Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

たいくつ

2010-05-14 | 想い・雑感
「退屈になってきましたか?」
時折
術後の患者さんに問いかけます

体力が徐々に回復し
元気が出てくると
入院生活という非日常の中では
普段やっていることをする必要がないので
ぽっかりとあいた時間ができます

そうなると退屈を感じるようになるのです

退屈を感じる状態は
術後経過が順調であることの
指標の一つとなることが少なくないのです

もちろん
経過が良くても
退屈とは無縁の方もいます

少しでも動けるようになると
できる範囲で直ちに仕事を再開する人

勉強にしろ趣味にしろ
本を読み頭を使っている人

すぐにやることを見つけたり
周りや自分自身を見つめて活発な精神活動を営んでいる人

もともと
退屈など感じない人

などなど


まあ
回復過程にも
その方の
日常や習慣 それに歴史
などが現れていているといことでしょうね

充分

2010-05-12 | 想い・雑感
資格試験にしろ
入学試験にしろ
合格ラインというものがある
そのラインを上回れば
まあ充分だろう
資格をもつ あるいは 
学校でやっていくのに必要な知識は充足しているだろう
ということになる

医療の現場では
充分な説明が求められる
でもこの場合の充分はなかなか曲者で
合格ラインの設定がはっきりしない
説明を受ける側の知識や考え方によっても
どこまでというのが変わってくるというのもあるので
それを満たすように心がけているが
どうしても時間的制約がある外来では難しい

せめて
ここまで話しておけば
免責
というものがあれば
楽ですがなかなかはっきりした文章は見当たらない

診断や治療の過程で合併症が起きた場合
その可能性を説明したかどうかが問われる
そのような記事に接した場合
こんなことまで説明しなければならないのか
と驚くこともある

保険の説明書類のように
説明書を渡すしかないなぁ
と思ってしまう

草取り

2010-05-09 | 想い・雑感
ちっちゃな
小さな庭だけど
少しの空間も残さない
と言わんばかりに
植えたはずもない草たちが
土を埋め尽くす

だから
その草を
ちょいと間引きましょう
と思っても
なかなか大仕事となる

そして
何にやられたのか
腕がかゆくなる
小さな虫たちも
その小さな空間を埋める手伝いをしているらしい

ああ
かゆい

ビッグ バン?

2010-05-09 | 想い・雑感
ビッグ・バン
と言われても
私にはイメージがわかないが

宇宙の始まりが
大爆発ならば
その爆発の時に
たった一つの元素の速度や
飛び散る方向が違っただけで
今の自分はいなかったかもしれない
人を含め世界は違ったものになっていたかもしれない

なんてこと考えると
今がある不思議を感じ
感激だねぇ
大切にしないとねぇ

でも
やはり
イメージがわかない…

開口障害

2010-05-07 | 想い・雑感
トラック運転手のKさん
若い頃の事故で
顎関節を傷め
口をあまり開けることができない

そのため入れ歯を作れないと言われたそうで
歯茎で食べ物を噛んでいる

一人暮らしをしているので
ご自分でスライサーのような器械を使い
おかずを細かくして食べるという

胃の手術が必要なので
手術直後の食事にはちょうど良いかもしれないが
少したてば食事内容をそれほど制限する必要はなくなる

できれば胃癌を治せるようにと
せっかく手術をするわけだから
術後に
しっかりと噛んで食べられるように
開口障害の方に入れ歯を作ってくれるような技術は
ないのでしょうか


