はるかのひとりごち。

のんびりと旅レポお届け中~。

残りのきっぷで夏の九州'10 その5:波止場ランチ

2011年04月29日 22時54分35秒 | たびろぐ九州。

今日から大型連休に突入ですね。
でも、毎年のことながら、GWはフツーに仕事→どこも行く予定なしの我が家。
というわけで、気分だけでも旅に出てるつもりで九州レポのつづき〜♪

念願だった軍艦島の上陸も果たし、長崎港へ戻ってくるとお昼をとっくに過ぎていました。
ウマいものアンテナを張り巡らしに、街中へ出てもよかったんですが、
この日、夕方には長崎を離れなくてはいけなくて、
その前にどうしても行っておきたい場所があったので、簡単に済まそうとなんとなく大波止フェリーターミナルへ。
そういえばここに食堂があったんだっけ、と2階の「ごはんや百番」さんへ行ってみました。

さすがにお昼をとっくに過ぎていたので、
ターミナルの端のほうにあるお店のスペースはガランとしていましたが、
すぐ食事が食べられそうだったので、この日のお昼はここに決定。
席に着いてのんびりしていると、できました〜の声(セルフのお店なんですね)。
これこれ、これが食べたかったんだよね♪


トルコライス〜♪

さすがご当地メニュー。フェリーターミナルの食堂にももちろんありましたよ。
カレーピラフの上に、トロトロのオムレツとデミソースのかかったトンカツが載っていて、
ナポリタンとサラダが添えられていました。
ワンプレートで大好きなモノが一度に食べられる、大人のお子さまランチ的メニュー♪
いただいてみると、このカツがミルフィーユ状になってるんですよ!
衣はサクサクだし、ジューシーでウマかったー☆
こんな近くに美味しいトルコライスが食べられるところがあってよかった!大満足。


そして、同居人はというと、こちらのフライ定食を注文。
白身魚・キス・イカのフライとクリームコロッケに生野菜とマカロニサラダ、
そこに冷奴にきんぴらとおしんこ、お味噌汁が付いて、なんと480円!!安っ!!!
やー、フェリーターミナルの食堂だからと侮ってはいけません。
ここ、離島へ行くときなんかにまた来てもいいなぁ〜。メニュー豊富だしいいですよ。


お腹いっぱいになったあと、同じフロアにこんなパネルがあるのを発見。
さっき行ってきた高島や端島とともに、以前訪れた「池島」を紹介するパネルがありました。
ああ、あの島もまた行ってみたいと思える島だったんですよね。
あのお店はどうなっているのかな、あのとき出会った人は??
また機会があったら行きたいと、ちょっと遠くの離島に想いを馳せてしまいました。


とにかくこの日はものすごく暑い日だったので、食後のデザートを探しに、
フェリーターミナルのすぐそばにあるショッピングセンター「夢彩都」でお買い物。
こちらの「ながさきアイス」をゲット。
もなかの中に、冷たいアイスが入ってるんですけど、暑い日だったからより一層ウマかった〜☆
すっかり涼んだところで、長崎であとひとつ、どうしても行きたかった場所へと向かいます!

「その6」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その4:念願の上陸

2011年04月21日 22時50分57秒 | たびろぐ九州。

またまた間が空いてしまいましたが、九州レポ再開です!

「その3」がすでに前のページに行ってしまったので、こちらからどうぞ~(^^;;

いったん、高島に寄り道したあと、いよいよ今回の目的地「端島」へ向かいます。
かつては炭鉱の島として栄え、1974年4月に無人島となった通称「軍艦島」。
35年の時を経て、2009年4月から一部地区ですが上陸が解禁となりました。
船が少しずつ、高島の住宅群から離れていきます。さて、これから向かう島に果たして上陸できるのか。

というのも、出発前にスタッフの方から言われたのが、
海が時化ていたり、波が高かったりした場合は、船を岸壁に着けることができず上陸不可となるそうで、
お天気がよくても、上陸できないことがいままでにもあったんだとか。
行ってみないとわからない、ってところがかなりドキドキです。
ここまで来たからには、できれば上陸したい…。


高島を発ってわずか数分、軍艦島と呼ばれる所以、軍艦「土佐」に似たその姿が見えてきました。
以前にもクルーズ船ですぐそばまでは行ったことあるけど、自分の足で島に立てるのか、緊張の一瞬。


天気に恵まれたので、いちばん高台にある幹部職員用の住宅や、端島神社の神殿がはっきりと見えます。
青い空と海、そして緑が生い茂る無人島。上陸まで、あと少し。


この辺りのエリアには上陸できないけど、軍艦島の建物群のなかで最初に目を引くのがここ。
右から端島小中学校、手前の低いのが体育館、
そして、その後ろにあるのが島でいちばん世帯数の多かった鉱員社宅65号棟。
10階部分に幼稚園が増築されています。よく目を凝らすとすべり台らしきものが確認できます。
社宅から左手にある「やまみち」へ抜ける通路が、船からもはっきりと見えます。


鉱場区域の手前にあるドルフィン桟橋が見えてきました。
以前クルーズ船で近付いたときよりも、接岸しやすいように改良されてます。
上陸の許可も下りました。いよいよ上陸!


