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はるかのひとりごち。

のんびりと旅レポお届け中~。

残りのきっぷで夏の九州'10 その11:昼ごはんは日田名物

2011年06月05日 23時02分48秒 | たびろぐ九州。
田川後藤寺駅から日田彦山線に乗り、「日田」に着いた頃にはお腹ペコペコ(笑)。
朝、博多を出てからずっと列車に揺られてきただけなのに、ちゃーんとお腹は減るんですよねー(^^;;
この辺りではいちばん大きな駅の日田の街を、せっかくここまで来たので散策することにしました。
この2階建ての日田の駅舎、いかにも国鉄っぽい感じがいいですね♪

日田市内へ行くにはちょっと距離がありそうだったので、駅前のレンタサイクルを借りて出かけます!
とりあえずは昼ごはん!と自転車を走らせ進んでいくと、きれいな街並が見えてきましたよ。
そこで見つけたのがこちらのお店。ラーメン屋さんのようですが、
気になったのが店先にあった黒いノボリ。


写真じゃひっくり返ってますけど(笑)、なにやら「やきそば」の文字。
やきそばといえば富士宮や横手など数あれど、ここ日田にもご当地焼きそばがあるんですね!
ここまで来て、食べないわけにはいきません(笑)。というわけで、ドキドキしながら入ってみました♪

店内はこじんまりとしていて、テーブル席がひとつ?と小さな小上がりにひとつ、
そしてカウンターといった感じ。お昼時でけっこう混みあっていたので、カウンターへ。
そして、お目当てのやきそばがやってきました♪



ドンッ!

いやぁ、これがけっこうボリューミー!!
具のメインはもやしさんでしょうか。お肉も入ってましたが、とにかくすごい迫力。
いただいてみると、ガッツリいくにはちょうどいいくらい、麺がしっかりとした食感で、
ソースもちょうどいい絡み具合で、腹ペコにはピッタリの昼ごはんでした~♪
で、うちの同居人はなにを頼んだのかというと、





やきそばライス

これって!!主食に主食じゃないかっ!!(笑)
どんだけガッツリいけば気が済むのだよ、というくらいボリューミーでありました。
もちろん、ペロッと完食(笑)。いきなりそのボリュームにやられた日田の昼ごはんでした(笑)。

「その12」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その10:夜明けまで

2011年06月02日 21時43分07秒 | たびろぐ九州。

さてさて、新飯塚からJR後藤寺線で4ヶ月ぶりの田川後藤寺駅のホームに降り立ったわたしたち。
ここでもまたもやピタピタの接続で、こちらの黄色いディーゼルカーに乗り換えです。
ここからは、「残りは次回の旅にとっておこう」と宿題にしておいた「JR日田彦山線」の旅の続き。
まさかこんなに早く再訪するとは思ってもみなかったけど(笑)、きっと縁があるってことだよね♪
旅名人きっぷ、ここまで寄り道ナシで大活躍しております(笑)。


しばらくは車内混雑していて、なかなか自由に写真を撮れる状況じゃなかったんですが、
かつてJR上山田線の終着駅だった「豊前川崎」駅を過ぎ、
前回の旅でチラッと触れた、同じ日田彦山線の「香春」駅から分岐していた旧国鉄添田線の終着駅「添田」を過ぎ、
3年ほど前に新しく誕生した、道の駅超最寄駅の「歓遊舎ひこさん」を過ぎた辺りの車窓が素敵でした。
真夏の暑さではあったけど、稲刈りの始まる時期でもあったのね。
ほんの少しだけ、秋の気配を感じたりして。いいねぇ、こういう牧歌的な風景。


そして列車は、「彦山」駅に到着。霊山「英彦山」の入口の駅ですね。
英彦山神宮の赤い柱を模した木造駅舎は、大きく広がる赤い屋根が見事。
ここはできることなら外に出て、ゆっくり駅舎を見たくなる駅です。
ここに限らずではあるけど、日田彦山線も素敵な木造駅舎の路線だったんですよね。
いまでは解体されてしまったり、新しく建て替えられたりしている中、
彦山の駅舎は開業以来の姿をいまも残してるんだとか。このままずっと残ってくれるといいなぁ!


