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くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

他人の不幸は苦玉の味

2005-07-21 16:01:00 | エッセイ

 あまり詳しくは書けぬことでござるが。
 ご近所さんに、大変に騒々しい青年が住んでいる。
 激昂しやすいお人で、ケータイ電話で相手を叱りつけ罵倒することしばしば。周囲の目を気にするということがないらしく、いつも玄関を出て外でケータイを使うのですね。なんとなれば、ここらの住人はみんなその怒鳴り声を大人しく拝聴している次第であります。
 その内容はというと、これが殆ど色恋沙汰の騒ぎなのでござる。

「分かったよ、俺がギセイになればいいんだろう!」
「お前が謝れよお前が謝れよ」(楽譜風に表すとcresc.fffね)

 実際に恋人が訪ねてきているときの喧嘩は、それはもうすごい騒ぎとなる。がしゃんバリリと何かが投げられ、ドアから女性が飛び出し、ネコはかんぶくろに押し込まれる。好奇心の強いお方なら、ずっと聞き耳を立てたくなるかもしれないよ。 


 ところで、深川の江戸資料館で知ったことなのですが。
 江戸の庶民というのは、殆どが長屋に住んでいたらしいのだが、これは隣家との境の壁が非常に薄い。土壁一枚なのである。だからほんのちょっとの隙間があれば、中の様子はすべて丸見えだったのですな。当然のぞき見盗み聞きが発生して、

「あそこの夫婦はじき夜逃げしそうだ」
「あそこの夫婦の○○は××
などと、うわさ憶測をするのが庶民の楽しみだったそうな。
 他人の不幸は蜜の味。喧嘩を聞きつければ「もっとやれもっとやれ、うひひひ」となるのだろうなあ。


 しかし僕は、きわめてセンシティーヴに出来ている男でありますヽ(´▽`)/  喧嘩やら諍いは大嫌いでござる。くだんのご近所さんの怒鳴り声も、テレビの音を大きくしたりして、ひたすら忍の一字で耐え忍んでいる。時には痴話喧嘩の現場を目の当たりにすることもあるのだが、恋人らしい女性が本気泣きしているところなどを見ると、どうにもいや~な気分を味わうことになる。

 テレビを見ても新聞を読んでも、不幸な悲惨な記事ばかりが取り上げられている。そのほうが世論のウケがいいからですね。たまに仕事を休んだときなど、午後のワイドショーでもご覧なさい。主婦向けに制作されたあのような番組こそ、“他人の不幸は蜜の味”を高らかに謳ったものですぞ。報道機関の堕落もここに極まれり、だ。
 
 あああ、激昂してしまった。冷た~いアイスでも食べようかなっ。ふんふんふ~ん♪

追:この記事は『不埒な天国~Paradiso Irragionevole~』“La voce inferocita”にトラックバック。フィレンツェでは、ご近所付き合いがもっと大らからしいです。

妥協

2005-07-09 06:00:00 | エッセイ
holder1

 ここは我が家のおトイレ。そしてこれはトレペのホルダー。
「なんだなんだ、ナニヲ撮っているのだ???」とお思いでしょうが、どうかそのたおやかな目元に微笑を浮かべて、読み続けてくだされ。
 もともと付いていたプラスチック製のホルダーが、経年劣化のために壊れてしまったのですね。そこでハンズに赴いて、カタログを眺めてこのアルミ製の製品を注文したのです。だからこの画像はカタログに載っていたのと全く同じです。

 しかし実際に入手したものには、小さな輪ゴムが付属しておりました。説明書通りに設置すると、こうなった。

holder2

 この輪ゴムは、トレペがくるくる廻りすぎないようにとの策ですね。しかしデザイナーはそこまで考えてなかったと思う。せっかくの美しいアルミ単一素材の直線的ラインが、これでは輪ゴム部分で寸断されてしまう。それにアルミだけだったら半永久的に使えるだろうけど、輪ゴムなんて何年かしたら劣化してしまうし。
 だから、この輪ゴムは製品化した段階で追加されたのでしょう。僕がデザイナーだったら一寸ヘコムなあ。

 これが妥協というものなのですね。血気盛んな頃だったら、その言葉さえ否定していた、妥協という観念。
 美しく、ボタン一つ一つの質感まで考えられたリモコンに、実際使う人はラップを巻いたりします。凝った装丁の文庫本に、カバーをかけたりします。
 それが人々の、リアルな生活。

追:え~、トレペを差した状態の画像は割愛いたしますた。あまりにも、その、生々しいおトイレ的な絵になるもので。へっへっへ。
 この記事は『はなな生活』「葉の影から」にトラックバック♪


もったいなさ

2005-06-10 17:34:27 | エッセイ

 一つ前の記事に、みなさんが素晴らしいコメントを寄せてくれました。中でもkiyominaさんのコメントは、柔らかく示唆する部分があって、とても刺激を受けましたよ。
 建築の仕事をしていると、「資材がもったいないなあ」と感じることが多いです。分かりやすい例として、例えばモーターショウなどの展示会。そのときの設計通りに、木材やアルミパイプを使って展示ブースを作っていくのですが、これは会期が終われば殆どを、ゴミ屋さんに処分させてしまうのです。