桟橋から最初に目に入ったのが、石炭積込用の桟橋跡。
ほんの一部ではあるけど、いままで上陸禁止だった端島を歩ける日が来るなんて。
体調悪かったのもすっかり吹き飛んでしまいました。←ゲンキン


崩れた建物の間から見えるのが、貯炭ベルトコンベア跡。
なんかちょっと神殿のように見えるのは気のせい??


海から見えた幹部職員用住宅の下の壁が、少し緑色に見えます。
これ、端島ができた当時、植物がなかったために緑色に塗られたものなんだとか。
住民が離島して無人島になってから、緑の生い茂る島となるなんて。複雑。


これが第二竪坑入坑桟橋。ここから、石炭を掘るために地下深くの危険な現場へ、
たくさんの炭鉱夫の方々が降りていったんですね。
この日は突き刺すような暑さで、その日差しを遮る場所のない見学通路はキツかったけど、
目の前に広がる景色は、一瞬その辛さを忘れさせてくれます。


レンガ造りがひと際目を引くこちらの建物は、総合事務所として使われていたようです。
ここもまた、ギリシャの宮殿を見ているような気がしました。


見学通路をどんどん進んでいきます。この、いまにも吸い込まれそうな建物はなんだろう。
位置からすると、事務所と渡り廊下で繋がっていた会議室でしょうか。
採掘全盛期には、たくさんの人が行き交っていたんだろうな。


そして、いよいよ見学通路の終わりまでやってきました。
目の前に見えるのが、大正5年に建てられたという、日本最古のRC造の鉱員社宅。
なんと、今年で建てられてから95年ですよ。それがこうして現存しているのだからすごい。
すぐ左手に建つ31号棟は、昭和30年代に建てられたものですが、
島の周囲を囲む護岸のすぐ際に建てられていて、そこに住む過酷さを物語っていました。
見学エリアの柵のこちら側からしか見られなかったけど、
ここまで近付けただけでも十分満足できる、なんともいえない威圧感がありました。


見学エリアから振り返ったところにプールが。ここは海水のプールだったようです。
小中学校とは対極の場所にあるけど、子供たちが入りに来てたのかな?


そろそろ見学時間も終わりに近付いてきて、元来た道を戻っていきます。
この辺りの波はかなり高いそうで、少しずつそこにあったものを壊していってしまうそう。
少しでも長い時間、少しでもその形を留めてほしいと思うのは、
島の生活や、そこを離れた人々を想うからなんでしょうか。


できればもう少し長くいたかったけど、船に乗り込み小さくなっていく島を見送ります。
暑さでフラフラだったけど、でも上陸できてほんとによかった。
長かったような、あっという間だったような、不思議な時間を過ごせたツアーでした。

「その5」へつづく。

宝物の正体は。

2011年04月15日 23時01分52秒 | たびろぐ沖縄。

昨日の箱の中身は、
とってもやわらかいお顔立ちがかわいらしい、琉球張り子の「ミルクさま」。
以前、那覇の食堂の記事を書いたときに教えていただいた、
沖縄で崇められている、ニライカナイ(理想郷)からやってくるとされている神様です。
今回、偶然出会うことができて、平和を願って連れて帰ってきました。

というわけで、昨夜遅くに沖縄から戻ってきました。
ちょうど羽田を出発する前、ANAの仙台への第1便を見送ったんですけど、
「がんばろうニッポン」の文字を掲げて飛び立つ機体は、感慨深いものがありました。
被災地も、それを支援している企業も、みんながんばってほしい。
ほんのわずかの力にしかならないだろうけど、応援の意味も込めて乗って出かけてきました。
沖縄でもね、応援のロゴのステッカーを貼ってるバスをたくさん見かけたんです。
遠く離れていても、日本中がひとつになってるんだなぁと実感した旅でした。

行きの機内で読んだ機内誌「翼の王国」に、ちょうどミルクさまの記事が載ってて。
まさか現地で偶然出会えるとは思ってもみませんでした。これも縁なのかもしれません。
我が家にとって、今日からまた新たな1年。
ミルクさまに見守られながら、自分たちのできることをがんばっていこうと思います。