前回足の回復記念筑波山弾丸登山ご紹介しましたが
今回下山の模様隠れスポットご紹介
男体山は 小学校以来登頂経験なくこの際 と思ったが足が動かずケーブルカーで下山
大正年間開通箱根に次いで二番目のケーブルカー戦時中廃線昭和29年再開したとのこと 小学校の遠足で登山当時は 線路は なく ここが登山道でした。
終点(始発)近くになりますと紅葉が見ごろ 車内から
宮脇駅降りますと こんな看板が
1976年NHK大河ドラマ風と雲と虹と 平将門放映
嬥歌(かかい)定められた日に男女が集まり歌をやり取りして互いの相手を見つける 昔から筑波の神社が認めた行事 乱交パーティーの始まりなんて言う人も
筑波山は 万葉の故郷 詠まれた歌は 富士山よりも多いと言う
こんな碑が見つかりました
筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも
筑波山に雪が降ってるのでしょうかいとしいあの娘さんが布を干してるのでしょうか
筑波山神社近くに 日光より早く彫られたという三猿が 左甚五郎作では ないようです。
みなさんご存じでしたか
左より言わざる 見ざる 聞かざる
山門左手には 藤田小四郎像が
元治元年(1864.5.2)無策を続ける幕府に憤り同志が集まり筑波山に集結挙兵 天狗党の乱
各地で戦いながら京都へ上る途中越前(敦賀)で投降
最後にこんな伝説があります
大昔神様が国々を巡って宿を頼みましたが富士山には すげなく断られましたが筑波山は 快く迎えたところから
富士山は 木も生えず雪が積もる 筑波山は 緑が多く人々が集う山になったとさ
今度注意して見てみます。
いつだったか、わざわざお昼を食べに行こうと筑波山神社付近を探しましたが、シャレたレストランが無くてガッカリでした。
三猿はこっちの方が古いのですか。
今回は筑波山、登頂の後の下山時の模様ですね
いろいろと解説付きで写真を見せて頂いて居りますが
昔から大変に由緒のある山だと言う事が良く分かりました
何といっても本ブログの最後の文言
"大昔神様が国々を巡って宿を頼みましたが富士山には すげなく断られたが筑波山は快く迎えたことから
富士山は 木も生えず雪が積もる 筑波山は 緑が多く人々が集う山になった"
これが最後を締めるのに相応しい圧巻に値しますね
いろいろと良い話し有り難うございました 失礼します
筑波山 一番良き日25日でしたよ~
暖かかった~
健康の為 登るのが目的
見たようで見ていない所ありです
若い人でも結構キツイとか
筑波山たりとも 侮れないです
1000回登りたいですね~
一層のことならつくば市街地へ
結構知られてない筑波山があります。
立山も好きですがでもやはり筑波山を愛します。
弁慶茶屋跡まで何度となくくじけそうになりましたが
やまちゃんの姿が浮かび頑張りました。
三猿すでにここにあったのですか、藤田小四郎のブロンズ?もありますね。
「筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも」 このままで理解できますね!
その時は、ゆっくり見学したいと思います。
水戸藩を二分する悲惨な戦いでした
三猿数年前知りました。
殆どの方登ってないようです。
神社付近見所多いです
御朱印大御堂おすすめ