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 合板や垂木(いずれも安価)を使っているとしても、もう少していねいに解体して、また次の現場で使えばいいのにと思ってしまう。しかし、一度使った材料を再利用するには、解体にも再利用にも、非常に手間が掛かるのですけどね。
 この“もったいなさ”は何も建築に限ったことではなくて、スピードと能率を求められる仕事では、必ず発生していると思います。ケチケチせずにたっぷりと使うからこそ、いい仕事が出来るのも事実なのです。
 しかし、コメントをくれたkiyominaさんは、そういう従来の考え方そのものが何か間違っているんじゃないか、と提案しているのですね。これは環境保全が大事にされ始めた昨今でも、実に奥の深いテーマだと思います。消費文化そのもののアンチテーゼなのです。

 ところで、これは何に見えますか?

effects1

effects2

 高級な装飾素材のべっこうと大理石に見えるのだけれど、これは木材に描いたフェイク(にせもの)なのです。

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Photograph of effects from Crown with goodwill.

 元の素材はベニヤでも何でもいい。いずれも、想像力と追求心をもって塗装を施したのです。いずれ解体してしまうものなら、これでいいと思う。
 僕は以前、ドルチェ&ガッバーナの東京本店の工事をやったことがあるのだけれど(そのときのおもしろエピソードは三人のイタリア人参照)、あれだけ手間と時間を掛けて塗り上げた見事なストゥッコ壁が、手入れが大変ということで、二年前に行ったときには上からペンキが塗られていました。

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「それなら初めからそうしろよ」とも思ったのだけど、最初から安い作りには出来ないしなあ(ドルチェ&ガッバーナは高級ブティックです)。そんなときにフェイクを使うのも一つの解決法だと思います。
 そして建築の世界も、少しずつ変わりつつあります。木材を切り出す規格を変えて、無駄のないようにしたり、使い回しの出来る材料を揃えたり。街の再開発でも、むやみに解体、新築をせずに、昔の美しい瓦屋根家屋が目立つように装飾壁を取り外して、電柱を埋設したり。そういうことでも仕事は出来るし、ちゃんとお金も回りますよね。

追:この記事は廃材などから作品を創り上げるTommyさんの『小沼デザインワークス工房日記 』「あうん制作中」にトラックバック♪


持ち物

2005-06-04 05:38:43 | エッセイ

 初めて一人暮しを始めたとき、持ち物はとても少なかった。

 散文や絵を書きつけたノート。バイトで買ったトランペット。一番気に入っていたカセットテープ。そういうものが、一番大切なものだった。だから、田舎から上京するときは、小型のワゴン車で済んでしまった。自分ごと、両親に運んでもらった。すいぶんあとで聞いたのだが、母親は帰りの車中、泣いたのだという。

 中野のアパートでの、一人暮し初日の夜は、実に興味深かった。何だかひどく静かで、時間の感覚がなくて、寂寞としていた。夜の早い時間でも、まるで真夜中に起きているような感覚だった。僕は十円玉をかき集めて部屋を出て、同じ東京にいる先輩宅へ電話を掛けた。少し軽薄だが元気いっぱいの先輩の声を聞いて、やっと人心地が着いたのだった。 

 あれから二十年が過ぎ、僕も中年の声を聞くようになった。自分の部屋を見渡してみると、ずいぶんと持ち物が増えてしまったことに気付く。すべて、必要だからと入手したはずなのに、必要以上の量があるような気がする。持ち物が増えると動きが鈍る。決断力が衰える。

「男は常に身一つ、思い立ったらすぐに旅立てるように」とはカヌーイストの野田友佑の言葉である。プロのトラベラーはみな持ち物が少ないものだ。そして、ジンセイもまた旅だ。
 僕は迷っている。


必要としてるのはどっち?

2005-05-26 19:04:04 | エッセイ
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ざっぶーん

 先週、水族館に行ったのです。何年ぶりかで楽しみだったのです。しかし...。

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 はたしてニンゲンがサカナたちを見ているのか。彼らがニンゲンを見ているのか。


 イルカは、ニンゲンに捕らえられるときにほとんど無抵抗なことを知っていますか。
 彼らは驚くほど達観しています。すべての運命を“あるがままに”受け入れるそうです。そして水族館ではショウのために特訓を受けるのだけれど、それにも従順。イルカ本来の習性を抑制し、飼育係のプログラムに合わせて(ニンゲンに合わせて)毎日を過ごすのです。
 夜、誰もいないプールで、自発的にショウの練習をしているイルカたちの姿を目撃した人がいるそうです。

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キューッ

 ニンゲンの言葉を音波に変換して伝えたり、手話を教えたり。彼らはめざましい理解力を示すのだけど、それは彼らが必要としていることではないですね。もともと高度な通信方法でコミュニケーションを取り合っている彼らに、ニンゲンが何を教えるというのか。
 動物園とか水族館とか、これから一寸足が向かなくなりそう。どうしても彼らが見たいのなら、彼らの生息域に出かけていけばいいんじゃないかなあ。そこまでの覚悟が必要な気がするです。

追:この記事は『雲海の涯(はて)に~』“生き物。。。”、
『J'sてんてんてまり』“模索”にトラックバック。