炭坑節のふるさと、田川伊田の町を歩いたあと、
「平成ちくほう鉄道」が田川伊田駅に乗り入れているもうひとつの路線、
「田川線」に乗って、終点の「行橋」駅までやってきました。これにて「へいちく」2路線完乗。
この田川線も、旧国鉄田川線が三セクとなった路線で、
国鉄時代から比べて、いくつか新しく駅が生まれ、駅数が増えています。
高架駅のせいか、天井の高さの割にはホームが狭くて、かなり角度の付いた駅名板の写真になっちゃいました(^^;;
おっ、ここにも愛称がついてるんですね~、「ゆめタウン行橋」。
ピンク色の駅名表記がなんともかわいらしい雰囲気です。
行橋まで連れてきてくれた車両がこちら。「炭都物語号」。
昨日今日~明日~♪って、あれは「三都物語」でしたね(^^;;(←byJR東海)
で、この車両のデザインが素敵。ちゃんと2本煙突とお月様と、そして竪抗とヤマが描かれてます。
なんだかもう、次の夏の盆踊りで「炭坑節」を踊りたくなってきました。ほんとに。
そんな「へいちく」のホームから、JR日豊本線のホームへとやってきました。
旅名人きっぷ、まだまだこれから大活躍の兆し♪
ホームに滑り込んできたのは、この日の朝に博多から門司港まで連れてってくれた415系。
やっぱりこのカラーリングとこのお顔を見ると、ああ、九州にいるんだなと思わせてくれます。
そして、この415とのつかの間の時間を過ごし、到着したのは、
「新田原」駅。上の行橋駅の駅名板を見てもらうとわかると思うんですけど、
たった2駅の短い旅でした。でもね、ここへわざわざ来たのには、ちゃんと理由があるのです。
とりあえず、せっかく来たからには一度改札の外へ出て駅舎の撮影。
ちょっと落ち着いた感じのピンクの壁に、「SUGOCA」のピンクの幟が妙に合ってる気がする~(^^;;
しかし、「しんでんばる」って読めそうで読めない駅名だよなぁ。
「しんたはら」とか「しんたはる」とか読んでしまいそう。
さて、そんな「しんでんばる」まで、たった2駅乗ってきた理由とはこちらっ!
折り返しの普通列車、「下関」行きに乗るため!!ここが始発駅となるのです。
正直、とても小さな駅なので、どうしてここが折り返しの始発駅になるんだろう??
って思ってたんですけど、どうやらこの駅が、
かつての「門司鉄道管理局」と「大分鉄道管理局」の境界駅なんですね。
それでなのかなぁ、とこれはあくまでもわたしの推測。
で、ついさっき乗り込んだ行橋駅を通り過ぎ、ひとつひとつ駅に停まり、
それでも駅間はいい走りを見せてくれた普通列車は、
終点「下関」駅に到着。関門トンネルをくぐって本州へ!
と、ここの駅名板はJR西日本仕様。
あれ?「旅名人きっぷ」ってJR九州のきっぷだよね???
と言いたいとこですが、ここがJR西日本とJR九州の境界駅なんですね。
だからここまでが利用範囲内。いやぁ、やっぱりお得です。このきっぷ♪
はるばる海を渡って(くぐって?)やってきたし、下関駅で降りるのは久しぶりだったので、
駅舎を一目見ようと外に出たんですけど、そうだった。こんな風になったんだっけ。
以前の下関駅は、青い三角屋根の駅舎だったんですよね。
それが、悲しい事件で焼失してしまって。ほんと残念。
元々はここが屋根だったのかなぁ、と思われる跡がありました。
歴史ある建物だったし、大好きだっただけに、再会できなかったのは重ね重ね残念。
「あさかぜ」とのお別れのときが、最後の訪問となったあの駅舎。
何度か訪れることができてよかったと、名残を見上げながら切なくなった夕暮れでした。
「その7」へつづく。