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はるかのひとりごち。

のんびりと旅レポお届け中~。

残りのきっぷで夏の九州'10 その1:北九州ヘリテージ

2011年02月10日 22時33分11秒 | たびろぐ九州。

さてさて、それでは昨年夏の九州レポを書いていきたいと思います♪

今回ご紹介する旅は、またまた九州~(笑)。
帰ってきてすぐの記事、「日焼けと筋肉痛と体脂肪率と。」でもチラッと書きましたが、
前回お届けした旅レポ「北九州大満喫の旅」のときにお世話になった、
JR九州の「旅名人の九州満喫きっぷ」を、中途半端に残してしまって。
このきっぷ、1枚で3回(or3人)分使えるきっぷで、前回2枚購入。
それを2日間2人で使ったので計4回分を使用。で、2回分が残ったというわけ。
それなら、その2回分を消化しに、また九州へ行ってしまおう!ということになりました。
JR九州さんの策略に、まんまとハマってる気がするなぁ~(笑)。
なーんて、きっぷが残らなくても、たぶん九州へはフラフラと行っちゃうんですけどね(^^;;

今回の旅は、いつもみたいに朝一の便で!なんて気合の入った時間のフライトではなく、
ちょっとのんびり、お昼過ぎの出発。ラウンジで食べたチキン南蛮おにぎりがお昼ごはんとなりました♪


羽田を飛び立ったスターアライアンス塗装のB777は、夏空の福岡空港に定刻で到着~。
真冬に真夏の旅レポもなんですが(^^;;、
とにかくいい天気!そしてとにかく暑かった!東京よりも暑かった!!(笑)
いつもなら、ここから地下鉄の駅へ向かうのですが、このときの旅は、


まず最初に向かったのがこちら、西鉄のバス停。空港の目の前に乗り場があります。
ここまで目と鼻の先なのにもう汗だく。とにかく暑かった!(ってもういいか)


そこへやってきたのが、こちらの「宇美営業所」行き。
あれ?宇美??宇美ってそういえば…。

そう!なんと前回の北九州の旅のとき、最後に向かった駅がJR香椎線の「宇美」駅だったんです!!
狙ったワケじゃ全然なかったんだけど、ほんとにたまたまだったんだけど、
こんな風にリンクしちゃうところが旅のおもしろいところっ!!


久しぶりに西鉄バスに乗ったけど、後方の2人がけの席の形にちょっと反応。
2つに割れてて、窓側より通路側が微妙に後ろにズレてるんですね。
これ、オフセットシートって呼ばれるバスの座席。
わたしの地元では、所謂ロマンスシートのバスしか走ってないので、かなり新鮮でした。
そんなバスに揺られて、途中下車したのがこちらの、


「志免鉄道公園」バス停。今回の旅の最初の目的地がここ!
鉄道公園という名前の付くこの場所に、いったい何があるのかというと、


実はここ、前回の旅レポの最終回でチラッと触れた「旧国鉄勝田線」にあった、「志免」駅跡なんです。
あのときは廃線跡が気になったものの、時間がなくて少しも見ることができなかったけど、
まさかこんなに早く「またの機会」がやってくるとは思わなかった(笑)。


といっても、ここ志免駅は宇美の2つ隣の駅。間には「下宇美」駅がありました。
ちょっと離れてはいるけど、でも勝田線で前回の旅と少しだけリンクしているのが不思議な気分。


元々は、1本の線路で繋がっていたんですが、いまではバスが通ってきた道が、
その線路を分断しています。道の向こうにもホームの跡のようなものが見えますが、
先に「上亀山」駅方面へ歩いてみることにしました。


当時からのものなのか、腕木式信号機の脇を通り過ぎ、少し広い道を渡ると、
その先にまっすぐに続く廃線跡を発見!いやいや、そのままどんどん歩いていきたくなります。
でも、実はこのあとどうしても行きたい場所があったので、後ろ髪引かれつつUターン。


さっき降りたバス停の道の向こうへ渡ってみると、当時使われていたと思われるものがありました。
これってなんだろう??転轍機を動かすテコかな??(ちゃんと見てくればよかったー!)


「志免鉄道記念公園」と書かれたタイルが埋められていた壁には、
勝田線が走っていた当時の写真が飾られていました。どれも興味を惹くものばかり!


