はるかのひとりごち。

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さよなら「なは」と「あかつき」と…その12:遠く「なは」に想い馳せ

2008年06月12日 22時12分13秒 | たびろぐ九州。

「かしわうどん」と熊本のディープな銭湯を堪能し、
このときが最初で最後の乗車となる、寝台特急「なは」に乗る時間が迫ってきました。

長々と書いてきたけど、実際はここまであっという間。
旅の途中は、まだまだ帰るまでタップリ時間はあるし、なんて思ってるのに、
最後の行程に近付くにつれ、寂しく思うのはいつものこと。
特にこの旅は、廃止前の「なは」だっただけに、余計に切なくなりました。


いよいよ、熊本駅の5番線に「なは」が入線です!
それにしても…、青い客車の外板、痛々しすぎて思わず泣けてきた(泣)。
いずれなくなるんだろうから、と応急処置で済まされてきたんでしょうか。
でも、ここまでなるまでよくがんばってきたね。
たくさんの旅の思い出を、ほんとにありがとう。と心から言ってあげたくなる姿です。


帰りの宿は、B寝台はB寝台でも、開放型じゃなくて「ソロ(1人用個室)」!
痛々しい外板の客車が、この日の寝床です。
チケット取れるかな??と心配だったんですけど、取れてよかった~。
廃止直前だったら、きっと取れなかったかもしれないなぁ。


寝台はこんな感じ。「彗星」と同じ、線路方向に並んでるタイプです。
外見はものすごく痛々しかったけど、室内は広々としていてとっても快適。
行きに乗った「あかつき」のシングルツインとは大違いなのでした(笑)。


そして、寝台特急「なは」は熊本駅を離れていきます。
ところで、この「なは」という列車名、
沖縄を走る列車でもないのに、なんで「なは」??と思われがち。
この由来、以前、那覇で出会ったキャラ「りゅうちゃん」でおなじみ(?)の、
琉球新報という新聞社が、沖縄本土復帰を願って一般公募したものだったそうです。
海を越えた遠い地の願いを乗せ、「なは」は走り続けたんだねぇ。


そんなことを考えてるうちに、数時間前にうどん食べた「鳥栖」駅に到着。
やー、あいかわらず行ったり来たりしてますなぁ(笑)。
ここで、長崎からやってきて一緒に京都へと向かう僚友「あかつき」を待ちます。


始発熊本から「なは」の青い客車を牽いてきた赤いED76とは、ここでお別れ。
「あかつき」を牽いてくる同じ赤いカマへと、バトンを渡します。
「京都まで、あとは頼んだぞ」と、ちょっと凛々しげな面持ち。かっこいいです。


そして、定刻通り「あかつき」が鳥栖に到着、「なは」に連結される瞬間。
ああ、もうすぐこの旅も終わっちゃうなぁ、と思った瞬間。


記念に「あかつき」のサボも撮っておきました。できれば長崎からも乗っておきたかったなぁ。


熊本を出るときは「寝台特急なは」だった列車も、
ここ鳥栖で11両編成の「寝台特急あかつき・なは」となりました。
これ、先頭が「あかつき」だからこう呼ぶんだよね??
「儀式」を終えた青い客車は、翌朝の京都駅を目指して走り始めます!

「その13」へつづく~♪