『ソッチニイク、ヨロシク』
ハヤトの元に、こんな電報が届いた。
電報を受け取ったのは、初めてのことだった。だから彼は、文面よりも、電報という仕組みに感心してしまった。なるほど、これなら電話のない俺にも連絡がつくな、などと考えた。額や頬に汗の大粒を浮かべた配達員が、受取り確認の用紙を差し出した。ハヤトは部屋に戻ってハンコを探し、押した。それから改めて、その短い文章を読んだ。
中野区江古田の、新青梅街道からほど近いアパートメントだ。ここで彼は、高校を卒業してから、初めての一人暮しをエンジョイしている。従って、東京の夏も、初めての経験だ。
電報の差出人は、マサルだった。以前から、家を出たいと手紙で言っていたのだ。それがとうとう本当になったらしい。
翌々日の朝、彼はやってきた。正しくアパートを探し当てて、やってきた。ホンダのオフロードバイク1台で。後部シートにはボストンバッグがひとつ、ゴムバンドでくくりつけられていた。
「ようよう、ついに来たな」
「ああ」
「どうだい、どんな気分?」ハヤトはタバコを一本差し出した。
「あのな」マサルは、自分のオイルライターで火をつけた。美味そうに一服する。「ずっとバイクで国道を走ってきてな」
「うん」
「夜通しで、10時間以上走り続けて」
「うん」

「思いがけず、いろんなことが頭に浮かんだのだけど」
「分かるなあ」
「嫌なこともな」
「なるほど」
「それが、千葉に入って、湾岸道路という標識を見たときにね」
「うん」
マサルは、そこで溜めていた息を吐き出した。「ああ、俺はついに東京へ来たんだ、と突然自覚した。そうしたら、それまで思い浮かんだ感傷的なことが、みんな消え失せた。ついに来たんだ、ってそれが強かった」
「そうか」
「そうなんだよ」
「じゃあ、いい気分か?」
「いいね」マサルは笑った。両腕を上げて、大きく伸びをした。「ああ、腰が痛いなあ」
「荷物はこれだけ?」
「そう。結局、着替えとか本とか、身の回りのものだけになった」
「今は夏だからいいけどさ、そのうち布団買わなきゃ」
「布団か」そこでマサルは吹き出した。くわえていた煙草の灰が飛び散った。
「何がおかしいんだ」
「だって、布団を買うなんて、そんな経験は今までしたことないよ」
「ああ、そっか」
「わははは。布団かあ。そりゃあ、必要だよな」
この日から、二人の共同生活が始まった。
85年の、夏のことだ。
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