昭和60年3月の、志免駅のホームの写真もありました。ちょうど廃止になる直前の頃でしょうか。
この場所ってこんな風景だったんだなぁ、と思うとなんだかワクワクします。
駅が、路線がなくなってしまったのは寂しいけど、ここに駅があったっていうのが残ってるのがうれしい。
この旧勝田線跡が、平成19年11月に、
「九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」として認定されたんだそうです。
いつまでも、ここに鉄道が走っていたことを伝え続けていってほしい。そう思える公園でした。

「その2」へつづく。

くぐり抜けてきました。

2011年01月27日 22時26分46秒 | たびろぐ九州。

えー、昨夜遅く予定通りに、旅から無事に帰ってきました。
行き先は宮崎。はい。最後の最後にほんとにどうなることかと思いました。

今回は、3月でさよならのRED EXPRESS485系に会いに行く旅。
JNRマークの付いた国鉄色の編成もいたりして、その再会を楽しんできたんですが、
そんなRED EXPRESSが、必死に降灰の中を駆け抜けてくれたおかげで、
昨日のうちに帰路に着くことができました。
その後、日豊本線は途中区間が運転見合わせになってしまったみたいなので、
タイミングが少しでも違ってたら、もしかしたら帰れなかったかも。
帰りの便を、鹿児島からにしておいたのも結果的によかった。
旅の目的が移動がメインというのが功を奏したのかもしれません。忘れられない旅になりました。

それにしても、自然の力というのは恐ろしい。
そんなことを痛感した旅でした。
わたしは一瞬だったけど、地元の方の大変さを考えると胸が痛いです。
少しでも早く終息に向かうことを祈るばかりです。

そう、今回の旅はお誕生日を祝う旅でもあったんですよー。
今回泊まった宿のケーキショップで買ったケーキで、1日遅れで祝ってもらいました♪
いちごのケーキ、おいしかったなぁ~☆
もちろん、その土地のウマいものもたくさん食べてきましたよ。
ちょっと、いや、かなり先になりそうですが、今回の旅、綴っていきたいと思います。
そのときは、よろしかったらお付き合いくださいませ。

北九州大満喫の旅その15:終着駅はうみ

2011年01月23日 23時57分57秒 | たびろぐ九州。

戸畑でお腹いっぱいになったあとは、いよいよ今回の旅の最後の路線へと向かいます。
高架の戸畑駅のホームから北口を望むと、さっきまですぐそばにあった若戸大橋がはっきりと見えます。
なんだか最後に見送ってくれてるみたいで、ちょっと切ないような、でもうれしいような。
またこの光景を見れることを楽しみにしながら、JR鹿児島本線の快速列車に乗って、


初日に降り立った黒崎駅や、ちょっと前に降り立った折尾駅を通り過ぎ、
1時間ほどで到着したのがこちら「香椎」駅。最後の路線はここで乗り換え。
ここからJR「香椎線」の旅が始まります。


到着してすぐ、若松線でお世話になったのと同じ気動車、キハ47がやってきました。
接続時間があまりなかったので、急いでその姿を撮って乗り込みます。


まずは香椎駅から、終着の「西戸崎」駅を目指します。
この区間は、途中「海の中道」を通るので、「海の中道線」という愛称が付いてるんですね。
終点に近付くにつれ、海が見れるのが楽しみ~と思いながら、
実はその前に楽しみにしていたものがあったんです。それがこちら。お隣を走る線路。

香椎線は全線単線なので、隣の線路は香椎線のものじゃないんです。
これ、以前乗りに行った「西鉄宮地岳線(現・貝塚線)」の線路なんですね。


そして、お隣の「和白」駅に到着。
上のリンク記事にも載っている西鉄和白駅が、駅名板の向こう側にあるんです。
久しぶりの併走なので、西鉄の車両が来るといいなぁって期待してたけど来なかった~。残念。


そして、次の「奈多」駅のそばには、こんな給水塔を発見。
実はわたし、団地の給水塔も好きなんですよね~。
その土地によって特徴あるものが多かったりして、見てるとほんとにおもしろいのです。
新しくカテゴリを作りたいくらいなんですが、もうこれ以上作れないのが残念。
(って、さすがにそれはマニアックかな??(^^;;)


そうこうしているうちに、車窓の風景がガラッと変わってきました。
いよいよ海の中道区間に入った模様。砂丘の真ん中を突っ切って走ってるので、
防砂壁も出てきたりして、なんだか不思議な雰囲気。


そして、香椎から25分ほどで、終点「西戸崎」駅に到着です。
ちょっと無機質な感じのこの駅舎、水戸岡デザインなんだとか。ちょっと意外かな?


