はるかのひとりごち。

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さよなら「なは」と「あかつき」と…その8:いまはなき「終着駅」

2008年06月01日 23時59分07秒 | たびろぐ九州。

島原の街で途中下車の旅を堪能した後、
当時の島原鉄道の終点、「加津佐」駅へ向かう列車に乗り込みます!
待っていたのは、最初に諫早から乗ったのと同じ黄色い車両。


そこへ、諫早方面へ向かう列車が、ここ島原駅で交換するためにやってきました!
これこれ!島鉄に乗りに来たのには、これに会いたかったってのもあったんです!
昭和30年代前半に誕生したベテランさん、キハ20。
目に眩しい黄色い車両の隣に並んだのは、島鉄オリジナルの三本ヒゲの車両。
最近の車両にはない、味わいと風格を感じさせるスタイルが大好きです。


2両編成のもう1両を、加津佐行きの車両の後ろから見てみると、
こちらは国鉄色のツートンカラー。いやぁ、国鉄&古参車両好きにはたまりません♪
終点へ向かわずに、こっちに乗って諫早へ戻っちゃいたい気持ちを必死に抑え(笑)、
ベテランさんを見送ります。どうかまた後で会えますように。


島原駅から3つ目の「島原外港」駅から先が、先日の3月末をもって廃止になった区間。
「南線」と呼ばれたその区間を走り始めると、
「安徳」という高架の駅から、きれいな白いトラス橋が見えました。
それが、左の写真の「安新大橋」。
ちょっと小振りな、もうひとつの「水無川橋梁」とともに、
あの雲仙普賢岳の噴火の被害を大きく受けた場所で、
噴火から4年ほど、不通となっていた区間だそうです。
こうして立派な橋が架けられて復旧したものの、それから10年ほどでの区間廃止。
2つの橋を列車の後ろの窓から見送りながら、
そうした辛い時期を乗り越えてきたことを考えると、なんとも切なくなりました。


その普賢岳・平成新山の脇を、列車は進んでいきます。
噴火した当時、ニュースから流れてくる映像がとにかく衝撃的でした。
いまでも噴煙を上げている姿は、怒っているみたいでなんだか怖くて。
あらわになった山肌が、噴火のものすごさを物語ってる気がしました。


また線路は海のすぐ脇を通り、ゆっくりゆっくり進む区間にさしかかりました。
線路脇の崖がちょっと危ないせいなのか、のんびりと徐行しながら進む列車。
きれいな海がゆっくり見られたのがうれしかった~。
でも、残念なことに噴煙を上げる山も、そしてこの海も、
いまでは列車の窓から眺めることができないのが寂しい…。


そして列車は終点、「加津佐」駅に到着。
途中下車したものの、区間距離78.5km、44駅の島鉄の路線を完乗です!
いやぁ、乗りごたえありました~。


終着駅でありながら、この加津佐駅は無人駅。
でも、以前は駅員さんがいたのかなぁ、というような窓口がありました。
2月だったけど、暖かそうな色の陽が射していた駅舎内。
ほんとにもうすぐ終わっちゃうのかなぁ、なんて思ったのを憶えてます。


線路を挟んだ向こう側に、ちらっと海が見えたので行ってみると、
途中、そこらじゅうからたくさんのノラネコちゃんが出現!!
追いかけて遊んでるうちに、諫早方面へ戻る列車の時間となってしまいました(笑)。
もう2度と鉄路で来ることのない「終着駅」とも、あっという間にお別れです。


島原の街で買った「焼きたてパン」をおやつに、元来た線路を戻ります。
クリームパンとりんごパン、そしてライ麦パン。
パンの酵母の香りが、いかにも手作りー!って感じでとっても美味しかった~。
夕陽を浴びながら走る黄色い列車の中で食べたから、より格別だったのかな♪

「その9」へつづく~♪