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一度怒れば泣く子も黙る・・・清水の次郎長

2020-09-07 20:25:03 | 日々思うこと
台風10号は九州に大きな被害をもたらしたけれど
それでも予想より早く勢力が衰え、「特別警報」
の発表は見送られたそうだ。
この辺りも風と雨は強かったけれど、暴風雨という
ほどではなかった。
********
今日の朝刊「文化の扉」が「清水の次郎長」を
取り上げていた。
今頃なんで次郎長なの?
自民党も民主党(立憲か国民か)も親分を決める
時期だから?・・・・・と勘繰ったけれど
そんなに深い意味はないらしい。
次郎長親分の生誕200年だそうだ。
その次郎長が眠る清水の「梅蔭禅寺」にご丁寧に
3度も行った。

忘れもしない22歳のゴールデンウイーク。
社会人になって初めての長期休暇。
東京の友人と沼津で待ち合わせて静岡の各地を
回った。
三保の松原、登呂遺跡、大蘇鉄で有名な龍華寺など
あまりにも遠い昔で詳しいことは忘れた。
その時、次郎長の墓にも行ったのだった。
2人とも特別次郎長のフアンだったわけではない。
ついでだったと思う。

それから長い年月が過ぎ、今から7年ほど前
再びその友人と清水で会うことになった。
清水から船で土肥に渡ろうという計画である。
清水に先に着いたわたくしは久しぶりに次郎長に
会いたくなった。
タクシーに乗って行先を告げ「ずいぶん久しぶりだ」
というと運転手は「きっと驚きますよ。そんなに昔
に来たのならすっかりきれいになってお寺も作り
替えられています。」という。
なるほどすっかり様変わりしていた。
噂では少しづつ次郎長の墓石がその筋の人たちに
削り取られると言われていた墓は柵に囲われお庭も整備
されていた。

そして3度目。
一昨年。
弟夫婦と伊東に泊まり、タクシーで修善寺へ行き、
そこからさらに土肥にタクシーで行き牧水荘に
宿泊。
翌日清水への船に乗った。
清水で時間があったので次郎長の墓へ以前来たことを
告げると行こうということになった。
生家も現存し、彼が開業した船宿「末廣」も復元されて
きれいになっている。
幕臣山岡鉄舟とも親交を深め、富士山の裾野を開墾し
茶の輸出に力を注いだ次郎長は唯の博徒ではない。
魅力あふれる人材だ。
”旅行けば駿河の道に茶の香り”
梅蔭寺でお茶を売っていた。

浪曲で広められた
「バカは死ななきゃ治らない」・・・かもね。



コメント (2)
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