ここから車でちょっと行けば「志賀島」なんですよね。
でも、さすがにもう時間はあまり残ってないので、即折り返しで反対側の終点を目指します。
そう、香椎駅は香椎線の途中駅なのです。
すぐ向こうに見える海に別れを告げて、いま乗ってきたこの横顔の列車に乗り込みます。

ということで、ここから全線通しで乗ることになったんですが、
ちょうど帰りの通学時間帯に突入したため、車内はけっこうな混雑状態。
もう車窓の景色を写真に撮るような雰囲気ではなかったので、ただただ列車に揺られ、
西戸崎から1時間ほどでたどり着いたのが、終点、


うみ

といっても、ここは西戸崎とは違って「海」はそばにはないんだけどね~(^^;;
おとなりはしんばる!ジャーン!(←シンバルの音のつもり)


ここ「宇美」駅は、少し離れた場所に昭和60年に廃止となった国鉄勝田線の駅もあった駅。
その廃線跡もかなり気になったものの、せっかく歩くならじっくり見たいので、
またの機会に訪れてみたいと思います。

というわけで、今回の「旅名人の九州満喫きっぷ」の旅はここが最終目的地となりました~。
なかなか終わらなかった北九州レポも、これでおしまい。
読んでくださったみなさま、ありがとうございます!
次の旅レポは、昨年9月のこれもやっぱり九州の旅の記録になりそうです。
どれだけ九州好きなんだろうか??(^^;;

でもその前に、この旅の最後に食べた駅弁をご紹介しますので、
もうちょっとだけお付き合いくださいね~♪

北九州大満喫の旅その14:戸畑の昼ごはん

2011年01月22日 23時32分06秒 | たびろぐ九州。
若松から見た光景に惹かれ、戸畑に渡ってお目当てのビルをじっくり眺めた頃には、
しっかりお腹が空いてきましたよ(笑)。
どこかでお昼ごはんを食べようと、駅の方へ向かって歩いてみることにしました。
ここ戸畑には、「戸畑チャンポン」なるご当地名物があるっていうのを、
出かける前にチラッと聞いていたので、気になってたお店へ行ってみたところ、



お休み~。



やー残念。さてどうしよう??と途方に暮れながら歩いていると、
道の向こうにヒラヒラたなびく暖簾を発見。とりあえず近付いてみると、




みそギョウザ??なんか気になる。
入口の脇にあるメニューが書かれた看板に「ちゃんぽん」の文字もあります。
駅の反対側へ行くのも億劫だったので、こちらのお店に入ってみることにしました~。

とにかくみそギョウザが気になったので、注文してみることに。
気さくなお母さんが、皮も自家製なのよ~、と言ってたのでちょっと楽しみ♪
で、こんがり焼かれてやってきたのがこちら。↓


コロコロっとしてる餃子たち。なんかこう、ちょっと揚げパンのような雰囲気です。
みそギョウザのみそって、味噌を溶いてつけるタレのことでした。
外はカリッと、噛むとモチッとしてる皮の中には、お肉多めの餡が入ってて、
味噌ダレとよく合っててなかなかのウマさ。これ、おもしろいなぁ。

写真撮っていいですか~?と聞くと、快くオッケーしてくれたお母さん。
旅の人?どこから来たの??と、いろいろ話がはずむはずむ(笑)。


来てくれた人に美味しいものをたくさん食べてほしい、という気持ちでご主人とお店をやってるんだとか。
わたしが頼んだ炒飯は、そんなお母さんの気持ちの入ったボリュームたっぷり炒飯でした♪


で、こちらがちゃんぽん。超具沢山!
戸畑チャンポンっていうのは、蒸し麺が使われててちょっと茶色がかった細麺が特徴だとか。
ここでも茶色い麺で、この麺がモチモチしてるのにコシが合って、
見た目よりもあっさり系のスープと合っててウマかったです。
何より、お母さんの話が楽しくて(笑)。こういうのが旅の醍醐味かもしれません♪

戸畑チャンポンの老舗のお店には、またいつか機会があったら行くとして、
この日の戸畑の昼ごはんは、心もお腹もいっぱいになりました~♪

さて、旅名人きっぷの行程もいよいよ終盤。最後はやっぱり未乗路線へと向かいます!

「その15」へつづく。

北九州大満喫の旅その13:今度は昭和レトロ

2011年01月21日 22時56分57秒 | たびろぐ九州。

若松から赤い橋を渡らずに、渡船に乗って戸畑までやってきました
ほんとに向こう岸がはっきりと見えるくらい近いので、あっという間の船旅。
もう1周してもいいかな、くらいの時間だったので、ちょっと物足らないような(笑)。
でも実は、ここ戸畑で見たいものを見つけてしまったので、そちらの方向へと急ぎます。
もうね、すぐそこに見えてるので、はやる気持ちを抑えつつ、あ、最後はちょっと走ったかも(笑)。
それがこちらっ。↓





ニッスイのビルのようです。間近で姿を見上げた瞬間、なんかよくわかんないけど感動(笑)。
実は若松の古い建物群から見えてたのです。向こう岸に見える建物にもう釘付け。
なんなんだ、あのビル???って思ったのがこんな光景。↓





