goo blog サービス終了のお知らせ 

くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

街が好きだったのだ

2005-09-05 13:05:01 | エッセイ

 小学校6年生のときの話し。
 毎月、お小遣いをもらったあとの日曜日は、友人と二人で繁華街へ出掛けたものでした。

 バスで30分ほど行くと駅前に着いて、まずは最初に腹ごしらえ。映画館の脇にカウンター席だけの喫茶店があり、そこでは100円程度でホットドッグが食べられた。これは腹を満たすだけじゃなくて、子供だけで喫茶店に入るという快感があったのですね。
 毎月行くものだから、カウンターで働いているお兄さんが顔を憶えてくれて、行けば必ずソーダかコーラをサービスしてくれるようになった。これは実に興奮すべき事柄だったです。小学生にして“顔”となり、早くも“馴染みの店”を持ったのです。僕たちは店にいるあいだ、「我々は常連なのだ」ということを周囲の客に分からせるように振る舞ったものです。と言っても、せいぜい紙ナプキンを必要以上に使うとか、奥まったトイレの場所を知っているとか、そんな程度だったけど。

 そこを出たあとは、デパートの中の『王様のアイデア』という店へ。おもちゃとも実用品とも言えない、何とも不思議な商品を買うのが楽しみだった。今でも憶えているのは、反射板で太陽光を集めて火をつけるライター。これで何をするということもないのだけれど、男の子はそういうのが面白いのですね。
 その時点でお小遣いの大半を使っているので、あとは本屋や山屋を巡り歩き、夕飯に間に合うぎりぎりまで街にとどまっておりました。

 人間が大勢いて、物と情報が飛び交っている。そういう街のエネルギーに、僕はこの頃から惹かれていたのです。


あなたの匂い

2005-08-25 16:49:06 | エッセイ

 粋という概念は、なかなかに難しいものです。
「粋とは何か」を説明すれば、それこそ野暮というものになる。しかし、それを承知で敢えてコトバにすれば、
「表には見えない部分でこだわり、心配りをする」
ということになるでしょうか。これは服の着こなし方や持ち物にとどまらず、身の振る舞い、人との接し方など、およそその人の生き様に関わってくることかもしれないですね。

 さて。
 最近では、男性が香水を使うことは、もはや当たり前のこととなりました。しかし残念ながら、正しい香水の選び方をわきまえている御仁は、まだまだ少ないようです。どこかで嗅いで、その匂いを好きになり、自分も身にまとってみたい、という動機はもちろん必要なのだけれども、そのあとには、いわば試用期間が必要なのです。

 まず知っておくべきことは以下の三点。
1、誰しも特有の体臭があるということ。
2、それは、汗をかいたときに強くなること。
3、その匂いは、脇の下が一番強いこと。

cologne400

 香水というのは、それ単独の匂いを感じるものではなくて、つけた人の体臭と混じり合って放たれた匂いを感じるもの。だから自分の体臭とミックスしてみて、それが時間とともにどんな匂いに変化するかを観察するのが肝要です。組み合わせによっては、残念ながら不快な匂いに変化することもあり、その場合はあきらめて他の香水を探すのが賢明と言えます。
 具体的な方法としては、欲しい香水を見つけたら、まずは店頭で小さなテスターをもらってくること。そして家に帰ってからシャワーを浴び、余計な匂いを洗い落とし、脇の下附近へ香水を一、二滴つける。これだけ。フレッシュだった匂いは、時間とともにどんどん変化していくから面白いものです。
 
 カルバン・クラインだとか、シャネルだとか、ブランドや名前だけで匂いを選ぶことこそ無粋。それをいかに自分の匂いにしてしまうか。香水選びは、粋への第一歩でもありますね。
 