駅舎が雄大なら、景色も雄大。高台から見下ろす車窓に心が洗われる思いでございます。
こうやってノンビリ眺めることができるから、鉄道の旅はやめられないのよね。


しばらく走ると、なにやらホームにハタハタとはためくなにかがある駅に到着。
あれってどう見ても、


黄色いハンカチ。

だよねぇ。なんでこんなとこに???まるで夕張みたいじゃないの。
気になったので、帰ってきてから調べてみたら、
「幸せの黄色いハンカチ」にご出演されていた高倉健さんのお父様がその昔、
ここ「大行司」駅のすぐそばにある宝珠山炭鉱で働いていらっしゃったそうで、
健さんも幼少の頃に、この駅を利用されていたことがあるってことで、
このような黄色いハンカチを飾ったんだとか。なるほどそれでなのね。
この写真を見るとなんとなくわかるんですけど、ホームが高い位置にある駅のようです。
下にある駅舎や駅前の広場に、思わず降りていきたくなるなぁ。いつかまた訪れたい駅です。


お隣の「宝珠山」駅に着いてビックリ。ここ、九州で唯一の「県境の駅」なんですねー!
ここまでは福岡県、いよいよここから大分県へと入ります。
やー、この日の朝、博多を出て3時間。ほぼ列車に揺られっぱなし。っていつものことか(笑)。
で、ホームの途中に県境があるってことは、そのしるしが何かしらあるはず。
ということで、去り行くホームに目を凝らし、撮影準備オッケー!!
撮るぞー。撮るぞー。まだかな?もうちょっとかな??えいっ!!


パシャッ!



早かったー!

たぶんね、目印の標はちょうどこの横くらいにあったんじゃないかと思う(笑)。
カメラが次のシャッターチャンスに復帰する頃には、はるかかなたへ。残念!!


そして、お隣の「大鶴」駅の駅名板には「大分県」の表示が。
いよいよこの列車の終点と、日田彦山線の旅の終わりが近付いてきました。


今山駅を出て、しばらく走ると、進行右手からJR久大本線の線路が見えてきました。
そして列車は、


「夜明」駅に到着!黄色い列車は「日田」行きですが、ここ夜明までが日田彦山線なんです。
というわけで、前回の旅の「城野」-「田川後藤寺」間の乗車も含め、今回で完乗!!


夜明から久大本線に乗り入れた黄色い列車は、
田川後藤寺から1時間10分ほどで、終点「日田」駅に到着です!ああ、やっとここまで来たぁ。
このままのイキオイで、久大本線制覇!!といきたいトコですが(笑)、
せっかくなのでここでいったん鉄路から離れ、街歩きをしたいと思います♪
しかし、列車に乗ってるだけなのに、お腹が空いてくるのはなぜだろう??(笑)

「その11」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その9:工場横断

2011年05月26日 21時38分27秒 | たびろぐ九州。

最後に残していた原田-桂川間でJR筑豊本線を完乗したあと、
息つく間もなく、同じく筑豊本線の黒いお顔の電車に乗り換えです。
お隣のホームには、先ほど乗ってきた気動車が、折り返し原田行きとなって停まってます。
そして、直方方面へ向かう列車に乗り、降りた駅が、


「新飯塚」駅。ここから本日2つ目のお目当て路線「JR後藤寺線」に乗り換えて、「田川後藤寺」駅を目指します!
田川後藤寺といえば、前回の旅で訪れた「ターミナル会館」のあった駅。志免同様、リンクしまくってます(笑)。


新飯塚を出て、「上三緒」駅の次に停車したのがここ「下鴨生」駅。
ここは、国鉄時代に廃止となった「漆生(うるしお)線」が分岐していました。
元々は石炭専用の「赤坂」という名の駅だったこの「下鴨生」駅は、
漆生線に本家(?)の「鴨生」駅があったので、「下」をつけて改称されたそう。
それがいまでは、「下」の付くほうだけが残ったという、ちょっと切ないお話。
この辺りは「その1」で触れた「勝田線」といい、たくさんの路線が複雑に入り組んでいましたが、
その多くが廃止となりました。三セクに転換した「へいちく」のように残った路線もあるけど。


お隣の「筑前庄内」駅を出た辺りで、ふと窓の外を見ると、山が削られてるー!!
慌てて、列車の後方から車窓を撮影してみました。
そういえば、前回の旅で日田彦山線から見えた香春岳も削られてたなぁ。


そのうち、線路を取り囲むように縦横に走るベルトコンベアが見えてきました。
この路線、セメント工場の中を突っ切って走ってるんですね。周りの道路も真っ白。
車が通ったら、粉が舞いそうだなぁ~。
普段見たことないような機械もたくさんあって、そういうのキライじゃないので興味津々(笑)。


そして列車は「船尾」駅に到着。バックにはセメント工場の機械たちが聳え立ってます。
日田彦山線で見た景色より、すぐそば、というより工場の敷地を横断するように走る後藤寺線。
この付近を走っている路線のほとんどがそうですが、ここもまたかつてのセメント輸送で始まった路線。
炭鉱や石灰石鉱山の閉山に伴い、漆生線など多くの路線が消えていったのも時代の流れなんだろうか。


周辺のセメント工場は次々に閉鎖されているそうです。
こうした車窓は、この土地を、日本の産業を垣間見れる大事な景色かもしれません。
削られてしまった山のためにも、地元のためにもがんばってほしい気がします。


そして、前回の旅から4ヶ月ぶりに再訪となった、終点「田川後藤寺」駅に到着!
これで「後藤寺線」も完乗となりました~♪
20分ほどの短い旅でしたが、貴重な車窓を見ることができた旅でした。
旅名人きっぷ、まだまだこの後も大活躍します!