海に浮かんでる様が、まるでなんかの要塞みたいじゃないですか。(子供の頃特撮モノ見すぎ)
どう見ても古そうな雰囲気だけど、でもここ(若松)辺りにある建物よりは新しそう??
それに、あれっていったいどんな形をしているんだろう??と興味津々。
これは絶対、戸畑へ渡って近くで見てみたい!と思ったのでした。


で、真正面から見た全景。釣りをしている人に混じって、なぜかビルの写真を撮るわたし(笑)。
この建物、道の角に沿って「く」の字の形をしているんですね。
そして、ちょうど「く」の先端がスパッと切られていて、正面の玄関部分になってます。
なんだか不思議な立体感があったのは、そのせいだったのか。
屋上のドーム型の上のアンテナのようなものが、より古めかしさを出しているような雰囲気。


ファサードの2階と4階部分が扉になっていて、外に出られるようになってるけど、
いったいどんな使い方をしていたのでしょう。
洞海湾や若松港が一望できる場所だけに、なにか物見櫓的なものだったんだろうか。
縦に走る柱が無骨な感じを醸し出してて、ちょっとぶっきらぼうな雰囲気ではあるけど、
こういう建物は個人的に好きです。
気になったので調べてみると、昭和初期、戦前に建てられたもののようです。
少し前に若松で見てきた建物よりは、後輩に当たるんですね。


正面玄関には「日本水産株式会社戸畑支社」と書かれていましたが、
もう今では撤退していて、関連会社やテナントが入っているようです。
それでも大きく屋上に社名が掲げられているのは、若松や戸畑の栄えた頃の名残かもしれません。
戦前の貴重な建物だけに、できれば少しでも永く現役で残っていってほしいなぁと思います。


ビルの裏側から見てみると、なるほどやっぱり「く」の字ですね。
妻側を見て思ったけど、意外と厚みのある建物なのにはビックリ。
大正時代に造られた、柱に細かい装飾が施されているような洗練された造りではないものの、
重厚でちょっと不器用な感じ(なんて勝手に言ってすみません)のこのビル、
すぐそばで見ることができてほんとによかったです。
戸畑から渡船に乗ってたら、もしかしたら気付かなかったかもなぁ。
若松に渡ってから「あんなビルがあったのーー!?」なんてことになってそう(笑)。
こんなビルに出会えたのも、旅名人きっぷのおかげですね~♪

「その14」へつづく。

北九州大満喫の旅その12:洞海湾を渡る風

2011年01月20日 21時54分00秒 | たびろぐ九州。

若松のレトロな建物を見ながら、若戸大橋に向かって歩いていると、
またまた古い建物に出合いました。門柱には「上野ビル」の表札が。
増築されたのかツギハギ感はあるものの、こちらもかなりの歴史を感じます。
この左手には、三菱のマークの入った蔵が建っていて、そちらも古そうだったなぁ。
ここ、帰ってきてから調べてみたら、大正時代に建てられた旧三菱鉱業若松支店のビルだそう。
なるほど、それでスリーダイヤモンドも納得。
よく見ると、窓枠が鉄枠のままの部分があったりするところがすごい!


上野ビルの先には、これまたとってもかわいらしいタイル貼りのビルを発見。
若戸大橋のすぐ真下に建てられていたこのビルは、「杤木ビル」といって、
1920年、大正9年に竣工された鉄筋コンクリート造りの建物。
白と赤のタイルで施されたかわいらしい装飾が、
落ち着いた色合いのタイルの中のアクセントになってるところが素敵です。
入口に出ていた看板を見ると、1階に美容院が入っていたみたい。おしゃれでいいですね。
このビル、もしももう少し背が高かったら、
もしかしたら若戸大橋ができるときになくなってしまったかもしれないってくらい、
すぐそばに橋脚が、すぐ上に桁があるんですよ。残ってよかったなぁ。

若松の古い建物がいいなぁと思うところは、造られたものが整然と並んでるわけではなく、
ほんとに自然に、それこそ大正時代からあったその場所できちんと残っていて、
いまでも現役で利用されているということ。
歩いていてふと遭遇するというか、その発見自体を楽しむことができたのがよかったです。

さて、ここまで来たからには、橋の向こうの戸畑地区まで行きたいと、
杤木ビルからちょっと戻って向かったのがこちら。


若戸渡船。戸畑と若松を3分で結ぶ海上路線です。
あれだけの大きな吊り橋を渡っていくのももちろん楽しそうだけど、
せっかく航路があるのなら、ここはやっぱり公共の乗りものでしょう~♪


ちょうど、向こう岸の戸畑から、こちらの「くき丸」がやってきました。
そう、戸畑の乗り場が若松から見えるほど近いのです。
橋はできても、この渡船を利用している人は多いんですね。
地元には欠かせない、大事な交通機関なんだなぁ。


戸畑から渡ってきたお客さんが降りて、いよいよ乗船!
券売機で100円のきっぷを買って、乗り込みます。
洞海湾を渡る小さな船、たとえ短い時間でもワクワクする船旅です♪


若松の街が、あっという間に小さくなっていきます。
短い滞在時間だったけど、けっこう楽しかったなぁ~♪
あ、旅の途中で投稿した「生茶」は、この渡船のデッキからでした!(って答え合わせ遅っ!)


