2,3日前の夕刊に「志摩・安乗埼灯台に壁画」
という記事が載った。
近くに住む高校生が小学4年生の時夏休みの
宿題として描いた絵が高く評価され、
「灯台絵画コンテスト」で金賞に輝いた。
入場者が少ないのが悩みだった鳥羽海保が
白亜の美しい灯台を広くアピールしようと
地元の少女が描いた美しい絵を飾ることに
した。
今垂れ幕で飾られているそうだ。
わたくしは灯台が好きだ。
ただ灯台は当然だがどこも遠い。
昔近くまで行った下田・石廊崎灯台は
2年前に行ったときは近づけなかった。
足摺岬灯台も遠く、バスにずいぶん長く乗った。
能登半島最先端の禄剛埼灯台は迷った末、日程
をやりくりして訪れた。
昨年行った山口の角島灯台も元乃隅稲成神社と
共に1日がかりだった。
観音崎、御前崎、伊良湖、出雲日御碕・・などなど。
でも4度は訪れた和歌山串本の潮岬灯台が
一番お気に入りかなぁ。
犬吠埼灯台は佐藤春夫の「犬吠埼旅情のうた」
を読んでわざわざ出かけて行った。
”ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ
草花をつむ みづからの影踏むわれは
仰がねば 灯台の高さを知らず~~”
わたくしも若かった。
今灯台は道しるべの役割をしていない。
船乗りはGPSで位置を知ることができる。
でも、遠く、長く航海をしてきた船乗りに
とって灯台の光は我が家に帰ってきたとの思い、
やすらぎがあることだろう。
外国旅行から帰ってきて飛行機の窓から富士山を
眺めた時の気持ちと同じに違いない。
「やっと無事に帰ってきた!」
ブラッドベリの霧笛も好きです。こっちはSFですが強烈な印象でしたね。物語は、何時でもタイムワープできるから愉しい。時々、愛する方にも遇えて心が震えてしまうことがある。
コロナもですが、インフルにもお気をつけられますように。
でも陸の果てで海に向かって屹立する白い灯台の姿は美しいですよね。
大きくても小さくても船乗りにとって遠くに灯台の灯りが見えたときの安堵感は想像できます。
帰って行く港、帰って行く家・・わたくしたちの心の支えなのかもしれません。
山陰男旅でも「美保が関灯台」に。
なかなか着かなかった。
どんな灯台も、大地の果てに在るので、それは
灯台を見るための必須条件みたいなもの。
やっと、辿り着いたその場所から眺めた
日本海の海の蒼と空の青
価値あるブル~でしたね。
「美保が関灯台」も遠いですね。
島根半島の東の端ですものね。
何処も陸地の果て、海に突き出た突端にあるのですから、変わり者しか行かなくなったらしく最近は見物客が少ないと安乗灯台では嘆いていたそうです。
高校生の絵が客寄せになるとよいのですが。
哀愁というのか、切なくなってしまいます。
可愛がり、人魚が描くろうそくの絵がもてはやされている間は大切にしていても、いざとなると欲に駆られて売ってしまう人間の醜さを描いた作品のように思って読みました。
遠い昔のことです。
最近の世相をも風刺しているようで辛いですね。