「その10」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その8:最後の未乗区間

2011年05月23日 10時34分32秒 | たびろぐ九州。

さあ、いよいよ旅も3日目に突入。やっとタイトルの「残りのきっぷ」の登場です!
「その1」でも書きましたが、(←っていったいこのレポ何ヶ月かかって書いてんだ?(^^;;)
前回の旅で残った、JR九州「旅名人の九州満喫きっぷ」の2回分を最終日に使って、
フルに九州の鉄道を堪能しようというわけです!(ここまで長かったー(笑))

前日の晩に美味しい博多餃子を堪能し、
3日目の朝は、博多からこちらの赤いの(赤いのって雑(^^;;)からスタート。
荒尾行きの快速列車に乗り、35分ほどでたどり着いたのが、


原田駅。「はらだ」と書いて「はるだ」と読みます。
ここから、「原田線」と呼ばれるJR筑豊本線の未乗区間、「桂川(けいせん)」まで向かいます。
(よろしかったら、こちらの路線図参照(pdf))
桂川-吉塚間の篠栗線の開通によって、本数が減った単線のこの区間。
以前、サヨナラ0系の旅で、篠栗線経由で折尾まで乗車したときと、
前回の北九州の旅で非電化区間の折尾-若松間は乗車済なので、
筑豊本線残すところ最後のこの区間が、今回の九州満喫きっぷ最初の目的となりました。


乗り継ぎの時間があったので、外へ出て駅舎を眺めてみましたよ。
2000年になる前に、いまの近代的な建物に改築されたそうですが、
それまでは味のある木造駅舎だったそうです。その頃に来たかったー!
駅舎の中にはちょっとしたホールがあって、そこに展示されていた写真を見てビックリ。
あ、ここに来る途中で見た橋が!


原田に到着する直前、こちらのレンガ造りの橋が見えたんですが、
あっという間のできごとだったので写真に収められずじまい。
ここにあった解説によると、旧九州鉄道城山(きやま)三連橋梁といって、
九州で最初に着工した区間の中で、最も古い時期に造られた橋なんだそうです。
今では市道に転用されているそうですが、明治22年竣工の赤レンガ造り三連アーチ橋!
国の登録有形文化財に指定されている、いまでも現役の立派な橋なんですね。
鹿児島本線を走ってるとき、何度か見てるはずなんですけど、今回改めて気が付いた。
これは一度、ゆっくり見に行きたいなぁ!


そうこうしているうちに、桂川へ向かう列車の発車時刻が迫ってきました。
連れてってくれるのは、こちらの気動車。以前、三角線でもお世話になりました。
0番のりばより発車です。


走り出して、「筑前山家(やまえ)」駅を過ぎた頃に、なんだか気になる車両たちを発見!!
あわてて撮ったので、はるかかなたになってしまいましたけど、なんかすごいっ。
右端にチラッと見える白い車体は、もしやかまぼこっ???うれしい発見でした!

筑前山家を過ぎると、列車はどんどん勾配を上っていきます。
とにかく長いトンネルを過ぎると、今度はどんどん下っていきます。
気が付くと、窓の外が結露してる。外が暖かくて湿度が高かったんだろうな。
「筑前内野」からは平坦なところを走り、窓の外一面の田んぼが広がっていました。


車窓には緑ギッシリ。雄大だなぁ。



そして、原田から35分ほどで終点桂川に到着。これにて筑豊本線全路線完乗!やったー!
と、その余韻に浸るヒマもなく、次のお目当て路線へ向かいます!

「その9」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その7:博多名物晩ごはん

2011年05月20日 22時00分22秒 | たびろぐ九州。

旅に出て、またもやレポの間が空いてしまいました…。というわけで九州レポのつづき!