船は、若戸大橋の下をくぐるように進んでいきます。
そういえば、どこかでこんな感じの赤い吊り橋を見たような気がするんだよなー。
あ!思い出した!平戸大橋!!
あの橋も朱色が青空に映えててきれいだったなぁ。ここもいつか車で渡ってみよう。

この若戸大橋は、建設当時日本の長大橋の先駆けだったそうです。
ここから、明石海峡大橋や関門橋へと技術が受け継がれていったんですね。


風がとっても気持ちよくて、もっと乗っていたい!と思っているうちに、
もう戸畑へ到着。ほんとにあっという間の船旅でした!(笑)
くき丸を降りて振り返ると、ファンネルマークに北九州市の市章が。なんかかわいい♪
お世話になった渡船に別れを告げて、ちょっと気になってた方向へと歩いてみました。

「その13」へつづく。

北九州大満喫の旅その11:レトロふたたび

2011年01月19日 23時57分06秒 | たびろぐ九州。

JR筑豊本線、愛称「若松線」に乗って、終着若松駅までやってきました。
駅のすぐそばが海という若松、ここにあった港から昔々石炭が運ばれていったんですね。
そんな海を見てみようと、駅から少し歩くと、うわーっ!すごく立派な赤い吊り橋が見えてきました!
対岸の戸畑地区に架かる、その名も「若戸大橋」。若松と戸畑を結ぶ橋です。
橋好きのわたしとしては、その立派さに思わず見惚れてしまった(^^;;


引き寄せられるように橋の方向へ歩いていくと、ちょっといい雰囲気の建物群が見えてきました。
旅の始まりで訪れた「門司港レトロ」は全国的にも有名だけど、
ここ若松にも、レトロな建物が見られる地区があるんですねー。
この海へ続く石段は、石炭が海上輸送されていた頃に使われていたという「弁財天上陸場」。
まさにここで、若松まで鉄道でたどり着いた石炭の積み込みが行われていたんですね。
この石段の両脇に、大正時代に造られたという「常夜灯」がありました。
昼も夜も関係なく荷役作業が行われていた、賑いの証かもしれませんね~。


上陸場の石段の隣には、「旧ごんぞう小屋」と呼ばれる観光用の休憩所がありました。
これは、かつてこの場所にあった詰所を模して造られたものだそうで、
なるほど、周りの歴史を感じる建物とピッタリ合ってる、いい雰囲気の建物でした。
「ごんぞう」というのは、石炭の積み込みをする荷役人のことだそう。
最盛期には、ごんぞうが若松に4000人もいたんだとか!ものすごい場所だったんだなぁ、若松って。
「安全第一」ってのがいいですね。荷役作業には危険も付き物だったんだろうし。


そのまま進んでいくと、これまたいい雰囲気の建物を発見。
近付いてみると「石炭会館」という表札が掲げられてます。おおっ!さすが石炭の積出港だ!
入口の白い柱や、雨避けの2階部分が小さなバルコニーっぽくなってるところなど、
細かいところの装飾が、シンプルだけど素敵でした。こういう建物大好き♪

と、そんな石炭会館の前で、ヒラヒラたなびいているものを発見。





クロワッサン???

なんで石炭会館でクロワッサンなんだ??と思ったら、


なんと、こちらの建物の1階にクロワッサン屋さんが入っていたのです!
しかも、平日だというのにお客さんがひっきりなし!けっこう有名なお店??
ここ、「三日月屋」というクロワッサンの専門店だったんです!
古い建物とクロワッサンが、これまた妙に合うんですよ!(え?)
建物の中に入れる~♪と、甘いモノが食べれる~の一石二鳥で(笑)、もちろんゲット!


とりあえず、やっぱり初めて食べるんだから「プレーン」と定番の「チョコ」を買ってみました。
パリッとしてて、モチッともしてて、あっさりとした甘さでウマかった~♪
オーブントースターで温めても美味しいそうです。やってみたかったなぁ。

と思ってたら、帰ってきて近所のデパートの九州物産展にて再会!やったー!!(笑)
もちろん、トースターでチンして食べました。ウマかった!!


