爺々のひとりごと

毎日目にする何気ない風景そして風物詩気ままに書き綴っていきたいな

千姫のお寺

2010年10月07日 | 日記
家康の孫娘千姫の眠る寺として知られる弘経寺(常総市水海道)で彼岸花が見ごろとの報道早速でかけた
数年前内部一般公開された時以来だ
徳川幕府の威光がしのばれる三つ葉葵の紋所が見られ欄間彫刻が印象に残ってる。
町では 毎年四月千姫行列が催される。

         
             境内には 真っ赤な彼岸花

         
                屋根に三つ葉葵の紋所

千姫は 大阪城落城後本多忠刻に再嫁したが忠刻に死別後江戸城にて仏事三昧の生活を送っていたが天樹院菩提所として弘経寺に多大な寄進をし本堂を再建した。
遺体は 家康の母方伝通殿を葬ってある寿経寺へ埋葬 弘経寺には 遺髪を埋葬したと言われる。

         
                   千姫の墓地

墓碑には 戒名 天樹院殿榮譽源法松山大姉 が刻まれてた。
来年のNHK大河ドラマ お江 だったように思う 少し千姫について調べたいと思った。

帰り道 累の墓 法蔵寺へ立ち寄った
江戸時代この近くで親が子を夫が妻を殺害する代々にわたって悲惨な出来事が起こった実話をもとに三遊亭円朝が真景累ケ淵として発表日本三怪談のひとつ 歌舞伎 講談 浄瑠璃講演前に役者がお参りしたという。

         
                    累一族のお墓

地元紙で紹介された歴史探訪で弘経寺 法蔵寺を知りましたがまだまだ地元には 結構見どころは あるようです。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
千姫がなぜ水海道に (しゅうちゃん)
2010-10-07 22:23:12
彼岸花、いいですね。彼岸花のある風景なんとなく好きです。
千姫がなぜ水海道にと思い、チョト調べたら少し納得、でもなぜここを菩提寺に?寿亀山天樹院弘経寺は昔は有力寺院だったみたいですね。
昔なら図書館に行って調べるのが、現代はネットですぐに調べることができ、便利になりましたね。
信長・秀吉・家康の時代が好きで、その時代を描いた本は結構読みましたが、千姫のその後までは読んだ記憶がありません。
すみません入力まちがいだと思いますが、弘径寺->弘経寺が正しいかと
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訂正します (しゅうちゃんへ)
2010-10-08 07:54:32
一般公開された時若いお坊さんにおききしましたら 近くを鬼怒川が流れ江戸への水陸中心の土地 筑波山神社からの宮大工が集まりやすく
立派なお寺が造営されたと言われてました。
我が家の彼岸花もやっと見ごろに
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おはようございます (ippu)
2010-10-08 09:31:54
≪千姫のお寺≫
千姫にまつわる物語は読んだことがあります。でもそのお墓の記憶は全くありません。
その内機会を作り、お墓見学心も実現させたいと思います。
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里帰り (ippuさんへ)
2010-10-08 11:35:51
余計なこととは 存じますが鉾田まで格好のドライブコースだと思います。
是非実現を
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千姫縁の寺 (hiro)
2010-10-09 05:29:14
変貌する時代の中で生き抜いた姫の晩年、、、
水戸藩の寺に寄進があったんですね。
歴史に疎い私なので、こういう話に好奇心あり。
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ゆかりの寺 (hiroさんへ)
2010-10-09 08:06:18
家康 秀忠から信頼された高僧が寺にゆかりのあった方だそうです。
歴史をひも解くって楽しいです。
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歴史オンチ (matutaka31)
2010-10-09 09:40:46
私は史跡を訪れる度に、自分が歴史に疎いことを思い知らされます。
 水海道の千姫のお墓のことも、累の墓法蔵寺のことも、・・・。
 でも、知らないことに触れるのは良い勉強になります。有難うございました。
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私だって (matutaka31さんへ)
2010-10-09 14:26:19
私も知ったのは 十数年前なのです。
その地を訪ね思いを寄せる
水戸黄門になったりします。
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