく、独断的な現状維持政策をとる西洋諸国によって挑発されたためであり、東京裁判は”正義の実現ではなく勝利者による復讐”である」

こうして提出した千ページ以上にも及ぶ「意見書」は、残念ながら多数派によって掻き消されてしまうのです。
(※ちなみにパール判事は”日本に戦争責任がない”とは言っておりません。責任は日本人自身で裁くことである、という認識のようでした)

戦後に何度か来日したパール判事は「自虐史観教育」によって「罪を犯した」と日本人が信じ込まされていることに驚き、
誤った戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。間違った歴史は正しく直さなければならない
…そう言い続けてくれたのです。

東京裁判の影響は原爆よりも甚大な被害だった、というのは今の日本を見る限り非常に的を得た言葉であると思います。

先日ブログ記事にて「東條英機の遺言」を取り上げましたので、第三者的な視点ということで、こちらも取り上げてみました。
最後に、靖国神社にあるパール判事の石碑に刻まれた一文を紹介して終えたいと思います。

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、 また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、 そのときこそ正義の女神は その秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう



[住所] 靖国神社 東京都千代田区九段北3丁目1番1号


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パール判事の日本無罪論

小学館

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※こんな本を読んで、歴史の真実に目を向けて下さい。
 きっと、今言われている諸問題についても何か理解できるでしょう。


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