石炭会館から少し進んだところに、思わず「かっこいい!!」と叫びたくなる建物発見!
旧古河鉱業若松支店の建物だそうで、なんと大正7年に造られたもの!!!
この赤いレンガと石造りのストライプがかっこいいじゃないのー♪
入口脇や柱に使われている石に施された飾りが、とにかく美しくて素敵なのです。
この建物、中を見学することができるので、見せていただきましたが、
階段の手すりの装飾も見事だったし、いろいろ細かく見てても飽きないくらいに素晴らしかった。
こういう建物が残ってるってうれしいですね。その土地の歴史を見ることができるから。
この左隣にマンションがチラッと写っていますが、ここにも以前は大正時代の建物があったんだとか。
こちらは数年前になくなってしまったそう。できれば並びで見たかったなー。残念。


1本裏の通りへ入ってみると、細い路地の向こうにそびえ立つ赤い橋が見えました。
その迫力ある姿を見ていたら、せっかくここまで来たし、戸畑へ渡ってみたくなりました。

「その12」へつづく。

北九州大満喫の旅その10:石炭レールロード

2011年01月18日 17時14分00秒 | たびろぐ九州。

田川後藤寺駅のすぐ近くで素敵な建物と遭遇した後、
平成ちくほう鉄道「糸田線」&「伊田線」を乗り継いで、直方駅まで戻ってきました。
へいちくの旅も、ここでおしまい。
ここからはJR「筑豊本線」で、まだ見ぬ終着駅を目指します!
直方駅の階段のとこで見つけた、この「笑顔花咲く 筑前の国」ってフレーズが素敵だったなぁ。
そんな直方駅では、ちょうどこのとき(昨年の5月)ホームで工事が行われていました。
その工事とは別かもしれないけど、直方駅周辺の整備計画があるらしく、駅舎の改築も予定されてるとか…。
ということは、博多駅から移築されたという明治時代から現存するあの駅本屋も、
車寄せの美しい柱も、近い将来見ることができなくなってしまうのだろうか。
建築史上、価値の高い建物だけに、うまく生かして残してもらえたらいいなぁ…。


そして、ここから乗ったのがこちらの真っ黒いお顔の817系。
以前、博多から篠栗線~筑豊本線でお世話になったときと同じ車両です。
筑豊本線は、篠栗線との分岐駅「桂川」駅から「折尾」駅間が電化されていて、
「桂川」-「原田(はるだ)」間と「折尾」-「若松」間が非電化という路線。
直方は電化されている区間なので、こちらの電車が走ってます。


そして、電化区間の終点、鹿児島本線との立体交差駅「折尾」に到着。
0系新幹線とのサヨナラのときに降り立って以来、この駅舎とは久々の再会となりました!
いつ見ても素敵な木造駅舎。淡いピンクの壁と青い空と白い雲。絵になります♪
ただ、ここ折尾も駅が高架化されるため、この風景もいずれ見られなくなるんですね。
すでに工事は始まっているのかな。駅本屋は移築されて保存される予定らしいけど、
少しずつ街の景観が変わっていくのは、時代の流れとはいえちょっと寂しい。
工事の前に、またこの駅舎を訪れることができて、間に合って本当によかったです。


そんな折尾駅の1番ホームに、ひっそりと佇むこちらのお店。
前回来たときにもすごく気になったんですが、「理容 おりお」の看板。
なんとここ、エキナカにある床屋さんなんです!「おりお」が琺瑯の駅名板みたいでかわいい!!
この奥にある小さな建物の入口には、「JR職員 折尾駅構内 福祉理髪所」との表札が。
JRの職員さん用のようですが、一般の人も利用できるのか?すごーく気になります。
でも、この床屋さんも高架化でなくなってしまうのかな。味のある垣根がいい雰囲気なんだけどね。


この床屋さんがあるホームが、次の目的地への旅の始まり。
前回は乗ることができなかった非電化区間「若松線」の愛称で呼ばれる路線の終点、
「若松」駅が次の目的地!こちらのディーゼルカーで終点を目指し、


折尾から20分ほどで、ここ若松駅に到着。
これで、筑豊本線の未乗区間は、桂川-原田間の「原田線」を残すのみとなりました~。


すっきりとした広く長いホームが、いかにも終着駅らしい雰囲気。
この駅、ホーム脇の敷地がとにかく広いのです。


駅舎の屋根上に電話番号が表示されてるのってかなりめずらしい気もしますが、
この駅、かつては石炭輸送で賑わった駅だそう。
筑豊の産炭地から若松港へと運ばれる鉄路として生まれたのが、この路線の始まり。
その頃の多くのレールが敷かれていた土地が、駅の隣に大きく残っていました。


