◆広町の道標から粥新田峠を目指す(続き)
林道に入ると100メートル程で「寺山子安観音」がおわした。観音様はなんともにこやかな御顔に見えました。
観音様のすぐ先にある「右山道 左粥新田峠 と刻まれた道標」。
道標の通りにここから左に入るのが古道なのだろうが・・今回は気力がちと不足であります。
大霧山線をそのまま進むことにしました。どうせ直ぐに合流するのでありますと言い訳。
道案内に従って左手の道を進む(14:31/38.0km)。
今にして思えば、誰が「ほのぼの」などと表現したのか、拙に言わせれば「くたくた」であります。
「馬頭尊(右のは明治十年)」、「馬頭観音供養塔」を眺めつつ上っていく(14:46/39.2km)。
明治の中ごろまで、川越河岸で船から降ろされた米は、この道を通って秩父盆地に運ばれたらしい。
一日に二百頭近い駄馬がここを通っていたことを想像、馬に負けてなるものかとペダルを踏もうとしたが脚は廻らなかったデス。
「榛名神社」に着(14:56/39.6km)。昔から峠の休み場所として大変栄えたという。だから堂々と休憩していくのだ。
こちらは上州榛名神社の本家とも姉君の宮とも呼ばれているんですと。
昔、このあたりは大きな湖であり大蛇伝説もあるらしいが、湖を想像するのは難しかったですわ。
ようやく開けた場所に出ました(15:12/40.4km)。ここからちょっと先に進むと暫く未舗装路になります。
「粥新田地蔵尊」のおわす「粥新田峠」に着(15:26/42.1km)。
広町の林道起点からここまで4.3kmの道乗りを1時間強掛けて上って参りました。チームKだから、これでいいのだ。
今回は、川越通りを辿るのは中断して坂本方面には降りずに二本木峠を抜けて風布へ向かうことにした。
◆行きにも増して帰りは更にゆっくりと
彩の国モーモーハウスにて(15:36/43.6m)。いつまでもモデル体形にならんのは、こういう補給過多のせいか・・・
日本水の冷たさが甘露なり。風布館・・・蜜柑のかき氷を食せたためしなし。
風布館から玉淀ダムに抜ける林道でマタタビを採取し、末っ子の土産にする。
左が虫瘤の入った実で、右が通常の実。薬効は左でないと期待出来ないと聞いたことがある。
佐太彦神の社殿の彫刻には、鼻高々な方がいた(16:57/58.0km)。
神社の下の荒川の瀬、渡れそうで渡れそうにない。あと20年馬鹿若ければ・・・
かき氷が諦めきれずに大黒屋へ。ご近所の御子様達と一緒にかき氷を喰う。夏祭りのかき氷の味がした。
大盛りがサービスでシロップ掛け放題なのが嬉しいね。
山のカミのお供えとして、ところてんを2つばかし購い、ジャージの背面ポケットに入れて出発。
「Refresh」様が紹介されていた「豚介」を発見!
カシラとハラミを5本づつ焼いてもらい持ち帰ることにした。待っている間に1本ご馳走してもらっちゃった。
焼き上がりを待つ間にお隣の酒屋にて。たぶんお酒の名前なのでしょうね・・・
19時前でもまだまだ走れる?・・・そういう意味では良い季節であります。
豚串・・・写真とるのを忘れて喰っちゃった。麦ジュースと頂くと疲れも吹き飛ぶってものです。
昼時から走った走行距離82.8kmのポタリングでありました。