軍艦島赤レンガ建造物と、ものすごく充実した長崎での1日を終えて、
前日の夕方に「4枚きっぷ」で長崎入りした残りを使い、博多へと戻ります。
「白いかもめ」に揺られて2時間、さすがに疲れが出たのか車中で爆睡。
気が付いたら博多駅でした。いやぁ、いま思い出してもよく寝た(^^;;
暑さで体力消耗した分を少しだけ取り戻せたその足で、晩ごはんのお店を探しに行きました。


博多駅からすぐのところをアテもなくウロウロ歩いていると、こんな赤提灯を発見。
なになに??手造り餃子??
おっ!博多といえば餃子ですよね??そういえば食べたことないぞ。というわけで、


こちらの「旭軒」さんに入ってみることにしました!
入ってみると、意外と広い店内。でもいい時間だったせいか、けっこう満席。
お座敷はいっぱいでしたが、かろうじてカウンターが空いていたのでそちらへ。
まず目に飛び込んできたのが、


カウンター上のお皿にてんこ盛りになってる手羽先!!
これ、食べたい分だけセルフでいただいていいんだそうです。
で、お会計のときに骨(銀紙?)を数えるんだとか。お値段1本90円!安いっ!
というわけで、


ビールといっしょにいただいてみましたよ♪
ちょっと固めですけど、味がしっかりついてて香ばしくてウマかった!!


そして、メインの焼餃子登場~♪
博多の餃子ってひと口サイズなんですよね。皮はパリッと、中はジューシー。
これならいくらでも入るって感じでウマかったです。けっこう好きな味。
タレを目の前にいる店員さんが小皿に注いでくれるのがうれしい(笑)。


わたし、個人的に水餃子っていうのはそれほどソソラレない存在で、
このときも「えー、どっちでもいいかなー」ではあったんですが、
同居人が、せっかくだから食べようよ、というので食べてみたところ、

ウマい( ̄∇ ̄)

やー、食べもしないで興味ないとかいってごめんなさい(笑)。
モチモチツルンとしてて、これまたいくらでも入りそうなイキオイ。(ゲンキン)
これだもんなー、と言われてしまいました。ごめんなさい(笑)。
駅近で美味しくて、安くてお腹いっぱいになれるなんて素晴らしい♪
大満足の博多の夜でした☆

「その8」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その6:発祥の地の赤レンガ

2011年05月06日 23時21分02秒 | たびろぐ九州。

さてさて、それでは九州レポのつづき。

大波止フェリーターミナルの食堂でお腹いっぱいになったあと、
わたしたちが向かったのが、今回の長崎訪問で行きたかったもうひとつの場所。
フェリーターミナルにいちばん近い「大波止」バス停から、長崎バスに乗って途中下車したのが、


こちらのバス停。「あくのうら」と読みます。
「三菱通り」という名が付いた通りに面しているこのバス停から、少し戻ること1分ほど、
いよいよ目的地に到着です。その場所というのが、


ここ。三菱重工業長崎造船所史料館
実はずいぶん前からこの建物に興味があって、いつか行ってみたいと思ってたんですよねー。
ものすごい強い日差しの中、入口で見学許可をいただき、いざ入館です。


とても立派な赤レンガの壁づたいに歩いていくと、巨大なタービンロータに出迎えられながら、
史料館の入口にたどり着きました。いやぁ、真っ青な空と白い雲に赤レンガが映えます。
この建物、明治31年に建てられたものだそうですよ。
三菱重工発祥の地の建物としては、現存する最も古いものだそうです。
元々は、鋳物工場併設の「木型場」として建設されたもので、
昭和60年に史料館として使われるようになったんだとか。
戦争の空襲や原爆の爆風にも耐えたこの建物に、歴史の重みを感じます。


史料館の中はとても広くて、ここ三菱で造られた機械や、船の写真など、
貴重なものがたくさん展示されてました。岩崎家の家系図や歴史などもあったし。
「龍馬伝」をチラッと見てたから、興味深いものがありました。


この長崎造船所で造られた船のほとんどの史料があったと思いますが、
その中のひとつ、この造船所の曳船として活躍した「真名鶴丸」の銘板。
なんと、竣工が大正4年!そして廃船になったのが昭和53年!!
64年に渡る活躍だったそうです。船ってそんなに長い間がんばれるんだなぁ、っていうのが素直な感想。


暑さでフラフラしながら、ありとあらゆる展示物を見てたんですけど、
中でもちょっと気になる存在だったのが、いちばん奥にあったこちらのクレーン、
東京石川島造船所製造のもので、大正4年製。
さっきの真名鶴丸といい、大正初期のものを目の前で見るって、なかなかできませんよね。
でも、この建物自体も明治のものなんだもんね。タイムスリップにも程がある(笑)。
これを使って、たくさんの船や機械を造り上げてきたんですね。