そこにある公園にあった、「若松駅操車場跡」という記念碑。
明治24年に若松駅開業と同時に建設され、最盛期には年間約1千万トンもの石炭が運ばれ、
旧国鉄時代には、日本一の貨物取扱駅操車場だったそうです。
駅のすぐそばに、大型のマンションが何棟も建っているのを見ましたが、
その辺りから、隣の藤ノ木駅近くまでが操車場の敷地だったというからビックリ。
当時の規模の大きさが想像できます。


そんな操車場跡地は、いまはその頃の喧騒が嘘みたいに静かに風が吹いていました。
そこに佇んでたこちらの機関車。9600型。愛称クンロク。
大正6年に貨物用機関車として生まれ、昭和48年にここ若松機関区で引退したんだそうです。
このクンロクは、若松の栄枯盛衰を見てきたのでしょうか。
55年間走り続けたクンロク。最後の地でこれからもノンビリ若松の街を見守っていってほしいです。

さて、いつものごとく「即折り返し!」はせずに(笑)、
ここ若松で見たいものがあったので、そちらへ向かってみることにしました!

「その11」へつづく。

北九州大満喫の旅その9:会館のある街

2011年01月16日 00時43分08秒 | たびろぐ九州。

さて、ほんとにどんどん書いていかないと、ほんとに永遠に追いつかなくなりそうなので、(^^;;
昨年5月(!)の北九州レポの続き、書いていきたいと思います。

小倉駅からJR日田彦山線に乗って、「田川後藤寺」駅で途中下車。
この田川後藤寺駅、JRと平成ちくほう鉄道「糸田線」が乗り入れしています。
通称「へいちく」といえば、最初に「直方」駅から「田川伊田」まで乗った「伊田線」、
「田川伊田」から「行橋」まで乗った「田川線」のほかにもうひとつ、
ここ「田川後藤寺」から伊田線の途中駅「金田」までを結ぶ「糸田線」の3路線があるんです。
旧国鉄だった3路線を、へいちくが引き継いだんですね。(よろしければこちらの路線図参照)
最後の1路線、「糸田線」に乗るため、ここで途中下車したというわけです。


乗り継ぎまでちょっと時間があったので、駅の付近を歩いてみることにしました。
駅前をほんの少し行くと、ちょっといい雰囲気のアーケードを発見。
この「銀天街」って響き、あちこちで見かけますがけっこう好きです。
どんな感じかな?と気になったけど、郵便局へ行きたかったので後ほど歩くことに。

で、交差点に出て信号待ちをしているとき、ふと右手に目線をやると、



わー!!なんか素敵!!
明らかに歴史を感じる建物との遭遇。
道路の曲線と並行に建てられた、滑らかに弧を描く壁の形状、
2階部分の細かいタイル張りの壁の下部には、
明り取りなのか格子状の装飾が、無骨ながらもいいアクセントになってて、
思わず立ち尽くしてしまった。あ、ここってバスターミナルなんだ。


吸い込まれるようにして中へ入ってみると、バスを待つ人々がベンチに座ってます。
ああ、それにしてもいい雰囲気。間違いなく現代なのに、いつの頃からか時が止まっているような空間。
ここからバスに乗って、どこかへ行きたい衝動に駆られます。

それにしてもこの建物、かなりの年季を感じたんですよね。
いったいどんな建物なんだろ?と全体を見たくて建物に沿って歩いてみると、



わー!!「ターミナル会館」って書いてある!!
この字体といい、壁の煤け具合といい、炭鉱で栄えてた頃に建てられたのかもしれない。
とにかくいい雰囲気なのです。いいな、こういう感じ大好きです。

すごく気になったので帰ってきてから調べてみると、
この2階部分には、平成の初めくらいまで映画館があったんだそうです。
そうか、だから「会館」って名が付くのかも。
いまはいったいどうなっているんだろう。どこに上がるとこがあったんだろう。
こんなことならクマなく見てくればよかったー。(悔)


そんなことをまだ知らないこのとき、ターミナル会館に入っていく西鉄バスのかっこよさに、
しばらく見惚れていたのでした。
あー!銀天街見る時間がなくなったー!!


