紀州・有田で田舎暮らし

思いつくままに野菜や果実や漬物を作ったり、時には青春する心を求めてさ迷ったり、気ままに田舎暮らしを楽しんでいます。

農家のあまりものは 果物だけじゃない!

2019年04月24日 | 家庭園芸&直売所

近所の農家から貰うのは、果物だけではない。昨日、畑で家庭園芸中、携帯の電話が鳴った。近所の農家の人からだった。

近所の農家「今日、みかん畑に除草剤を散布したんやけど、薬が余ってしもた。棄てるの勿体ないので、いらんかなあと思って。今、〇〇にいてるんやけど、ここにあるお宅の雑草畑、ついでに散布しとこうか」

自分「あーホンマ、草刈機で刈らなアカンと思っていたところや。助かる。散布しといて」

いつも雑草管理だけしている我が家の耕作放棄地の近くからだった。

自分「そんなん、いちいち電話して貰わんでもカマヘンで。いつでも、余ったら散布しといてよ。ヘヘヘヘヘ。新玉ねぎと絹サヤ、食べてくれるんやったら持って行くで」

近所の農家「野菜、何も作ってへん。もらう もらう」


夕方、新玉ねぎと絹サヤを届けに行った。

自分「今日は除草剤かけてくれて おおきに」

近所の農家「薬、途中でなくなったんで、全部はかけられなかったけど・・・ 」

自分「そんなん かまへん そんだけかけてくれたら助かるよ おおきに」

近所の農家「新玉ねぎ、早速、天ぷらにさせてもらおう おおきに」


いつも隣近所のことまで気にかけてくれる田舎暮らしは、心地がいい。自分も、お役に立てることを心がけなくっちゃ・・・

 


(独り言)好々爺 夢じゃない・・・

2019年04月24日 | 田舎暮らし&家族

最近、NHKの連続テレビ小説「なつぞら(主人公:なっちゃん)」を録画し、夜に見るのが日課になっている。北陸から北海道の十勝に移り住み牧場を開拓してきた「お爺ちゃん(草刈正雄)」には、頑固ジジイの雰囲気が漂う。そこには、苦労して切り開いてきたという自負が見て取れる。ただの「頑固ジジイ」ではない。

自分の胸に手をあてて考えてみた。若い頃は、人は歳とるほどに「人間ができてくるはず」と思っていたが、古稀を過ぎても「穏やかで柔和で誰からも好かれる好々爺」には程遠い。かと言って、自分にはテレビドラマのような筋のとおった「頑固さ」も持ち合わせていない。

そんな自分に気づき、昔読んだ宗教書物を引っ張り出して読み返した。読むのは就寝前に1~2頁だけ。目を閉じ、書物の内容を反芻し、自分の心に滲みこませようと思いを馳せた。

そんなある日、不思議な感覚に出会った。頭に浮かんでくることは「俗っぽい」ことばかりだが、意識を胸に下げていくと「俗っぽさ」を忘れ、「静寂」な感覚にひたれることに気づかされた。さらに、その「静寂」な世界に書物の「光り輝く神様(御守護神)」をイメージすると、「えも言われぬ心地」にひたれることも味わうことができた。心身が洗い清められた想いがした。

「根気のなさ」では自信のある自分だが、仮に継続して「神聖な別世界」にひたり心身を洗い清め続ければ、「好々爺」に近づけるかも知れないと思っている。

廃棄処分しなかった書物が、「御礼」をしに来てくれたに違いないと受け止めている・・・