今も心の中に

2010-05-07 | 想い・雑感
亡き両親の誕生日が来ると

「生きていれば、○才だなぁ。」

と考える

でも実際に○才になった親を
イメージすることは難しく
旅立った頃 あるいはそれ以前の
親のイメージしか出てこない

生きていた頃のイメージのままに
眼前に現れてくれるのだ
そして語りかけてくれる

時が経つにつれ
自身の心の中に
親がしっかり生きていることを
実感する



明日をも知れぬ身

2010-05-06 | 想い・雑感
瀕死の重傷を負っていたり
重い病気で死が目前に迫っていると思われるとき

明日をも知れぬ身

という言葉を使うことが多い

しかし世の中を見れば
生きている我々全てが
明日をも知れぬ身である事がわかる

事故
病気
自殺
不明の原因
などによって
突然彼岸に渡ってしまった人は
振り返ってみると
私の身の回りにも少なからずおられた

明日もやってくると思いつつ
今日を暮らしているわけだが
明日は知れぬ
ということを忘れずに
今を 生きたい ものだ

***********
全く死の影すら見られなかった
看護師さんの急逝を知って
***********

ひかり

2010-05-04 | 想い・雑感
明るい日差しの下
勢いのある
山の緑が
さまざまに輝き 影を作る


受けた光によって異なる色のすべてを
言葉にすることなどは不可能だが
その多様性に驚く


人は
相手によって
違った面を見せる

どのような光を投げかけるかによって
個人の中に存在するどこが輝くかが
変わってくる

だから
美しく輝けるような
光を投げかけてくれる人との出会いは
貴重だ

でも
山の色と同様に
同じ光を投げかけられても
見せる面は
人により異なるから
面白い

警告

2010-05-03 | 想い・雑感
車を運転している時の車間距離感覚と
バイクに乗っている時ではかなり違う
車の中から見るほうが
車間が近くに見える

それもあって
バイクに乗っているときは
前の車との距離を空けるように心がける

しかしそれでも後方から近づくバイクは
プレッシャーになるのか
時々道をあけてくれるドライバーがいる

先日丘の峯沿いを走る道路で 
のんびり走っていた(本人はのんびり)
前の車に近づいたが
20m程離れて走っていた
こちらは急かしているつもりはないのだが
しばらくするとそのドライバーは
左にウィンカーを出しつつ 
ほんの少し左によけてくれた

「これくらいではセンターラインとの間隔が少ないよ」
と思いつつ軽くアクセルをあけて追い越したところで
対向車線のパトカーに遭遇
運転している警官が手招き

やはり少し車線をはみ出してしまっていたようだ

観念してバイクを降り
免許証を提示して
しばらくお話していると

前の車に譲られたにしろ
黄色いセンターラインを越えることは危険であることを説諭され
警告のみで解放していただいた

おかげで残る行程は
これまで以上の安全運転でした

それにしても
車間をどれくらいあげていると
前の車のプレッシャーにならないのでしょうね

静止画

2010-05-01 | 想い・雑感
遠い昔の記憶をたどるとき
動画として思い出すというより
静止画像をまず思い浮かべるように思う

動画編集の時の
サムネイルのように
代表的画像が選択されているのだろうか

ふと浮かぶ懐かしい映像
それを逃さないようにとらえて
目を凝らしてみると
他の場面も思い出されてくる

その映像が
事実とは限らない場合も多いのだが
今の自分は
そのような多くのイメージの上に
成立しているのだろう

それにしても
映像の記憶というのは
脳の中では
どのように蓄えられているのだろうか
物質として蓄えられており
それを取り出す術があるのなら
人が死ぬとき取り出しておけば
その人の記憶は
保存できるのかもしれない

しかし
そうなると
安心して死ねませんね
皆 いろいろあるからね

慣れ

2010-05-01 | 想い・雑感
はじめて自転車に乗ったのは
おそらく幼稚園の頃

その頃住んでいたアパートの中や周囲を
自転車で走り回った

アパートの敷地内にはちょっとした坂があった
今にして思えば坂ともいえない程度のものかもしれないが
そこを自転車で下るのは
大冒険であり
わくわく
ドキドキものだった

でもそのうち慣れっこになって
大した出来事ではなくなっていった

人は変化を求めるものなのだろうか
慣れっこになってしまうと
感激を見いだせなくなり
退屈を感じるようになってしまう

でも
本当は
当たり前の中にも
常に変化がある

ささやかな日常の中に
二度と巡り合えない
大きな変化を見いだせる感性をもてば

毎日が
わくわく ドキドキ
新鮮なものになるのだろう
倦怠なんて無縁の人生になるのだろう

両さん

2010-05-01 | 想い・雑感
両さんの左手マラカスが
酔っ払いのおじさんによって
折られてしまうという出来事がありました

記事の画像が小さかったので間違っているかもしれませんが
両さんの手自体は傷ついていないように見えました

でも
すぐにその手に
包帯を巻いてくた人がいるようです

その気持ちがうれしいですね

それにこれはこれで
絵になってたりしてね

2010-05-01 | 想い・雑感
最近もあるのでしょうか
ポケベル

15年くらい前は
赴任した病院で渡されたポケベルを常に携帯
ベルが鳴れば
近くの電話から病院へ連絡
あるいは
直接病院に戻ったりしていた

「常に鎖につながれているみたいだ」
と皆で話していた

今はそれが携帯電話に変わっただけ
ただその携帯は病院からの支給ではなく
個人の携帯電話番号を病院に知らせている

まあしかし
ポケベルが鳴って
何事だろうと思いつつ電話をしていたころに比べると
電話がかかってくれば
その場で何の用事かわかり
電話連絡だけで用事が済むこともあるわけで
多少は便利になりました

それでも常に呼び出しの危険があるのは以前と変わらず

それが仕事であり
入院患者さんや
外来で経過を見ている患者さんがおられるのだから
当然であろう
と自分でも納得しているのだが

病院からの着信メロディーを設定すれば
ことごとくそのメロディーが嫌いになっていくところをみると
心の奥では
イヤダなぁーと思っているのに違いない

例えば以前着メロにしていた
mission impossibleは
そのメロディーがテレビから流れてきただけで
いやな気分になるのである

携帯の電源を切るのは気がひけるので
せめて電波の届かないところへと
バイクで出かけて行こうにも
今の日本
ほとんど電波の届かないところはない

しからば国外逃亡
と考えるのだが
先立つものがない

うーむ
おとなしく鎖につながれておこう