軍艦島といい、普段なかなか見ることができないものをたくさん見れて、
ちょっと知恵熱出しながら(笑)、長崎駅へと戻ります。
バス停に向かって歩いてる途中、道から入ったところに長く伸びる階段を発見。
というか、こういう脇道が普通にあちこちにあるんですよね。
これもまた、なかなか見れない光景だけに新鮮そのもの。
あまりにも素敵な階段だったので、思わず上がっていきたくなりました(笑)。


帰りはこちらの「飽の浦神社前」バス停から乗車。
この、ちょっと路面電車の電停っぽい感じがツボでした♪
もうひとつツボだったことといえば、バスが長崎駅方面へ右折したとき、
何の気なしに、いま来た方向へ向かう左折レーンを見たところ、
交差点を先頭に、8台連続でバス(笑)。バス8台だんごって!!どんだけバス王国!!(好)
前々から感じてはいましたが、改めて気付いたけど意外と長崎ってバス王国ですよねー。
乗りもの好きとしては、やっぱりたまらない街なのでした☆(話がちょっとズレた)

「その7」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その5:波止場ランチ

2011年04月29日 22時54分35秒 | たびろぐ九州。

今日から大型連休に突入ですね。
でも、毎年のことながら、GWはフツーに仕事→どこも行く予定なしの我が家。
というわけで、気分だけでも旅に出てるつもりで九州レポのつづき〜♪

念願だった軍艦島の上陸も果たし、長崎港へ戻ってくるとお昼をとっくに過ぎていました。
ウマいものアンテナを張り巡らしに、街中へ出てもよかったんですが、
この日、夕方には長崎を離れなくてはいけなくて、
その前にどうしても行っておきたい場所があったので、簡単に済まそうとなんとなく大波止フェリーターミナルへ。
そういえばここに食堂があったんだっけ、と2階の「ごはんや百番」さんへ行ってみました。

さすがにお昼をとっくに過ぎていたので、
ターミナルの端のほうにあるお店のスペースはガランとしていましたが、
すぐ食事が食べられそうだったので、この日のお昼はここに決定。
席に着いてのんびりしていると、できました〜の声(セルフのお店なんですね)。
これこれ、これが食べたかったんだよね♪


トルコライス〜♪

さすがご当地メニュー。フェリーターミナルの食堂にももちろんありましたよ。
カレーピラフの上に、トロトロのオムレツとデミソースのかかったトンカツが載っていて、
ナポリタンとサラダが添えられていました。
ワンプレートで大好きなモノが一度に食べられる、大人のお子さまランチ的メニュー♪
いただいてみると、このカツがミルフィーユ状になってるんですよ!
衣はサクサクだし、ジューシーでウマかったー☆
こんな近くに美味しいトルコライスが食べられるところがあってよかった!大満足。


そして、同居人はというと、こちらのフライ定食を注文。
白身魚・キス・イカのフライとクリームコロッケに生野菜とマカロニサラダ、
そこに冷奴にきんぴらとおしんこ、お味噌汁が付いて、なんと480円!!安っ!!!
やー、フェリーターミナルの食堂だからと侮ってはいけません。
ここ、離島へ行くときなんかにまた来てもいいなぁ〜。メニュー豊富だしいいですよ。


お腹いっぱいになったあと、同じフロアにこんなパネルがあるのを発見。
さっき行ってきた高島や端島とともに、以前訪れた「池島」を紹介するパネルがありました。
ああ、あの島もまた行ってみたいと思える島だったんですよね。
あのお店はどうなっているのかな、あのとき出会った人は??
また機会があったら行きたいと、ちょっと遠くの離島に想いを馳せてしまいました。


とにかくこの日はものすごく暑い日だったので、食後のデザートを探しに、
フェリーターミナルのすぐそばにあるショッピングセンター「夢彩都」でお買い物。
こちらの「ながさきアイス」をゲット。
もなかの中に、冷たいアイスが入ってるんですけど、暑い日だったからより一層ウマかった〜☆
すっかり涼んだところで、長崎であとひとつ、どうしても行きたかった場所へと向かいます!

「その6」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その4:念願の上陸

2011年04月21日 22時50分57秒 | たびろぐ九州。

またまた間が空いてしまいましたが、九州レポ再開です!