二人だけのコトバ

2005-08-19 14:05:43 | エッセイ

 たまに、妹夫婦と会うときに、一つのささやかな楽しみがあります。
 それは彼らのあいだで交わされる、独特の用語を聞き取ることです。
 例えばこのあいだは、「ギャンス!」というコトバが盛んに交わされておりました。これは彼らが飼っている三匹のネコのうちの一匹、『しゃなん』

shanan250215
こいつです

 の発する声だというのです。
「あの時、しゃなんが“ギャンス”と言ったの」
 これがきっかけで、最近はしゃなんの別称がギャンスとなっており、ついでに何かおかしな状況が発生したときにも、「あれはギャンスな状態だった...」なんて表現するわけです。こんな特殊(?)用語を聞いていると、面白くてしょうがない。


 それからこれは、友人とその彼女の話しですが。
 彼女が携帯メールを打つときに、しばしば誤字脱字が起こるらしいです。それが時折、味わい深いコトバとなることがあるので、彼らは日常会話でもそれを使っているようです。
「都合はいいぬ?」(いいの?)
「はからない」(分からない)
「とこかからてんわするよ」(濁点なし)
「もうぬる」(もう寝る)


 夫婦、あるいは恋人。
 付き合いが長くなれば、二人だけのあいだのコトバというのが、いくつも生まれてきます。それは陽光の中で笑いあい、ふざけあったときに生まれた、二人だけの暗号。ふと、別れてしまった人の記憶がよみがえるときも、そんなコトバだけが浮かんできたりすることもあります。
 そんな些細なものが積み重なり、やがては絆となって、二人は寄り添って生きていくのでしょうね。


舶来品と保健室

2005-08-11 18:52:40 | エッセイ

manual1400

 これはブログ仲間のdii-chaiさんからいただいた、タイの缶詰さん。プルタブの使い方がイラストで図解されていて、英字の 説明も書いてあります。この英字の説明というのが、僕は幼い頃から、大好きなのです。
 異国の魅力というか、国産にはない高機能さを感じるというか。
 昔は、「これは外国製だゾ」ということ自体も、うんと魅力的だったのですね(英語=外国だった)。
 僕が子供の頃は、外国製のものを“舶来品”などと言って、すごく有り難がっていました。実際、登山用品とかキャンプ用品なんかは、国産のものはひどい品質だった。だから自然と『シェラ・デザインズ』とか『ウィルダネス・エキスペリエンス』なんて名前を覚えていったのですね。


manual2255

 これは『ライフツール』というサバイバルナイフを買ったときに付属してきたマニュアル。中学生のときです。
 僕はしょっちゅう腹痛を起こしていた子供だったのだけれど、そんなときは保健室に駆け込んで、清潔なシーツにくるまってこのマニュアルを読んでいるのが、かな~り幸せなことでした。


manual3400
ほらほら、こんなのが10ページくらいあったんです
いいでしょう~(と好みを押しつける)


若かったから、なの?

2005-07-22 01:30:18 | エッセイ
quint400

 学生の頃は、仲間で集まって車に乗ることが、ひどく楽しいことに思えたなぁ。
 どこか決まった目的地があるわけでもなし、誰かが出した車に、三人、四人と乗り込んでくる。ただそれだけのことが、実にワクワクすべきことだったのですね。

 静まりかえった深夜の晴海通り。開け放った窓から顔を出して、夜気にタバコの煙を吹き流す。勝鬨橋を渡ると、空気が冷たくなった。
「この辺りをテキトーに曲がってみっか...」
「あ~、俺、こっち方面はヤバい」
「何だよ」
「別れた女が、このへんに住んでたんだ」
「押し掛けてみようぜ!」
「うわっ、やめろやめろやめろ」
「ひゃはははっ」
「あっ、これ新曲じゃん。誰のカセット?」
 ファミレスの明るい看板を見つけると、とにかく寄ってしまう。そこで夜食をとって、車の中でやっていた話しの続きをして。

「さて、これからどこ行く?」
 こう言って、再びみんなで車に乗り込む瞬間が、たまらなく好きだったなぁ。

追:この記事は『テクノマエストロに憧れて』“明け方のファミレス”にトラックバック。こちらでは早朝の光景が描かれているのですぞ。