へいちく糸田線の発車時間が近付いてきたのでホームへ行ってみると、


最初に直方から伊田線に乗ったときの車両、ちくまる号がいました。今回は縁があるね♪


もうすぐ発車時間だって言ってんのに、駅前のケーキ屋さん「さかえや」さんが気になって、
こちらの「よつ葉のシュー」を買っちゃいました。旅のお供に♪


おやつの時間には全然早かったけど、早速いただいてみましたよ♪
カスタードクリームと生クリームの2層タイプで、これがちょうどいい甘さでウマかった~☆
これだったらいくつでも食べられそうなイキオイです。朝っぱらから甘いモノでも全然大丈夫でした。
(って、それはわたしが単純に甘いモノに目がないからか??(^^;;)


車窓をノンビリと眺めているうちに、糸田線の終点でもあり、伊田線の途中駅、
「金田(かなだ)」に到着です。これにて「へいちく」全線完乗!
ここで、あまり完乗の余韻に浸る間もなく(笑)、接続している伊田線へ慌しく乗り換えです。


列車は、あっという間に金田駅を離れていきます。
あ、へいちくの車庫って、ここにあったんだなぁ。ちょっと懐かしいお顔も見えました。
あの車両は、普段走ってるんだろうか。せっかくだから乗ってみたかったです。


そして、最初に直方からへいちくに乗ったときに渡った、あの「嘉麻川橋梁」を渡り、


終点、直方駅に到着。伊田線の起点「0キロポスト」がお出迎え。
これで、2日に渡ってグルーッと一周回ってきたことになります。なんか不思議な気分だったなぁ(^^;;
旅名人きっぷ、このあともまだまだ活躍していきますよ~。

「その10」へつづく。

北九州大満喫の旅その8:炭鉱路線の車窓から

2010年12月19日 23時43分34秒 | たびろぐ九州。

では、北九州レポのつづき♪

夜の小倉ですっかりくいだおれた翌朝、小倉駅から旅名人きっぷを満喫することに。
ところで、これが2日目の朝。今回のレポも長期連載となりそうです(^^;;


ホームにいたディーゼルカーは、こちらのサボの通り「日田」駅行き。
というわけで、2日目はJR日田彦山線の旅から始まります!
今回、わたしにとって初めての日田彦山線。どんな車窓が見れるのか楽しみです。


日田彦山線は、小倉から日豊本線で3つ目の駅「城野」が起点で、そこから分かれていきます。
しばらくして、おおっ!いい雰囲気の駅舎だなぁ~と写真に収めたのが、こちらの「石原町」駅。
ほんとはもっと引きで撮りたかったですけど、車内からだから仕方ない(^^;;
この駅舎、開業当時からのもののようです。なるほど、歴史を感じます。
駅名板も国鉄時代の九州ならではの懐かしい仕様だし。一度降りてじっくり見てみたい駅舎です。


お隣の「呼野」駅では、懐かしいスイッチバックの線路跡を見ることができました。
レールは剥がされてなくなっていたけど、当時のまま残されたホームはちょっと切なげでした。


列車が進むにつれ、見えてきたのが香春岳。
香春岳、というのは総称だそうで、3つの山からなる連山なんですね。
石灰採掘のために削られたこちらが一ノ岳で、登山が禁止されている山なんだそうです。
この姿を見て、秩父の武甲山を思い出しました。


もともと日田彦山線は、この香春岳や平尾台から産出される石灰石や、
この先の添田地区で採れた石炭などを運ぶための輸送手段としてできた路線なんですね。
上で出てきた「石原町」駅も、かつてはセメントを積んだ貨車で賑わったんだとか。
こういう光景も、納得の車窓という感じです。


「採銅所」という、これまたいかにもといった雰囲気の名の駅の次に停まったのが、
ここ「香春」駅。ここからはかつて国鉄「添田線」という路線が、
同じ日田彦山線の「添田」駅まで走っていたんですが、かなり早い段階で廃線になった路線。


線路の脇に緑が生い茂ってたこの辺りに、添田線の線路があったんじゃないかなぁ?
と思いながら写真を撮ってみたけど、真相はいかに。
廃止になってかなり時間が経っている路線は、その痕跡を見つけるのが難しそうです。
でも、いつかじっくり歩いてみたいな。


そして、列車は前日に「へいちく」に乗ってやってきた「田川伊田」に到着。
いつものことながら、なにを行ったり来たりしてるんだか(笑)。
向こうに見えるホームに昨日いたと思うと、なんだか不思議な気持ちになりました(^^;;


でも、日田彦山線に乗っててよかった。
前日は時間がなくて行けなかった、伊田竪抗の二本煙突と竪坑櫓を、
車内からチラッとだけど見ることができました~。でもここは、食堂とともに宿題!


そして、小倉から約1時間ほどで、ここ「田川後藤寺」駅に到着です。
今回は終点日田まで行かずに、日田彦山線の旅はここでおしまい。
残りは次回の旅にとっておいて、ここからは別の路線に乗り換えです。
でもその前に少しだけ駅前散策。ここでまた歴史あるものと出会いました。それは?

「その9」へつづく。