「その3」がすでに前のページに行ってしまったので、こちらからどうぞ~(^^;;

いったん、高島に寄り道したあと、いよいよ今回の目的地「端島」へ向かいます。
かつては炭鉱の島として栄え、1974年4月に無人島となった通称「軍艦島」。
35年の時を経て、2009年4月から一部地区ですが上陸が解禁となりました。
船が少しずつ、高島の住宅群から離れていきます。さて、これから向かう島に果たして上陸できるのか。

というのも、出発前にスタッフの方から言われたのが、
海が時化ていたり、波が高かったりした場合は、船を岸壁に着けることができず上陸不可となるそうで、
お天気がよくても、上陸できないことがいままでにもあったんだとか。
行ってみないとわからない、ってところがかなりドキドキです。
ここまで来たからには、できれば上陸したい…。


高島を発ってわずか数分、軍艦島と呼ばれる所以、軍艦「土佐」に似たその姿が見えてきました。
以前にもクルーズ船ですぐそばまでは行ったことあるけど、自分の足で島に立てるのか、緊張の一瞬。


天気に恵まれたので、いちばん高台にある幹部職員用の住宅や、端島神社の神殿がはっきりと見えます。
青い空と海、そして緑が生い茂る無人島。上陸まで、あと少し。


この辺りのエリアには上陸できないけど、軍艦島の建物群のなかで最初に目を引くのがここ。
右から端島小中学校、手前の低いのが体育館、
そして、その後ろにあるのが島でいちばん世帯数の多かった鉱員社宅65号棟。
10階部分に幼稚園が増築されています。よく目を凝らすとすべり台らしきものが確認できます。
社宅から左手にある「やまみち」へ抜ける通路が、船からもはっきりと見えます。


鉱場区域の手前にあるドルフィン桟橋が見えてきました。
以前クルーズ船で近付いたときよりも、接岸しやすいように改良されてます。
上陸の許可も下りました。いよいよ上陸!


桟橋から最初に目に入ったのが、石炭積込用の桟橋跡。
ほんの一部ではあるけど、いままで上陸禁止だった端島を歩ける日が来るなんて。
体調悪かったのもすっかり吹き飛んでしまいました。←ゲンキン


崩れた建物の間から見えるのが、貯炭ベルトコンベア跡。
なんかちょっと神殿のように見えるのは気のせい??


海から見えた幹部職員用住宅の下の壁が、少し緑色に見えます。
これ、端島ができた当時、植物がなかったために緑色に塗られたものなんだとか。
住民が離島して無人島になってから、緑の生い茂る島となるなんて。複雑。


これが第二竪坑入坑桟橋。ここから、石炭を掘るために地下深くの危険な現場へ、
たくさんの炭鉱夫の方々が降りていったんですね。
この日は突き刺すような暑さで、その日差しを遮る場所のない見学通路はキツかったけど、
目の前に広がる景色は、一瞬その辛さを忘れさせてくれます。


レンガ造りがひと際目を引くこちらの建物は、総合事務所として使われていたようです。
ここもまた、ギリシャの宮殿を見ているような気がしました。


見学通路をどんどん進んでいきます。この、いまにも吸い込まれそうな建物はなんだろう。
位置からすると、事務所と渡り廊下で繋がっていた会議室でしょうか。
採掘全盛期には、たくさんの人が行き交っていたんだろうな。


そして、いよいよ見学通路の終わりまでやってきました。
目の前に見えるのが、大正5年に建てられたという、日本最古のRC造の鉱員社宅。
なんと、今年で建てられてから95年ですよ。それがこうして現存しているのだからすごい。
すぐ左手に建つ31号棟は、昭和30年代に建てられたものですが、
島の周囲を囲む護岸のすぐ際に建てられていて、そこに住む過酷さを物語っていました。
見学エリアの柵のこちら側からしか見られなかったけど、
ここまで近付けただけでも十分満足できる、なんともいえない威圧感がありました。


見学エリアから振り返ったところにプールが。ここは海水のプールだったようです。
小中学校とは対極の場所にあるけど、子供たちが入りに来てたのかな?


そろそろ見学時間も終わりに近付いてきて、元来た道を戻っていきます。
この辺りの波はかなり高いそうで、少しずつそこにあったものを壊していってしまうそう。
少しでも長い時間、少しでもその形を留めてほしいと思うのは、
島の生活や、そこを離れた人々を想うからなんでしょうか。


できればもう少し長くいたかったけど、船に乗り込み小さくなっていく島を見送ります。
暑さでフラフラだったけど、でも上陸できてほんとによかった。
長かったような、あっという間だったような、不思議な時間を過ごせたツアーでした。

「その5」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その3:あの島ふたたび

2011年03月25日 21時26分00秒 | たびろぐ九州。
さて、かなり間が空いてしまいましたが、
始まったばっかりだった昨夏の九州旅レポ、再開します!

間が空いてしまったので、よろしかったら前回までのレポはこちらからどうぞ「その1」「その2」 

志免鉄道公園と志免鉱業所竪坑櫓を見に行ったあと、その日の夕方に博多から長崎へ。
ここで使ったのが、JR九州で発売されている「4枚きっぷ」。
同じ区間を片道4回でも、往復2回でも、2人で往復1回としても使えます。
まだここで前回の残りのきっぷ(旅名人の九州満喫きっぷ)は登場しないんですね。
ということは、また博多へ戻るということ??

