六十六回の終戦記念日を迎えた
開戦七十周年太平洋戦争に関するドキュメントがTVで放映されている。
我が家近くの阿見町は 霞ケ浦海軍航空隊が開隊され予科練が横須賀より移転し終戦まで教育訓練の中心的な役割を担った。
次の世代に正確に伝承し命の尊さや平和の大切さを考えていただくため予科練平和祈念館を建設した。
たまたま写真家土門拳が撮影した予科練習生の写真など集めた土門拳の まなざし 戦中戦後と幻の写真 が同館で開催中でかけることに
予科練平和記念館
予科練の少年生き生きとした表情が写し出されていた。
あのあどけなさ 無邪気さは なんなんだ
館内には 遺書遺品などが展示され涙を誘う
不思議なのは ほんの近く旧海軍航空隊跡地にも同じような展示会館がることだ
歩いて数分以前にも訪れたことがあったが立ち寄ることに
雄翔館
右山本五十六元帥の像
会館は 航空母艦の形 屋上への通路は 艦橋を表し 屋上は 飛行甲板を表現してるとのこと
山本五十六像の正面が旧土浦海軍航空隊
父は 海軍さん母が私を出産する際部屋は 胎教で山本五十六の写真で飾られたようですが似ても似つかぬ人間に生まれました。
て゛も やってみせて 言って聞かせて やらせてみて ほめてやらねば人は 動かじ は 実践してたつもり
予科練の碑(予科練二人像)
この像の前で家族が酒を酌み交わす光景が見られると言います。
平和ボケしてる私ですが
このような尊い犠牲の中で平和があることを忘れては ならない
そして二度と戦争をしては ならない
そう思った。
忘れないでいないといけませんよね。。
私も同様に思っています。機会があれば話しています。
平和を永遠に伝えたいものです。
今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にゃ でっかい希望の雲が湧く」
この歌、今でも思い出します。
鹿児島の知覧にある「特攻平和会館」で見た遺書・写真は、涙なしでは見ることが出来ませんでした。
多くの人の犠牲の上に今の平和があることを、忘れてはいけないと思います。
「連合艦隊司令長官 山本五十六」の映画も今年冬に公開されるようです。
霧島昇のレコード大昔ハンドルを回し針を交換しながら聞いた思い出があります。
知覧は 訪れてません
河井継之助 山本五十六が有名
戊辰戦争のためか河井さんは 人気がないと聞いたことがあります。
近頃の学校での歴史教育は現近代史がおざなりで、
アメリカと戦争したことさえ知らない若者が増えていると聞きます。
悲劇は 語り継がねばならないと思います。