そういえばこのとき、旅に出る直前に体調を崩してしまって。
父のことのあとだったので、疲れがちょうど出ていたのかもしれません。
ノンビリいこうよ、と思って旅に出たものの、体調とは裏腹についがんばっちゃうんだよね。
でも、さすがに次の日のことを考えて、早めに休んだ長崎の夜でした。

そして、翌日。


初日と同じくいい天気ー!!で、とにかく暑かったー!!!
あんまり暑いと体力奪われるのが心配だったけど、雨降りよりは気持ちは楽。
前日早めにゆっくり休んだのもあって、この日は少し体が楽になってました。
それもそのはず。これから行く場所がちょっとテンション上がるところだったので(笑)。


案内された場所に向かうと、鮮やかな色彩の一隻の船が。
この日の最初の乗りものはこちらの高速船となりました。で、どこへ連れてってくれるかというと、


ここ!!ずっと上陸してみたかった、あの「軍艦島」です!!
以前にも、隣の島からとかクルーズ船から眺めることはあったけど、
観光事業として、一部ではありますが上陸が正式に可能になったんですよね。
しばらくそんなことも頭から飛んでましたが、
少し落ち着いたのもあって、出かけてみることにしたのです。


大波止ターミナルを横切り、三菱造船所のほうを見ると、護衛艦がドック入りしてました。
戻ってきてから調べてみたら、佐世保基地所属の「ゆうだち」という名の護衛艦だそう。
「むらさめ」型と呼ばれるクラスの艦で、同じクラスの仲間には、
「はるさめ」「きりさめ」「さみだれ」という名がいるそうです。みんな雨にまつわる言葉だ。


湾から出てスピードを上げた頃、後方に美しい橋が見えました。女神大橋。
大型客船が通れるよう、かなり高い場所を通行するようにできてるんですね。
あのクイーンメリー2も、この下をくぐったんだもんなぁ。
そういえば、2004年に初めてここを通ったときは、まだ工事中だったっけ。


工事中といえば、こちらの橋も建設真っ只中でした。香焼と伊王島を結ぶ伊王島大橋。
そんな橋も、今度の日曜、3月27日に開通だそうです。(!!)
しばらくレポ溜めてるうちに、できあがっちゃったよー(^^;;;
これまでは船で30分くらい?のリゾート地に、車で行けるようになるんですね。
島の数が日本一という長崎県。船以外に移動の選択肢ができるってことはいいことかも。


そうこうしているうちに、最初の目的地が見えてきました~。
まっすぐ軍艦島へは行かず、あの島に途中下車です。懐かしい~!


というわけで、「高島」に上陸です!2004年に訪れて以来、ふたたびの訪問。
そういえば、出迎えてくれた(といっても乗らなかったけど)バスが新しくなってました!
前に来たときは北村ボディのバスだった記憶が。


そんな高島で見つけたのがこれ。「たかしま げすいどう」マンホール
現在は長崎市に編入してますが、町章が描かれているとこをみると高島町時代のものでしょうか。
魚の種類はわからないけど、四方を海に囲まれたいかにも島らしいデザインがかっこいい!


そして、一行が向かったのは、港のすぐそばにあるこちらの「石炭資料館」。
昭和34年築の三菱高島炭砿労働組合の事務所だった建物を、整備・改築したものだそうで、
当時、仕事や生活で使われていたものが展示されてます。


外には、坑道へ向かうときの乗りものなんかが展示されてました。
これに乗って真っ暗な中へ向かうとき、きっと怖かったんじゃないかなぁと思う。


入口正面には、軍艦島と呼ばれる「端島」の模型がありました。
そうだ、2004年にここへ来たとき、ちょうど作ってる真っ最中だった!
これ、ほんとよくできてます。このあと上陸するのは、ちょうど手前のこの辺りかな。


中へ入ってみると、実際に坑道内で使用された作業服とか道具、大切な灯り、
斜坑口の入口に飾られた社章など、たくさんのものが展示されてました。
お祭りで活躍したと思われるお神輿なんかもあったなぁ。安全祈願も込められてたんでしょうね。
ちなみにこの社章、大正2年に開坑されたものの一部。それが残ってるってすごい!


外へ出ると、容赦なく照り付ける夏の陽射しが痛かったー!(^^;;;
吹き出る汗を拭きつつ、港へ向かおうと歩いてると目の前に飛び込んできたのは、


弥太郎さんっ!!


そこには、三菱財閥初代総帥、岩崎弥太郎氏の銅像がっ!
ちょうど「龍馬伝」をやってる時期だったから、もー旬で旬で(笑)。
その弥太郎さんが、「軍艦島を目指せ!」と言ってるような気がして、(←あくまでも気のせい)
これから向かうあの島が、ますます楽しみになってきました!

「その4」へつづく。

残りのきっぷで夏の九州'10 その2:すぐそばに産業遺産

2011年02月15日 00時37分48秒 | たびろぐ九州。

外は一面真っ白!白銀の世界の中、真夏の九州レポをお届けしまーす(^^;;

志免鉄道公園を散策したあとは、ずっとずっと以前から気になっていた場所へ。
実はこれから向かうところが、わたしにとってはメインの目的地。
でも、そのおかげでこの鉄道公園を見ることができました。
で、その目的地とはなにかというと、もうチラッと後ろに写ってます。
早くすぐそばで見たくて、吹き出る汗を拭きながら足早に向かいます。

そして、その姿を目の当たりにして、圧倒されること数分。それがこちら。







「旧日本国有鉄道志免鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)」。
元々は、海軍が艦艇の燃料確保を目的として開設されたものだそうです。
いやぁ、すごい迫力でありました。夏空に無機質な佇まいが不思議と映える。素晴らしいです。
当時は黒ダイヤと呼ばれた良質の石炭が、ここ志免では採掘されていたんですね。
石炭全盛時代には、ここで採れた石炭が旧国鉄勝田線で運ばれていきました。
その頃の賑わいを思うと、廃止となった路線がその行く先を物語っていたような。
時代の流れを寂しく思う反面、いまの日本があるのはその頃の産業があってこそなんでしょう。


以前は放置されて荒れ放題だったようだけど、いまは外柵などが整備され保存されています。
よく見ると、あちこちコンクリートの中から鉄筋が見えてる部分もあるけど、
終戦前に造られた同型の竪抗櫓のうち、当時からのままの姿で現存しているのは、
ここ志免とベルギー、中国の3か所しかないんだとか。ほんとにすごいことだと思う。


無機質に見えるけど、緑がいっしょだと不思議と温かみを感じますね。
ここ、福岡空港に着陸するとき、機内から見えるんです。こんな近くから見ることができて感動!


そんな迫力ある建物のおとなりには、こんなかわいらしい公園が!(笑)
ちっちゃいお子さまたちが走り回ってましたよ。このギャップがすごいー!


見に行ったときは、国の重要文化財に指定されて、まだ1年経ってなかったんですね。
長い歴史のある竪坑櫓だけに、もっと早くに指定されててもおかしくない気がしたけど。
保存するかどうするかで、ずいぶん長い間地元の方々の葛藤もあったようです。
いまとなっては、近代化遺産としても歴史的価値の高いものだけに、保存されてよかったと思います。


鉄筋剥き出しのコンクリート柱のそばにカラス。なんかちょっとシュール。


竪坑櫓のすぐ脇に、斜坑の跡がありました。こちらは「第八坑本卸坑口」。
ここからも石炭が運び出され、空気を送るための坑道になってたそうです。
いまはふさがれてるけど、中には坑道が残っているのかな?


そのすぐ横にも、もうひとつ遺構が。「第八坑連卸坑口」。
隣の「本卸坑口」と対になってる構造。こちらは煉瓦製の坑口が残されていました。
いまの時代にそのままの姿で残されている坑口、見ているとほんとに不思議な気持ちになります。


そしてもうひとつ、「第五坑西側坑口」。
コンクリート造りの坑口から、中の坑道がアーチ型をしているのが見てとれます。
ここは5度の傾斜となだらかな造りだったようです。
ここでたくさんの人が働いていたんだなと思うと、いまの静けさが嘘みたいに感じます。
ずっと眺めてても飽きることなく、しばらくこの周辺を離れられずにいました。


さすがに、ラウンジで食べたチキン南蛮おにぎりだけでは物足らなかったので、
竪坑櫓に隣接する志免町の総合福祉施設「シーメイト」の売店で、
こちらのエビフライを購入~♪おやつ代わりにいただいてみました。
汗だくになったので、冷たい飲み物とともに。美味しかった~。


そろそろここを離れようと外へ出てみると、夏の日差しをバックに佇む櫓が。
もう、どんな角度から撮っても絵になります。(惚)


バス停に向かいながら、ふと来た道を振り返ってみると、煉瓦の塀の向こうに竪坑櫓。
こうして日常の光景に溶け込んでいるのがすごい。
地元の人々からしたら、きっと当たり前の光景なんだろうけど。


汗だくになりながら歩いていると、水路が現れました。
ああ、暑い中歩いてるところに水場を見つけると、なんかホッとしますね~。
充実の産業遺産散歩でありました。

「その3」へつづく。